48 魔王様(2)
市が意識を取り戻す。
(うん? ここは何処かのう?)
起き上がろうとした時、いきなり目前に美しい黒髪の、瞳の、眉毛の、赤い唇が目の前に飛び込んできた。
「大丈夫ですか? 無理はしないで、もう少し寝ていてもいいですよ」
魔王が心配げに市を覗き込んでいた。
「魔王様・・・少しお顔を遠ざけて頂けるとありがたいです。目覚めに魔王様のご尊顔は眩しすぎて・・・」
「ふふふ、貴女は面白い事を言いますね。まあ、元気そうでよかった。思ったよりこのコアが大きくて少々体に負担がかかりました」
魔王が市に取り出したコアを見せてくれた。
それは、宝石のモルガナイトのような爽やかなピンク色をした塊だった。
「コアとはこのように美しい物だったのかえ? しかもかぶと虫程の大きさじゃ・・これが入っていたと思うと怖いの・・」
「もうこのコアは暴走するような事はありませんよ。では、市様、入れ直しましょうか?」
魔王がコアを持って市に近寄る。
「え? ・・どういう事かの・・?」
市は顔を引きつらせて、ベッドから落ちそうになる。
「?・・市様はもう一度コアを安全な状態にして、体に戻すつもりではないのですか?」
魔王が首を傾げる。後ろで見ていたオリバーも何を躊躇しているのだと言う雰囲気だ。
「コアを戻すと人ではいられないのでは・・?」
「私が自ら入れるのです。勿論魔族になります。しかし、貴女のように多大な魔力を持っている方なら、莅魔人になります」
「いえいえいえいえ。私はこのまま人として、シェルドナール王国に帰ります」
ブンブンと首を振りながら、辞退する。
「そうですか・・残念ですが、今は諦めましょう。しかし、シェルドナールの北の精霊地に邪気があると報告を受けて、その対処の方法を相談されています。あと、ついでに入ってきたトルベツ王国の使者が、獣人や亜人が住むハドリー大陸への貿易をしたいと言っています。その対応が終わるまで暫くこのアシュバでゆっくりと御滞在下さい」
美しい魔王の顔が、流し目で何かを訴えるように悲しげに沈むと、ついつい、魔族になろうかと思ってしまうから恐ろしい。
ここは一旦落ち着く為にも、退室しようと立ち上がる。
「魔王様のお陰ですっかり元気になりました。此度は私の体を治して頂き、本当にありがとうございました。私が出来る事は少ないですが、魔力の補充とかございましたら是非お役立て下さいませ」
市が挨拶すると、魔王が美しい口角を上げて微笑む。
「それなら、私をノアと読んで下さい」
「ノア様・・」
「いえいえ、ノアと呼び捨てで」
「・・・」
(この下り・・以前経験した記憶がある・・)
意を決して「・・ノア」と呼んだ。
「ありがとう、市。じゃあ、今日はここに着いてから、食事もしてないだろう? 食堂で好きなだけ食べておいで、それと着替えだね」
ノアがスッと手を上げると、アオが慌てて市の腕に戻る。
次に市はアオを抱っこしたまま、沢山のテーブルが並ぶ、広い食堂に立っていた。
いつの間にか、シェルドナールから来ていたキュロットとブラウスから、グレーのVネックで長めのギャザーペプラムブラウスに細目のパンツと変わっていた。
細身にスタイルが良い市には、とても似合っていた。
ハイヒールは低めなので、なんとか歩ける。
横を見ると、惚けたセレナが立っていた。
「セレナさん、セレナさん、どうしたのです?」
セレナが全く動かないので困っていたら、見兼ねた女性が声をかけてくれた。
「この子具合でも悪いのですか?」
「いえ、先程私と一緒に魔王様に会いに行った時から、様子がおかしくなって・・困っております」
市が事情を話すと、「あー・・」と何となく理由がわかったのか、
「あの美貌に当てられたら、そうなるわね。仕方ないわね・・・1、2、3フンッ」
女性がセレナに額に思いっきりデコピンをかます。
「イッッッッッターイ」
セレナが目を覚ました。
「大丈夫かえ?」
市が覗き込むと、セレナが回りを見渡す。
「あれ? ここは?」
「私の用事が無事済んで、魔王様にここに送ってもらったのじゃ」
「・・・はー・・もう一度お逢いしたかった・・」
セレナが本当にがっかりしたようすで項垂れた。
「元気になったようです。お手数をお掛けしました」
市はセレナを戻してくれた女性にお礼を言うと、彼女は笑顔で去っていった。
市が鼻をクンクンさすと、今まで
嗅いだ事のない匂いがする。
「何やら、癖になりそうな良い香りがする」
セレナもクンクンとする。
「これは市様、カレーですね。今日の日替わり定食はカツカレーですね」
「カレーとな・・魅惑的な名前の食べ物じゃの」
「私もお腹がすいて、ぺこぺこなので注文しに行きましょう」
セレナが市を伴って、列の後ろにならんだ。タッチパネルの前に進んだセレナは市にカツカレーで良いのか確かめて、ポンポンとボタンを押した。
「・・・スゴいわ。市様ここでの料理はどれを頼んでも魔王様持ちで、食べ放題です」
セレナは声を落として、市にボソボソと教える。
「そうか、デザートは後程たっぷり頂こうかの。ふふふ。魔王様は太っ腹じゃの」
食堂でそんな事を言われている魔王は、オリバーと話し合っていた。
「魔王様、お疲れのようですね。やはり、市様のコアを抜き取る為に、魔力を使いすぎましたか
?」
「イヤ、魔力を使ったのは市にかけようとした『魅了』で使ったんだよ。でも一向に掛からなかった。隣のセレナにはかなり掛かったのにね」
魔王様は残念そうにピンクのコアを握った。
「連れていたドラゴンは卵から孵して、育てたそうです。あのドラゴン、子猫サイズから、巨大サイズまで変化できます」
「魔力量といい、規格外だね。しかもあの、純度の高い魔力はどこから手に入れているのだろう?」
「セレナの報告では、道端の石を神様と呼んで、そこから魔力が市に流れたと言ってますが・・」
オリバーが信じられないが・・と付け加えた。
「それが本当なら、高魔力者なら流れが見える筈だね。・・・興味深いね。まだ帰したくないから、シェルドナールの方々には治療が長引くだろうと伝えておいて下さい。それから、彼女が滞在するところは、私の家にしよう。彼女達の食事が終わったらまた一度私のここ(執務室)に戻ってきてもらって下さい」
「かしこまりました」
オリバーは一礼すると、退室した。
オリバーが食堂に行くと、やけにざわついている。
人垣が出来ているのを、かき分けてその先に、市とセレナの額をデコピンした女性が、山のようにデザートを食べている光景が目に入った。
「何をしている。お前は魔王様の第2補佐官の秘書、サンディじゃないか」
オリバーに呼ばれたサンディは、眉を吊り上げて、嫌味ッたらしく顔を向ける。
「ああ、硬い男オリバーじゃない」
「ッ・・市様、その女と一緒にいると綠な事になりません。さあ、行きましょう」
オリバーが市に促すが、市の目の前には、取ってきたばかりのスィーツが沢山ある。
これを残して市が動くわけがない。
「オリバーさん、これを残すなど、もったいない。ちょっと待ってて欲しいのじゃが、よいかの?」
市のウルウル目攻撃に、オリバーが怯む。
「へー。カチカチオリバーも、市様には優しいんだ。じゃあ、市様どんどん食べましょう!」
セレナは上司のオリバーにも逆らえず、右往左往していた。
「オリバーさんはもう休憩時間かの?」
市に聞かれて、オリバーはまだ昼ご飯を食べていなかった事に気が付いた。
「まだです。これから食べます」
諦めたオリバーは注文をしにタッチパネルの方へ向かい、今日の日替わりランチを受け取った。席を探していたら、市が大きく手を振っているのが見えた。
が、天敵のサンディもいる。
「市様。手を振っても来ないわよ。頭の硬い男は私が怖いのよ」
ピキッと音がしそうな程、オリバーの額に血管が浮き出た。
「私には怖い物はありません」
そう言いつつ、オリバーが同じテーブル席に着いた。
「それにしても、このお菓子が最高に美味しくて止められぬ」
市が食べているのは、フィナンシェだった。
「市様この後、また魔王様の執務室に戻って頂きますが、そこにこのお菓子を用意させましょう」
「まだ、何か私に用がおありかの?」
魔族にさせられるのでは?と牽制する。
流石にお菓子では釣られないかと、オリバーは市に情で訴えてみた。
「先程、市様のコアの件で魔力を失った魔王様に、ほんの少しで良いので市様の魔力を注いで欲しいのですが、無理でしょうか?」
市の眉が下がった。
「そんなに魔力を消費させてしもうたのか・・・辛い思いをさせてしもうた。オリバーさん、今すぐ私は魔王様の所に行ってきます」
ガタンと立ち上がった市は、急いでテーブルを片付けて残ったお菓子はサンディに渡し、アオをだっこした。そして、急いで食堂を後にした。
オリバーに市に付いて行って欲しいと言われたセレナも、後に続いた。
後に残ったオリバーが安堵の表情をしているのをサンディは、見逃さなかった。
「オリバー、貴方何を企んでいるの? 市様は国に帰してあげるのよね?」
「君が出る幕ではない。彼女はこの国には欠かせない重要な方だ。首を突っ込むと魔王様に逆らう事になるぞ」
オリバーが睨むと、サンディが手を上げて、「やっぱり硬いわね。さっきは少しいい顔してたのに・・」
さっさと席を立った。
「市様こちらですよ」
セレナは広いホールに市を連れてきた。街中で見た銀色のポールが等間隔で10本設置されている。
アルトビスの時のように、それに触れると光の文字が現れた。
そして、55の文字を押して暫くすると目の前に急に人が現れ、その人達は赤い魔方陣から降りてきた。
セレナがその同じ魔方陣に入ったので、市も入る。次に景色が変わると先程の魔王の部屋の前に着いていた。
「今のはどういう仕掛けかの?」
「ああ、あれは10個の魔方陣が、私達の様な低魔力者の為に、魔方陣で縦移動をさせてくれるシステムです。あれがないと私達は、55階まで階段で登らないといけないですから」
「五重塔には登ったことがあるが、55階とは・・」
市には想像も出来なかった。
市が扉の前に立つと、勝手にひらくので、魔王の部屋にそのまま入っていく。
「まおうさ・・ノアはどちらにいらっしゃいます?」
探しながら入ると、入ってすぐのソファーに項垂れて座っている魔王を見つけた。
「ノア、大丈夫ですか?」
急いで歩み寄り、項垂れている魔王の前にしゃがんだ。
「ああ、市か・・つい、考え事をしていて気が付かなかったよ」
魔王が市に向けて飛びっきりの笑顔を見せた。
「無理せずとも良いのです。しんどい時はしんどいと言わねばなりませぬ」
「はぁー、やはり効かないか・・」
市に聞かれないように小声でボソッと魔王が呟く。
「何か申されましたか?」
「イヤ、何でもないよ。それより、後ろのセレナをこのソファーに座らせてやってくれないかな?」
「え? セレナさんどうしたの?」
戸惑う市に、「さあ、どうしたんだろうね? でもここに座らせておけば大丈夫だよ」と魔王がぼーっとしているセレナを魔法で座らせた。
「さあて、・・」
そう言って市に近付く魔王に、市の腕の中のアオが、「ブウオォオ」と威嚇した。
「ふ~ん、私が怖くないのか?」
魔王がアオに手を伸ばす。




