43 免疫力
市が乗った船がシェルドナール王国の港に着いた時、走ってきたテオフィデールに、長時間(市には永遠にも近い5分間)、皆の前でハグされ、市は顔から火が出るという経験を初めて味わった。
クタッとなった市を抱きかかえたままテオフィデールは馬に乗り、リンダーホーフ離宮に着いた。
「顔をよく見せろ。少し痩せたんじゃないか?」
テオフィデールの顔が近過ぎて、市は息を止める。何故だか息の仕方を忘れてしまった。
市はテオフィデールと離れていた間に、自分の(テオに対する)免疫力がゼロになっている事に気が付いた。
(少しずつ耐性をつけていきたのに、こんなに接近しては心臓が持たない・・)
そう心配してしまう程、テオフィデールが市に触れる度にドキドキが激しくなる。
「あの・・ずっと海風を浴びていたので髪も肌も塩でベタベタしておる故、お風呂で流しとうごさいます」
胸の動悸を静める為にも、一旦テオフィデールから離れようと考えた。
テオフィデールは離れたくなさそうだったが、「俺は全く気にならないが・・市がスッキリしたいなら仕方がない」と言って、侍女にお風呂の準備をさせた。
湯浴み支度の為、市が自室に入ると待っていたマリーが立ち上がり振り返った。
「おがえりなざいぃぃ。いじざまぁぁ」
マリー目の回りは泣き腫らして、赤くなっていた。
「心配掛けて、すまなんだのう。シェルドナールに帰って来たからには、もう大丈夫じゃ」
マリーの頬を優しく撫でると、我が家に帰ってきたようで、とても落ち着いた心持ちになる。
「はい、もう大丈夫です。私はもう、お側を離れません」
市の体を得体の知れない病が、蝕んでいて、市が大丈夫ではない事を、ユーグからの報告で聞いていた。
しかし、未知の病を患っている市に対して、回りが悲観的にならず、いつも通り接する様にとテオフィデールから指示があった。
マリーも泣きはしたが、指示に従っていつも通りに、お世話する。
着替えも終わり、スッキリした市はテオフィデールとの距離の取り方を考えた。
迂闊にもテオフィデールの熱い吐息が首筋にかかった時の事を思い出し、自然と顔が赤らむ。
どうして、テオフィデールの顔を思い出しただけで、胸が苦しくなるのか、市には分からなかった。
「市様。お顔が赤いですけど、お熱があるのではありませんか?」
マリーが心配して、市の額に手をやる。
「だ、大丈夫です。熱ではなくて・・暫く離れていたら・・その、陛下が近くにいると・・なぜかはわかりませぬが・・動悸がして辛いのです」
しどろもどろ説明をする市を見て、マリーが市の手をぎゅっと握る。
「分かります! 市様の今お気持ちは、手に取るように分かります」
「本当に?」
本人すら理解出来ないのに、マリは分かるのか?と市は驚きマリーを見る。
「きっとお二人は離れている間に、どんなにお互いが大事な存在だったのかを再確認しあったのですわ。あーステキ・・・」
マリーは夢見るように、うっとり話す。更に続ける。
「そして、いざ会ってみると気持ちの整理がついていない状態。それでドキドキがまだ何かを理解できないでいるのですね? でも、会ってそれが『愛』だと確認するだけですわ!」
マリーは芝居仕立ての様に、身振り手振りで話す。
「愛・・?」
浅井長政に嫁いだ時、結婚してから『愛』は後から育んだ。
柴田勝家は愛というより、もっと落ち着いた『慈愛』だった。
(これが愛なのだろうか? では、お互いの愛を確認する作業はどうするのじゃ? 私だけが愛してるという可能性もあるのでは? テオはどう思うておる?)
「マリー、相手がどう思うておるのかは、どう確かめたら良いのだろう・・?」
俯き、顔を真っ赤にしながらマリーに尋ねる。
マリーはそんな市の背中を優しく擦る。
「市様。それは女の上級者と初級者ではやり方が違います。上級者は愛の駆け引きを楽しむ方もいらっしゃいます。ですが、初級者ですと・・」
「初級者なら・・?」
ずいっと市が前のめりになる。
「それが分かれば、私も苦労しないです。けれど、市様。初級者は初心者らしく当たって砕けろ!です。お互いに頑張りましょう」
マリーがぐっと握った拳を突き上げた。
「お互いにとは?」
市が首を傾げて聞くと、マリーは慌てて誤魔化した。
市は皆が戸惑いながら頑張っているのだと思ったら、勇気が出た。
(マリーの思い人とは誰であろう?)
そこが大変気になった。
久しぶりのディナー。マリーが腕によりをかけドレスを選び、着飾り、市の黒い髪も美しくアップし飾り付けた。
「市様、大変美しいです。どんな男性も虜になりますわ」
マリーが気合いを込めて選んだドレスは、いつもより胸元が空いた大胆な衣装だった。
「このドレスは胸元が少し心許ないのじゃが、大丈夫かのう?」
「市様は細身なのに、胸元が豊かなのです。これを機に是非、陛下に知ってもらいたいのです」
市のテオフィデールへの気持ちを知ったマリーの猛攻が激しい。
胸の布地が少ないのを、気にしている市を、マリーが陛下の待っている談話室へと手を引いて連れていく。
「お待たせしました。市様をお連れしました」
市が部屋に入ると、テオフィデールが座っていたソファーから立ち上がる。
しかし立ち上がったまま、何も言わず動かない。
(ドレスが気に入らなかったのか?)
市も戸惑い、そのまま立ち尽くしていると、見兼ねた執事ニコラが市をソファーへ導いた。
二人は座ったが、会話が始まらな
い。
(陛下も市様もおかしい。どうした?)
ニコラが気を揉むが、マリーだけは二人の心の中が手に取る様に分かる。
(今、陛下ってば市様の艶やかなドレス姿を見て、雷に打たれた様に動けませんでしたわね。頑張った甲斐がありましたわ。それに市様も見つめられて、恥じらってましたわ。あーもう焦れったいいーィ)
「市、久しぶりのディナーなのに、領主との会食を、リンダーホーフ宮殿でする事にしてしまい、すまない」
市を迎えに南部の港まで来る事を引き換えに、アイレスからリンダーホーフ離宮で、周辺領主との会食をセッティングされてしまったのだ。
しかし、これは海賊達の漁業の復興のために、市も望んだことである。
「そろそろ用意も調った様です。2階の大会食の間にて、皆様お揃いです」
ニコラが促すと、漸くテオフィデールが市に話し掛ける。
「大丈夫か?」
優しい声で市を労る。
「はい。体はぴんぴんしております」
テオフィデールが差し出した手を取り、市が横に立つ。
前に何度もしていた動作なのに、今日は何だか面映ゆい。
大会食の間の扉の前で、テオフィデールの顔を見上げると目があった。
途端に、テオフィデールが視線をそらした。
たったそれだけの事だったのに、市は小さな衝撃を受けた。
(何故、今私は胸が痛んだのであろうか?)
扉が開かれ、慌てて笑顔を作ったが強ばっている。
テオフィデールの隣を、今まではどのように歩いていたのかわからない程に、気持ちが不安定になっている。
席に着き、食事が運ばれてきた。
テオフィデールの隣に座っている、若い領主の娘がずっとテオフィデールの腕や肩を触っているのが気になり、食事どころではなくなる。
(あぁ、また触っておる。テオフィデールもまんざらではない感じで笑っている)
「・・ち様」
「え?」
市が我に返ると、隣のウェルト男爵が話し掛けている事に気がつく。
(しっかりせねばならぬ。ここでしっかりと情報収集と交流を図る事に重きをおかねば・・)
「これからは、海賊の出現が減ると聞いております。私達の様に海岸線沿いの領地を、持っている者としては、本当にありがたい」
商船を幾つも持っているウェルト男爵が嬉しそうに、身振り手振りで今までの秀逸な貿易品の紹介を、市に話す。
ウェルト男爵の領地は、トルベツ海域から軍港と天領の南部の町以外では、一番近い港を、有している。
そこでウェルト男爵から、市は聞いたことのない他国の品々を聞き、それらと自国の物を、組み合わせで新たな商品と成り立つ物はないかと考える。
「今度トルベツ海域から、魚を大量に買い受けしようと思うております。干物だと日持ちは2週間と、生より格段に長持ちします。それをシェルドナールの海から遠い領地に、商売出来ませぬか?」
「干物とは?」
ウェルト男爵が食い付いてきたので、丁寧に説明をする。
「なるほど、焼いて食べるだけなら、いけるかも知れません。しかし、干物ばかりでは飽きられますね。もし、何か良い加工方法があれば、我が領土の隣に位置するサエカ領を、加えて頂く事は出来ますか?」
「サエカ領・・?」
市は頭の中の地図を広げてみる。
「我が娘の嫁ぎ先なのですが、領地経営がうまく行っていないようなんです」
「すぐには返答出来かねますが、考えましょう」
市がそう言うと、ウェルト男爵が、安心したように頷いた。そして目の前のサラダを口に運んだ。
(この世界では、冷蔵という技術があるゆえ、もっと他の加工方法を模索中しておる所じゃ。先ずはテオに相談せねばならぬ)
市は全てを語らず、加工についてどの領主に任せれば良いのか思案している所だった。
ウェルト男爵は手広く商売しているので、それぞれの領地の特産物に詳しかった。その話のお陰で、テオフィデールと若い娘の会話に気を取られる事もなく、会食を終える事が出来た。
その後の会談は、場所を変えて行われた。
社交界では会食の後、男性と女性に分かれてサロンに入る事が多い。
市は女性の招待客に声を掛ける。
「我がシェフが新しいスイーツを考案しましての、是非皆様に一番に食して頂こうとこちらの部屋に用意しております」
そう促すと女性陣が一斉に、応接室に流れる。
そうすると自然にテオフィデールを中心に、男性は少し離れたシッティングルームに移動した。
この時、ずっとテオフィデールの腕を触っていた領主の娘が、あろう事か男性陣の方に付いていってしまった。
市は先に部屋の中で、ご婦人方の対応をしていたので分からなかった。
大体のご婦人が席について、市がさっと見渡した時に、気が付いた。
市はテオフィデールが察してその娘をこちらに行くように、促してくれるだろうと思った。
しかし、いつまで経ってもその娘は、こちらの部屋に来ない。
和やかに、シェフのスイーツを堪能しているかに見えて、内心の市はイライラしていた。
(どうせ、テオも所詮は男じゃ。きっと今頃、鼻の下を伸ばしておるに違いない)
フンッ
ガッ・・突然市が小さなフィナンシェをフォークでぶっ刺した。
一瞬全ての話し声が止まり、シーンとなった。
「上手く刺さらず力が入ったようじゃ。おほほほ」
市の笑顔で再び話が再開された。
今日は市の体調を考慮して、早めのお開きとなった。
漸く2人なれたが、市のモヤモヤは一向に収まらない。
「疲れたか?」
テオフィデールが市に近寄り、頬に手をやる。
市は一歩下がり、スルッとテオフィデールの手を躱してしまう。
「どうした?」
テオフィデールは怪訝な顔で、手を下ろす。
「うー、何だか今日は嫌な気分がするゆえ・・」
市は自分で避けたのに、テオフィデールの手が頬から離れた瞬間、寂しくなった。でも、そのまま触られているのは、悔しかった。
「気分が悪いのか?」
心配そうに市の顔を覗き込む。
その顔を、じっと見たまま市は考え込んでしまう。
(自分でどうしたいのか、分からぬ)
市の態度が今までと異なり過ぎて、テオフィデールは戸惑っていた。体調を心配し、更に問う。
「何があった?」
テオフィデールは市との距離を詰め、抱き締めた。
その声は優しくて、市の心を落ち着かせる。
テオフィデールの優しい手が、市を素直にさせる。
「私もよう分からぬ。テオの腕を隣の娘が触れているのを見たら、何だか・・・」
この後の説明は、当てはまる言葉がなく思い付かない。
「何だか?」
何故かテオフィデールはとても愉快そうに、市の次の言葉を促す。
「心の中が、ムカムカ? 少し違うのう・・」
考え込んでいる市の様子を、嬉しそうに見ていたテオフィデールが市の気持ちを言い当てる。
「何だか落ち着かないし、イライラするし、娘に手を触らせている俺にも腹が立ったんじゃないか?」
「その通りです。ところでテオは何故そんなにご機嫌なのです?」
市の気分が良くないと言っているのに、満面の笑みのテオが腹立たしい。
「そりゃ、好きな女が嫉妬してくれてるんだ。嬉しいだろう」
「嫉妬・・私が?」
自分がそんな浅はかな事をするなんて・・と絶句してしまった。
「俺もさっきは面白くなかったよ。ずっとお前がウェルト男爵と話し込んでただろう?」
「あれは、大量の魚を売り捌ける新しい商売と道筋の確保を話していただけじゃ」
テオフィデールも会食の時はイライラしていたが、今は慌てる市を眺めているだけで、心が満ちてくる。
市の顎に手を当てる。市が驚いた様子だが逃げるでもない。
そのまま、市の柔らかな唇に口づけた。お互いの愛を確かめ会うように、長く口付けをかわす。
市は逃げようとしたが、体が動かない。今漸く自分の気持ちに素直に向き合った。
「漸くお前を捕まえた気がする」
市の艶やかに光る唇をテオフィデールが愛おしそうになぞる。
「このまま抱いてしまいそうだ」
2人は医師から、市の原因が分からない以上自重してください、と言われていたのを思い出す。
「今日は疲れただろう? ゆっくり休め」
「テオも私は大丈夫ゆえ、ゆっくり休んで下さいませ」
そう言いながらもお互い抱き合ったまま、離れようとしない。
再び唇を重ねた。
離れ難かったが、最後は「おやすみ」の軽いキスで2人はそれぞれの自室に戻った。
「早うにこの病を治さねば、気持ちの疼きで体が持ちそうにないかも知れぬ・・・」
ベッドでどきどきしながら横になった市がそう思っている時、テオフィデールも同じ気持ちで、長いため息を付いていた。




