40 カピス島(1)
カピス島は大きい島だが、殆ど住める土地がなく、僅かな面積で人々は暮らしている。
以前は居住地の面積も広かったのだが、人間が先に住んでいた亜族や獣人族を蔑ろにし始めた。
それを知った島の所有者である魔族の中の上位種である莅魔族が人間を追い出す為に邪気を放出する樹木を増加させて、『黒い森』を広げたからである。
そんな島に来たのは、ユーグがこれからのシェルドナールの海軍増設に欠かせない人物がいると言うので、会いに来たのだ。
シェルドナール国と国交がないので、様子を見ながらの接岸である。
「漸く着きました。しかし、シェルドナールの船で寄港したので、お互いの動向が手探り状態です。島民がどの様な行動を取るのか分からないので、市様は私達が戻るまで、絶対に船を降りる事のないようにお願いします」
ユーグが何度も何度も念押しし、
「くれぐれも」
と再度言い残し、出発した。
ユーグと数人の亜人達が船から見えなくなるのを甲板で見送りながら、市は憮然としている。
「あのように何度も釘を刺す程、私は信用されてないのかのう?」
「・・・」
シモンが、市から視線をずらす。
「ほう? そなたも私が下船して、遊び呆けるとでも思うているようじゃの?」
「いえいえいえ、その様に思っている訳がある筈があるかなしかで言ったらどうなのでしょうか?」
シモンは、恐ろしい早口で言ってから、自分の言ったことが最後は分からず首を傾げる。
「そこまで、皆に期待されておるのに、下船せぬのは申し訳ないのう」
言うなりタラップを、下りていった。
「うん、市様なら船でじっとしてるなんて、思いません。やっぱり市様です?」
シモンは自分で言っておいてまた、「あれ?」っという感じで再び首を傾げる。
「ふっッあはははははは」
市はその様子がツボにはまったらしく、お腹を抱えて笑う。
その時、市の上にマントが広がってフワッと音もなく落ちてきた。
シモンが、逸早く異変に気付き、市の前に立ち、剣を構えた。
「なぁんだ、あんたか。どこかのご令嬢が大口開けて笑ってるから、見に来ただけだよ。剣を下ろしなよ」
どこかで聞いた声だと思い、シモンの体越しにヒョイっと見る。
いつか見た、狐の神様がそこにいた。
「お稲荷さまぁ~」
言うなり、市は深々とお辞儀をする。
訳が分からないシモンは、剣を構えたまま、市と獣人を交互に見る。
「あー、また始まったかー」
狐の獣人は、手を額に当てて天を仰ぐ。
「おい、俺は神の使いじゃないって言ってるだろう。俺の名前は『いなり』じゃなくて『カイル』だ」
「分かりました。カイル様」
「様はいらねぇ。カイルでいいよ」
「しかし、その我が国では、あなた様のそのままのお姿が奉って居るのです。それゆえ、呼び捨てには出来ませぬ。しかも、カガン伯爵領でミラから助けてくれました。ですから、呼び捨てという訳にはいけません」
強く言い張る市にカイルは次の言葉が出ない。口をパクパクしているカイルにナギィが、抱き付いた。
「カイルー、久しぶり~」
「お、ナギィか。心配してたんだぜ」
言いながらカイルはチラッと市を見た。
「この子を助けてくれたんだってな? 有り難う」
「おお、恐れ多い事です」
また、市はカイルを見ながら拝んでしまう。
「何か調子を崩されるな。まぁいいか。それより、何でお前はこんな所に居てるんだ?」
拝んでる市に代わって、シモンが説明した。
一通り説明を聞いたカイルが、「うーん」と唸る。
「もしかしたら、探しているのは、俺かも知れないな」
「カイル様はユーグを、ご存知なのですか?」
市がびっくりして立ち上がる。
「はい、私の護衛騎士でした」
声に驚き市が振り返ると、ユーグが真後ろに立っていた。
そして、懐かしそうにカイルを見ている。
「「「ユーグ」」様」
三人が一斉に呼んだ。
その声に微笑むユーグを見て、カイルが跪く。
「母君をお守りする事が出来ず、若君の救出にも向かえず、申し訳御座いませんでした」
「もう跪かないで。カイルが、最期まで母を守ってくれた事は知っている。重傷を負ったのに私を探してくれていた事も知っている。ずっと言いたかったんだ」
ユーグはスッとしゃがんで、カイルの跪いてる肩に手をおいた。「カイル、有り難う」
カイルは少しの間、俯いたまま動かなかった。
市とシモン、ナギィの三人は久しぶりの再会に水を差してはいけないと思い、ゆっくりとその場を離れようと一歩移動したと同時に、市はユーグに腕を掴まれた。
「それより、市様は何故、ここにおられるのですか?」
顔を上げたユーグの目がかなり怖い。
「シ、シモンが私の下船を期待しておるような素振りだったので、つい・・の?」
助けてくれと言わんばかりに、シモンを顧みる。
「シモンはその様な事はしません!」
ユーグの片眉がピクッと上がる。
(綺麗な顔が怒ると本当に恐ろしい)
市は神妙な様子でジーッとユーグの顔を見ながら、「ごめんなさい」と素直に謝った。
(くッ、可愛い)顔を弛まさせたユーグは誰にも見られないように、後ろを向きながら、
「もう、危ない事は止めてくださいね」
とだけ言った。やはりユーグは優しい。
ユーグの怒りが収まったと安堵した市は、二人にゆっくりと時間を取って話して欲しいと思った。
「私の話で、ユーグとカイル様の再会の感動を遮ってしもうた。是非ともカイル様、船に部屋を用意しますので、ユーグと積もるお話も御座いましょう。そこで御歓談下さいませ」
「市様、有り難うございます。カイルには相談もあるので、そうさせて頂きます」
ユーグはにっこり微笑みながら、市をタラップの前まで手を引き、そして、再び市を乗船するように促すユーグの目力が、怖い。
「さぁ、市様。お戻り下さい」
「も、もちろん船に戻って大人しくしてます」
少し肩を落として、市はタラップを上り船に戻った。
船内に戻ってユーグとカイルが、話し合えるように、市が使っていた貴賓室の応接室を使ってもらおうと案内した。
「ゆっくりと心行くまで、お話しして下さいませ。では」
市が部屋を出ようとすると、ユーグが、引き止める。
「今までの事もありますが、これからの話しもあります。市様も一緒に聞いて頂きたい」
ユーグが、幼い時に別れて以来の話しもあるだろう。そこに居て良いのだろうかと、一瞬戸惑ったがユーグの目が「聞いてて欲しい」と訴えているので、市は頷き座った。
「飲み物が欲しいな。酒でもいいよ」
そう言いながら、カイルが市の目の前に座る。
肝心のユーグは、市の後ろに立っている。
「?? ・・・ユーグ。そこに居ては話しも出来ぬであろう?」
「え?」
市は立ち上がり、市の後ろから動きそうにないユーグの手を引っ張り、ソファーの前に立たすと「えいっ」と突飛ばし、座らせた。
おろおろするユーグの横に、どかっと市が座る。
「うむ、これで良い」
納得した市が、居心地悪そうなユーグを無視してカイルに尋ねた。
「カイル様はトルベツで、ユーグの護衛騎士でしたか」
「ユーグ様の母君がカピス島でトルベツの王に見初められました。そして、嫁がれる時に幼馴染みで剣術が出来た私が、護衛として一緒に宮中に付いて行きました」
「小さい頃はカイルに剣術を教えてもらいましたね。お陰でシェルドナールで役に立っています」
ユーグが嬉しそうにカイルに微笑み掛けると、カイルは眉根を寄せて、少し表情が固くなる。
「私が剣術を教えていた理由は、トルベツのボンクラな兄王子達に代わり、いつの日か優秀なユーグ様が王に立って欲しいと思っていた。それ故に剣術は厳しく稽古をしていました・・」
カイルはユーグの顔の傷を、悲しげに見ていた。
それに気付いたユーグが、傷を擦る。
「もう痛くないし、これはカイルのせいじゃない」
ユーグの言葉を聞いても、カイルは顔をしかめたままだった。
「ユーグ様がシェルドナール国に落ち延びられたと聞いて、何度も会いに行こうと思たのですが、守れなかった上に、どの面下げて行けるのかと自問自答していました」
市はふと思い出した。
カイルはミラが傭兵を集っているとどこかで聞いて依頼を受けたのも、シェルドナール国だったからではないだろうか?
またシェルドナールの船がカピス島の港に着いたと聞いて、逸早く見に来たのだろう。
ユーグはグッと前のめりでカイルに話す。
「カイル。今の私を見て下さい。辛そうに見えますか? きっとトルベツにいた頃より、自由で何より前を向いて生きています」
カイルがユーグの顔を見つめ直す。そこには、トルベツの王族達による差別に、苦しんでいたユーグの姿はどこにもなかった。
「ユーグ様はトルベツ国で、王弟として国務に携わろうとお考えですか? もし、その気がおあり、なら、私は再びあなた様の騎士としてお守りしたい」
カイルの申し出に、市の呼吸が止まり、手が震えた。
(ユーグはどの道を選ぶのであろうか? どの選択をしても、ユーグを笑顔で送り出してあげねば・・)そう腹を決めると、ゆっくり息を吐きだした。
「私はシェルドナールにて、市様が新たに作ろうとしておられる海軍で、王を支えて行こうと考えています。それでカイルも共に働いて欲しいと思っています」
思いも寄らないユーグの言葉に、市は息が止まる。
シェルドナールに残ってくれるのは嬉しいが、王宮騎士を辞して海軍とは、寂しい気持ちに心が沈むが顔に出しては行けない。そう思うが顔が上げられない。
(これ程、己が駄目なおなごとは思わなんだ)市は自分の頬を、両手でパンッと叩く。
隣のユーグもカイルも大きな音にビクッととし、音のした市の方を恐る恐る見た。
「市様。私の決意を、お許し頂けないでしょうか?」
ユーグが心配そうに尋ねる。
「いえ、ユーグ以外、適任者はいないでしょう。航海術に長けて、尚且つ、海賊達や獣人の気持ちも組んで上げれる人物は、他にはいないであろう。故に、私は・・」
(ユーグも自分が適任だと思い、私もそう思う。言いたくないのう・・)
市の言葉の続きを待っているユーグとカイルを見て、覚悟を再度決める。
「ユーグに海軍海将をと考えております・・・」
最後の方は声が出なかった。
「いえいえ、海将だなんてその様な器ではありません」
慌てるユーグを無視して、カイルが、うんうんと頷き納得している。
「ユーグ様が海将なら、私は側で支えましょう」
(あー、どんどんユーグが離れて行く方向で、話が進んで行くのう。後押ししたのは自分か)
脳内で市が一人ツッコミをしている顔を、カイルが得体の知れない物をみるような目付きで視線を寄越す。
「えーっと、お前のその顔はどういった感情の現れなの?」
カイルの質問で、ユーグも市を覗き込んだので、至近距離で市とユーグは目が合った。
市はユーグの顔が、晴れやかなになった気がした。
この顔を知っている。男が目標を持ち、前を向いた時の顔だ。
「良い顔をしておるのう。私の今の顔は、ユーグの門出を心から喜んでいる顔じゃ」
市は寂しさを隠して、満面の笑みを浮かべる事に成功した。




