45 アシュバ大陸 (1)
市は額にびっしり汗をかき、人生で何度目かの恐怖に、体が硬直していた。
「・・・死ぬかも」
少し日にちを、遡る。
魔王様に、アシュバ大陸へ渡る許可申請すら届けられない状態が、続いていた。
トルベツ国が魔王の謁見に、同席したいと言い出して、シェルドナールと同じくしてアシュバ大陸に向けて出港していた。
魔王は人間族から数多の種族を守っている為、獣人族や亜人族が多く暮らすハドリー大陸や、魔族のアシュバ大陸への渡航をする者は、善と悪に分けられ、善と認識されれば大陸近くの島に上陸出来るらしい。
らしいと言うのは、善の基準が曖昧でとても狭き門なのだ。
観光、貿易等は金儲けとされ『悪』になる。心卑しき者も通れない。
つまり、今回シェルドナールからは市の事と、最近シェルドナールの北にある精霊地に邪気が僅かだが発生した件について、教示を受ける為の渡航である。
しかし、トルベツの用事は貿易等が主軸の考えなので、上陸出来る案件ではない。
これにより、やはりアシュバ大陸目前で、シャボン玉の様な不思議な壁に阻まれて前進出来なくなっていた。
トルベツの船はシェルドナールの船に寄り添う様に並んでいる。
「クソッ! アイツら俺達の船を利用して一緒に潜り込もうとしてやがる」
「追っ払おうぜ」
血の気の多い連中が、トルベツの船に向かって怒声を上げて騒ぎ立てる。
それを艦長補佐のトリス(ナギィの父)が制止する。
「待て。ここで争うとどのみちここから先には進めなくなる。アビス、駄目で元々だ。ここから魔王様に向けて願いを念話で飛ばしてみてくれ」
「・・やってみよう」
そう言って見たが、遥か向こうの陸地を見てアビスは眉根を寄せた。
(遠すぎる)
しかし引き返す分けにはいかない。
船の先端に立ち、一心にここを通してくれるよう頼む。
その日は何の手応えもなく終わった。
2日目はナギィも一緒に朝から必死に祈り、頼むが、何の変化もない。昼ご飯も食べずに念じていると、元海賊仲間も念じ始めた。それを見た念話が出来ない人達も念じるように祈った。
夕日が沈む頃に、どこからともなく現れた1頭の黒色ドラゴンが、船の上を何周も旋回してアシュバ大陸方向に去っていった。
甲板にいた全ての者が、その姿が見えなくなるまで、その方向から目を離すことなく見送った。
アビスは通信用の大きな魔石を設置している通信室で、ため息をついた。シェルドナールにいるユーグに一刻も良い知らせを送って安心させたいが、今日も報告出来そうにない。
「今日のドラゴンは何だったんだろうか?」
独り言をぽそっと呟いたその時、船員が騒ぎ出した。
アビスが通信室の椅子から立ち上がったと同時に、ドアがノックもなく勢いよく開けられた。
「艦長っ、海の壁が薄くなっています」
船員が鼻息荒く告げに来た。
アビスが見に行くと、前方の壁が今にも消えそうになっている。
この機を逃してはならないと、急いで前進の指示を出す。
裂けたカーテンをくぐるように壁の中に入る事が出来た。
この時、トルベツの船も一緒に中に入ったのだが、アビスは気が付かなかった。
そして、案内をするかの様に現れた黒色ドラゴンに付いていくと、そのままアシュバ大陸近くの島に入港する事が出来た。
上陸時に、報告としてユーグに「今から上陸するが魔王と謁見後にまた連絡する」という旨を伝えた。
『島に上陸』と、『大陸に上陸』の差違があった。
これが深夜の事だった。
翌朝、ユーグからアシュバ大陸に上陸の報告を受けたテオフィデールは朝食時に市にそのまま伝えた。
市は朝食後、ドレスから、キュロットとブラウスに着替え、早速ドラゴンのアオを連れて馬で城の外に出た。
「アオや。アシュバにはお前と同じドラゴンがいるそうじゃ。お前も友達に会いたいであろう?」
市と同じくらいの背丈に縮んでいるアオの顔を撫でながら尋ねる。
アオは嬉しそうに「フォー」と声を上げると、市の両腕に頭を突っ込んだ。
「よし。いいこじゃ」
市の声に喜んだアオは体を最大限に大きくし翼を伸ばした。
「私がアシュバの魔王様に会いに行くとき、アオも一緒に行こうのぅ」
市がそうアオに言うと、アオは何を思ったのか、市の体を優しく抱え羽ばたき始めた。
「アオ? どうしたのじゃ?」
ふわりと地上から飛び立った。
市は瞬時に解した。
「アオ!、行くのは今ではない!」
大声でアオに叫ぶが、興奮しているアオには届かない。
地上を見ると、護衛の騎士が大慌てで馬でおって来ている。
「市様ぁー お戻り下さい」
(そうは言うてものぅ・・)
「アオはこのままアシュバ大陸に向けて飛んでいくつもりの様じゃ。陛下にそう伝えて・・・」
最後の方は護衛騎士達に届かなかった。騎士達は追うのを諦め、小さくなるドラゴンの姿を見送るしかなかった。
正気に戻った騎士達がテオフィデールに報告しに行った時に脂汗を大量に流したのは言うまでもない。
一方市は、興奮状態のアオの説得に失敗し続けシェルドナールの最南端まで飛んで来ていた。
流石に海に出ると、泳げない市は恐怖で体がすくんだ。しかしアオは大きな手を器用に丸め、殊の外優しくかっちりと市を持っていたので、その内、市は安心から眠くなってくる。
うとうとしていた市の耳に、アオの大きな咆哮が突き刺した。
「アオ、どうした?」
驚く市の前にアオよりも数倍大きいドラゴンが立ちはだかるように、羽ばたいている。
今朝、テオフィデールから聞いた黒いドラゴンのようだ。
立派な黒光りする体表面は磨かれ様に美しい。
その黒ドラゴンがアオに向かって大きく吼えると急上昇した。
アオもつられるようにそれを追う。アオが追ってくるのを確かめた黒龍はいきなり急旋回し、錐揉み状態で下降する。
アオもそれに習い、急旋回した。そして、初めの「死ぬかも・・」になったのである。
錐揉み状態からの水平。
「かはっ」
漸く息が出来た市は、自分の意識がしっかりしている事に驚く。
(気を失うかと思うた。吐かぬとは、流石)
自画自賛の後、気を取り直して黒ドラゴンとアオを観察するとどうやら敵対している分けではなく、アオを試していた様だった。
再び黒ドラゴンが水面ギリギリを飛び、アオも続く。
海に大きく突き出た杭のような大岩を寸前で回避して急上昇。
アオの手の中の市は、ぶつかるっと心の中で叫び、目を瞑る。
暫くすると、フワッとからだが浮くような状態に驚き目を開けると、やはり大地は丸いのかと、納得できるくらいの高さまで上昇していた。
黒ドラゴンがアオに対峙して、にやっと笑ったような気がした。
そう、市にはしっかりそう見えたのだ。そして、次に起こる事が分かった。
「ギャー」落ちていく、墜ちていく、おちていくー・・・
漸く、海上で止まった黒ドラゴンに、市はくらくらする頭を押さえながら、再び飛ばれないように、大声で叫んだ。
「黒龍よ、私は魔王様に用事があっての、お会いしたいのじゃが、案内してくれぬか?」
「ふおー」
市を後押しするようにアオがほえる。
じっとその場で羽ばたいていた黒龍が、ゆっくり背を向けて飛んでいく。ついて来いと言わんばかりだったので、アオも察したのか後を追った。
暫く行くと、シェルドナールの船と見慣れぬ船が港に停泊しているのが見えた。その上を通りすぎ、さらに内地へ飛んでいく。
その内遠くからでも分かる、大建造物が建ち並ぶ大都市があった。
トルベツ国の城も広くて大きかったが、それとは比べようもない。
ガラス張りの洗練された高層の建物が建ち並んでいる。綺麗に舗装された道の脇に花や低木が配置されている。ビル群から少し離れたその一角に、芝生が一面に植えられた公園のような場所があり、黒色ドラゴンがそこに降り立った。
アオもそこに降りた。
「ランヴァイン、魔王様の許しもなく何故そのドラゴンを連れてきたのですか?」
黒いドラゴンに走り寄る女性がいた。
アオの手の隙間から真っ白な髪の女性が見える。
ランヴァインと呼ばれた黒色ドラゴンは、女性が近寄ると、見ろとばかりにアオに視線を移した。
女性は手の中の市に気付かずに、2・3歩アオに近づく。
「立派な青龍ですね。どこから来たのですか?」
アオが首を傾げる。
「ウフフ。素直なドラゴンのようですね。しかも良い目をしている。だからランヴァインは連れてきたのでしょうか?」
女性はアオの様子を見ながら更に近付いた。
市はアオの手の中から出る機会を失っていたが、思いきって声をかけた。
「あの~、私もこのドラゴンと一緒に勝手に来てしもうたのですが、少し宜しいでしょうか?」
急に声をかけられ、女性が帯刀していた剣を抜いた。
それに驚いたアオが翼を広げて威嚇する。
しかし両者の殺気も、ランヴァインの「グオオオー」という咆哮で冷静になる。
警戒していたアオだが、広げていた翼を大人しく折り畳む。
アオの態度に女性も落ち着く。
「すみません。剣を向けてしまい申し訳ございません」
女性は剣を収めた。
「いえいえ、急に声をかけた私にも落ち度がございます。驚かせてしまい、申し訳ございませんでした」
市が頭を下げるが、アオの手の中なので下げにくい。
「アオ、もう大丈夫故、手の中から出してはくれぬか?」
「フォー」
アオがほんの少しだけ隙間を開ける。
「アオよ、これでは外に出れぬぞ」
市の訴えにまた僅かに隙間を開ける。
その様子を見ていた女性が悪い者ではないと判断してくれたようだ。
アオにどんどん近付き、アオが怯む程だ。
「アオと言うのですね。お前の大事にしている者に傷付けたりしません。安心してそこから出してあげて下さい」
じっと考えていたアオがその手を漸く開いて市はそこから出る事が出来た。
「私はシェルドナールから来ました市と申します。先に来ている使いの者達と同様、魔王様にお会いすべくまかり越しました」
市がアオの手から出て挨拶をする。しかし、相手が暫く身動きもせずに市を見つめている。どうしたものかと考えていたら、漸く相手が我に返った。
「・・っ。失礼しました。私はドラゴンの世話を任されている、セレナと申します。以後お見知りおき下さい。・・ところで、青龍を従えて、しかも黒き髪と瞳の貴女は魔王様の縁者の方ですか?」
セレナが見入るような目で市を観察している。
言われた市がびっくりした。
「いえいえ、私はここに縁者も知り合いもおりませぬ」
大物の縁者と間違われて、飛んでもない事になる前に、全力で否定した。
「そうですか・・よかった~」
セレナは先ほど市に向けて剣を向けた事が、大事にならずホッとしていた。
その様子から察するに魔王はとんでもなく怖い方なのではないかと、市の気持ちが萎えた。
想像しているのは、閻魔大魔王様である。
しかし、ここまで来たなら引き返す分けには行かない。市は気合いを入れ直してセレナに尋ねる。
「今私は病にかかっております。その事で是非、魔王様にお会いしたいのですが、取り次いでは頂けぬでしょうか?」
セレナの瞳をじっと見て誠意を示そうと思ったが、市はふと目を逸らしてしまう。
「どうされました?」
ふいに目を逸らされたセレナは、市が他に裏があるのではと、警戒した。
「いえ、そのセレナさんの紫の瞳の色が美しゅうて、目が離せなくなりっそうだったので、その前に逸らしてしまいました。他意は御座いません」
正直に話したことで、セレナの信頼は取り戻したが、不思議そうにする。
「私達にとって、黒い髪に黒い瞳を持つ貴女の方が興味深いですけどね」
セレナが羨ましげに黒い髪の毛を見ている。
「この世界では、黒い色は珍しいのやも知れぬが、私の元居た国では誰もがこの色でした」
市が黒髪を摘まみながら言うと、セレナはハッとして瞠目した。
「もしかして、異世界の方ですか?」
「そうです」
市が答えると、セレナは嬉しそうに市の手を握った。
「黒髪の方で触れる事が出来るのが嬉しくてつい握ってしまいました。すみません」
市は全く意味がわからず首を傾げた。
「この国は髪の毛の色で、そのように差があるのですか?」
「莅魔人は髪の色や瞳の色が濃い程、魔力保有量が多いのです。漆黒の黒髪をお持ちの方は一握りしかいらっしゃらず、お目にかかることも滅多に有りません。私のように白い髪は、莅魔族の中では最低量しか魔力は有りません。殆ど、魔力の多い人族と変わりないかも知れません」
セレナは美しい紫の目を少し伏せる。
「あっ、ごめんなさい。魔王様の所にご案内しても良いのか、連絡しなければ行けないのに・・・少し待ってくださいね」
セレナは沈みかけた気持ちを持ち上げるかの様に、グッと顔を上げて微笑んだ。




