56 市の涙
不穏な動きを見せたのは、やはり西隣のハウゼン王国だった。
北部のアレハンドロ王国のドレント皇太子がクーデターで王に即位し、隣国を手中に収めたのをしるや、ドレント王に接触し始めた。
北部の三国を制圧したドレントは、アマルベ自治国家に手を伸ばした。どうやらハウゼン王国はドレントと手を組みアマルベ自治国家の資源豊かな土地をもらおうとしているようだった。
もともとハウゼン王国とリュッセン王国に挟まれた小国アマルベはなす術もなく飲み込まれた。
ドレント王は大広間で作戦会議中だった。
ドレントの顔色を伺うように男が声を掛ける。
「陛下、ハウゼン王国より使者がお目通りを願い出ています。いかがいたしましょうか?」
ドレントは神経質そうな薄い唇をひきつらせ、地図を広げる為に置いていたペーパーウェイトを男に投げつけた。
「おい、俺の事は皇帝陛下と呼べと何度言ったらわかるんだ?」
男は額から血が出ていたが床に付かないように自分の袖で拭いた。
「申し訳ございません」
ぶるぶる震える手にはハウゼンからの親書が握られていた。
ドレントの気の短さは有名である。
だが、今日のドレントはすこぶる機嫌がいい。侵略は面白い程に上手く進んでいる。
ハウゼン王国の親書を読む。
「ははは、ハウゼンは本当に使えそうだな。これを見ろよ」
嬉しそうに立ち上がり、メイトナ宰相に親書を放り投げた。
「・・・これは、ハウゼン王国は我らがシェルドナールに攻め入る時に西側から攻めると言う事ですか・・・それで、シェルドナールの西側のシシリー山脈以南の5つの領地を欲していると・・・」
「俺は大陸支配を望んでいるというのに、バカな国だ。だからこそ使いやすい。シェルドナールを攻め入ると見せかけて、ハウゼンを攻撃して慌てふためいテイルのをみるのもいいな」
クククと笑うドレントはどっちが楽しいだろうかと思案している。
「どちらにせよ、使者にはお会いになって皇帝陛下の慈悲深い顔を拝ませてやって下さい」
メイトナの言葉に促されて、ドレントが謁見の間に消えていった。
非情な主に使えて平気な程、メイトナの心は悪になれないでいる。
22歳の彼は先の宰相の補佐を任されていた。しかし、あっと言う間の政変により、一時は投獄されたが、ドレントの『俺の右腕になるならそこから出してやろう』と言う言葉に仕方なく従う。
家族思いのメイトナは、自分がドレントに従わなければ、家族にも及ぶ事を何よりも恐れた。
そんな彼の気持ちなどお構い無しで、ドレントはご機嫌で帰ってきた。
「ハウゼン王国はいかがでしたか?」
「やはり、使いやすく捨てやすい国だな。それより、良い知らせが入った。タルチ王国が落ちた。これで、トルベツも手駒になったも同然だ」
ホクホク顔で作戦会議室に戻るドレントと別れて、メイトナ宰相は城の地下牢に向かった。
「カレン様、お体は大丈夫ですか?」
メイトナが声を掛けたのは、アレハンドロ王国の隣国に嫁いだ、ドレントの姉である。
「私の事は大丈夫よ。それよりも北部の他の国々が次々に侵略されたのは本当ですか?」
「はい、事実です。しかもトルベツのリベル王の妹の嫁ぎ先のタルチ王国が落ちました。きっとこの件でリベル王を脅して、リュッセンを攻めさすでしょう」
「リベル王が動くでしょうか?」
カレンは一縷の望みを込めてきいた。
しかし、メイトナの答えは期待していたものではなかった。
「もともとトルベツとリュッセンはお互いに小規模な衝突を繰り返している間柄です。兵を向ける事に躊躇いはないでしょう」
「このまま大陸をドレントが掌握してしまったなら、私達の命はその時までとなるでしょう」
カレン王妃の肩が小さく震える。
「大丈夫です。転機があれば必ずお救いします」
メイトナは他国の王族が入れられている牢屋を、通り過ぎ元の執務室に戻った。
それから間も無くメイトナ宰相が言った通りドレントが、トルベツのリベル王にリュッセン王国を共に打とうと誘いを掛ける。しかし、裏ではリベル王の妹と母を人質にしての強要であった。
この結託によって、リュッセン王国は北側と東側から挟まれて攻撃された後に陥落した。
ドレントは侵略した国を属国にし、全ての自由を奪っていった。
しかし。反発も出来ない程全ての国は国力を削がれていた。
シェルドナール王国にもアレハンドロ帝国の驚異が迫ってきて、城内はバタバタしていた。
市の心も塞ぎがちになる。
(あぁ・・この嫌な感じは小谷城や北ノ庄城を包囲された時の感じに似ている。徐々に軍馬の足音が響き渡り、日々の生活も息苦しくなっていく感じだ・・)
最近テオフィデールと顔を合わす事がない。ずっと執務室に詰めている。
月もない真っ暗な夜。
コンコン。バルコニーの窓を叩く者がいる。
市は室内の明かりを付けずに、その者を部屋にいれる。
「どうでしたか?」
市が聞くと真っ黒な服を着た吟遊詩人のアンソルブが入ってくるなり首を横に振った。
「リュッセン王国は落ちました。兵力の差が違いすぎました」
市は言葉を失った。リュッセンと戦った時に相手の数の多さに苦戦したのに、それを遥かに上回る戦力とは・・・
「残っているのは、トルベツ、アルト、ハウゼン、そして我が国か・・・」
地図を見ながらどんどん地図上から姿を消した国々を思う。
市が意を決し、アンソルブにきいた。
「ドレントが次に狙っているのは、どこの国か?」
アンソルブがゆっくりと地図の上を指した。
シェルドナール王国
「やはりか・・・」
「この事態を避ける為にテオフィデール様があちらこちらに先に協定を結ぼうと奔走されていたのですが、他国は飲み込まれてしまうまで事の重大さに気付かなかったのでしょう」
「ハウゼンは協定を結びそうもないのう・・」
「あの国は初めから騙されて、兵をシェルドナールに送れば自分の領土は安泰。そしてシェルドナールの5つの領地を貰えると喜んでいます」
アンソルブが苦々しい顔で地図上のハウゼン王国に大きく✕印をつけた。
「トルベツ王国のリベル王にあえましたか?」
「会えました。タルチ王国の陥落で妹君と母君が人質に取られていて、アレハンドロに従っている様に見せかけていますが、このままではいけないとシェルドナールと手を組むと約束してくれました」
市の目が大きく開く。
「おぉぉ。アンソルブ、感謝します。そなたの働きで一筋の光が見えました」
「テオフィデールの使者を囮に使って私を密約の使者にしたのはよい作戦でした。リベル王の回りにも沢山の密偵が入っていたので、表面的にリベル王は、シェルドナールの使者を断った形になっています。そして、これが私がリベル王から直接頂いた密約書です」
それにはお互いの国が攻められた時は全力で戦うと言うものだった。
しかも詳しい参戦の仕方も打ち合わせをしていた。
「して、アルト王国の方はどうであった?」
市が期待を込めて聞いているが、逆にアンソルブの顔は暗い。
「あそこは国土の殆どが山岳地帯で自分の国が攻められる程価値が無いと、取り合って貰えませんでした」
「・・・なんと愚かな・・」
しかしそう考えるのも仕方が無いくらいに、回りの国々は攻められているのに、アルト王国だけ取り残されたように放置されていた。
「アルト王国はどの国とも国交がなく、たまに訪れてもあの国だけ時代に取り残されているのかと思うほどに発展が遅い国です。協定を結んでも戦力にはならないでしょう。だからアレハンドロ帝国も最後に攻略しようとしているのかも知れません」
市の落胆を深くしないように、アルト王国の事は忘れましょうとアンソルブが慰める。
「この城内にもアレハンドロの手の者が入っていますか?」
「います。この城内は顔見知りが多く安心していたのですが、最近行動のおかしなものが1人いました」
聞いて見たがこの城内でと、驚く市にアンソルブは顔馴染みの商人の名前をあげた。
日用雑貨を主に取り扱っている商人のポールだった。
ポールの商店は大きくないが、使いやすい物を厳選して持ってきてくれると侍女達にも人気だった。
「ポールが・・?」
「どうやら、ポールの両親は既に侵略された国に住んでいたようで、脅かされている可能性が高いです」
「ドレントは18歳だった筈。どれ程狡猾で緻密な男なのじゃ」
怒りを通り越して、吐き気がする。
遣り方の汚さに、絶対にドレントに頂点を立たせてはならないと警鐘が鳴り響く。
「今のところはポールに気を付けて、彼をそのまま放置しておきましょう。ポールを密偵だと捕まえると彼の家族に危険が及ぶ。そして他の使用人が次のターゲットになるだろう」
彼に迂闊な事を話さないように、注意しておかないと。
「最後にもう一つ聞きたい」と市が聞く。
「今、アレハンドロの兵の数は?」
「・・・65000。本来ならもっと多かったかもしれませんが、リュッセンとの戦いで減りました」
「寡戦が多いのぅ」
「そうですね。こちらはいつも少人数で敵はいつも大勢・・・作戦も何も・・・厳しい戦いを強いられますね」
市もアンソルブもあまりの兵力の差に、押し黙ってしまった。
「あっ・・・」
アンソルブが大事な事を言い忘れていたが、こちらに不利な報告だったので言いにくそうにする。
「アンソルブ・・まだ何かあるのか・・・ちょっと待っておくれ・・今気持ちを引き締めて聞くゆえ・・・」
市はスーハーと大きく深呼吸してから「大丈夫。言うて下され」
「艦隊が来ます。海戦の準備を・・」
「・・・・」
市の目の前が真っ暗になった。
もと漁業だった者、つまり素人の寄せ集めの海賊を相手にするのとは訳が違う。しかも艦隊となれば、海軍力も敵がこちらをかなり上回っている。
市はふらっと力無く立ち上がった。
「陛下にリベルの件を伝えてきます・・」
そう言うと、ドアの前で振り向かずアンソルブに背を向けたまま言う。
「アンソルブ、これだけ沢山の情報をありがとうございます。あなたには本当に助けて貰ってばかりでした。しかし、お返しが出来そうにありません。今ならこの国から出る事が出来るでしょう。封鎖されてしまえばもう出る事が出来なくなります。あなたには感謝しかありません。本当にありがとうございました」
市は言い終わるとゆっくり部屋から出た。
そして、その足でテオフィデールの執務室へ向かった。
市はテオフィデールの部屋をノックする前に涙を拭いた。
ノックする。
中から返事が聞こえる。
アイレス宰相、それぞれの騎士団長、軍務卿、兵科総監が勢揃いしていた。
(いつも優しい彼らが戦場へ行くのだ・・・泣くな。
堪えろ市・・・もう一度深呼吸)
心を落ち着けて中に入る。
いつもの市に戻った。
(よし、大丈夫。いける)
腹に力を入れてテオフィデールにアンソルブから聞いた事を話し出した。
「陛下、リベルの密約の件を知らせに・・・それと、兵力の件・・と・・海戦・・」
そこで肩を震わせて涙がこぼれた。
「トルベツは・・・我がく・・にと・・」
テオフィデールが市の傍に寄り添う。
そして、何も言わずに市が泣き止むまで抱き締めてくれた。
(あんなに穏やかで幸せだったのに、何故いつも突然に壊そうとする者が現れるのか・・・)
不条理な事にもうどう立ち向かえば良いのか、その気力も失せていた。
「テオ、もう大丈夫です。アンソルブからの報告をお伝えします」
落ち着いた市は目を真っ赤にしながらも懸命に話し出す。
「トルベツのリベル王は我が軍と共に戦うと約束してくれました。これがその密約同盟の密約書です」
テオフィデールが書状をじっと見ている間、市はその横顔を眺めていた。テオフィデールが顔を上げるとふと逸らす。
急いで報告しなければならない事を、感情を入れずにどんどん報告した。そうしなければ、頭の中が悲しみで覆い尽くされそうだった。
テオフィデールも流石に敵の数と、艦隊の話を聞いた時は、顔が苦しげに歪んだ。
伝えた後、市は部屋を出た。
執務室の男達は暫く黙っていた。
「市様が人前であんなに泣くのを初めて見ました」
騎士団長のルイスは衝撃を受けた。今までどんな事が起きても動じなかった市があんなに取り乱して泣くなんて・・・と。
それは、他の者も同じだった。リュッセン王国の大軍を目にしようとも、突撃をしていく市が涙するなんて・・・
それぞれの胸に今の厳しさを思い知った。
アイレス宰相がテオフィデールの机の上に置かれた手紙を指差し、「どうするつもりですか?」
と聞く。
手紙はアシュバ大陸の魔王の第1補佐官のオリバーからの者だった。
『莅魔属は人属には一切干渉しない。だが、市様は召喚されてきた異世界人なので、戦に巻き込まれる前にアシュバ大陸に避難するならば受け入れる用意がある』
このような手紙がテオフィデールに昨日届けられた。
「クソッ」
魔王に市を渡すなんて・・そんな事・・・
だが、市のあんな涙は見たくない・・・・




