35 トルベツ(5)
リベルは、執務室でソファーに深く腰掛けながら、のんびりと資料を読んでいた。
「はぁ~。船を出せない変わりに山脈の道の整備をして欲しいって言われても、資金のめどがねー・・」
トルベツ王国は南の隣国シェルドナールの国境はソシュー山脈で阻まれ険しい道しかない。東は海。西の隣国はリュッセン王国でこちらにも山脈で塞がれている。もともとリュッセン王国は好戦的でお互いに牽制しているので、この山脈は好都合だったが、現在海が使えない状態では山に囲まれた地形が恨めしい。
海賊さえいなければ船で貿易が可能なのに、この八方塞がりな状況に苛立った。
天井を仰ぎ、やるせない気持ちをため息と一緒に吐き出す。
(ん?)
外がとても五月蝿い。
外の衛兵や政務官がワーワー騒いでいる。
「お待ち下さい。今、お伺いを立てて来ますので、お待ち下さいー」
リベルは猪のように突っ込んでくる者を知っている。
自分の執務室にそんな風にやって来るのは1人しかいない。
(市が来た。頭の痛い時に、容赦なくやって来る)
リベルは、市の勢いを誰にも止められない事を知っている。
執務室の奥の机に歩きながら、身なりを整え、臨戦態勢を取り椅子に座る。
コココココン
速い。ノックの速さと連打が通常ではない。
「はい、どう」
ガチャ
(最後まで言わせろよ)
リベルは心の中で舌打ちする。
しかし、市の体から出る、憤怒の炎を感じ、生唾をゴクリと飲む。
ツカツカと近付く市。
「お願いが、ありまする」
「な何だ?」
(このお願いは聞かないと、危険なやつだ)
リベルの背中にひんやり、汗が伝う。
「海賊の子供を私に渡して欲しい。そして、その子を連れて、今すぐにカピス島に行きます」
「海賊の子供を? 解放出来る訳がないだろう」
海賊のせいで何度も煮え湯を飲まされているのである。
子供とはいえ、海賊である。
流石のリベルも聞く分けにはいかなかった。
「今すぐ解放しないと、海賊を取り締まる事は出来ません。それに契約書に遣り方は私に従うと書いております」
市にも思惑があり、この件では退くわけにはいかなかった。
この事がきっかけで海賊と今、衝突が起こったら市の計画は頓挫してしまう。
それに、何より子供を救いたいと言う気持ちが強かった。
「例外は認められない・・」
リベルも踏ん張る。
市はリベルの答えに顔をしかめた。
貿易を邪魔されて、国家にとっては大損害を被っている。
その真っ只中に解放出来ないのは理解出来る。
「王が今までの決定を覆す事は、下の者に示しがつかないのであれば、『新しい機関である海賊対策本部が処分する』、と言うのはどうであろう?この件はメンツ等と言うていられない程、繊細な事柄なのじゃ。今から私が行う為の大事な足掛かりなのです」
市が徐々に近付き、リベルの執務室の机に乗り出して説得をするので、リベルは椅子にのけ反った状態で市の話を聞いている。
市の後ろに控えているユーグに視線を移そうとするが、目を合わせられない。
「う~ん、それでいいのか?・・いや、そのこの問題は・・どうしようか・・」
リベルは返答を後回しにして、後でヤクプ宰相と話し合おうと考えていたのだが、市はその返事をなんとも都合良く受けとる。
「では、そのように。私は一週間程、留守に致します」
「は?」
リベルが良し悪しの判断を決めかねている間に、市はリベルに一声掛けて部屋を出ていった。
(嵐の様だ)リベルはほっとしたが、このまま市の好きにさせていて良いのか? いや、駄目だ。海賊の子供の件を市と大臣らでちゃんと詮議しなければと、市を呼び戻そうとした。
しかし、過ぎ去った嵐を呼び戻す事はしたくない。リベルはあれこれ考えた末、海賊の子供の処遇を市に任せる方法を取ることにした。
市は港に船を探しに来たが、人影がない。
大きな帆船が並んでいるが、最近動かした形跡もない。
漸く港で見つけた人も、散歩している老人だった。
「大きな帆船ですね」
市は愛想良く声を掛けた。
「この船で北回りや南回りでどこの国とも行けたんだが、海賊が出てからは、ご覧のとおり港の展示物のようになっている。帆を張って動かしてやりてえなぁ」
船を見ている老人は元船乗りで、活気がない港の様子は寂しいと帆の無い船を見ていた。
「この船は帆を上げれば動くのですね? 私、船が必要なのです」
市が期待を込めて聞くと、老人が乗組員の人数をきいてきた。
「2・・いえ3人です」
市が答えると大笑いされた。
「そんなに少ない人数ならこんなでっかい船は無理だな」
老人は乗組員と目的地を言うと、それに沿った船の持ち主の情報を教えてくれた。
さらに、その持ち主は今も大事に持っていて、手入れを欠かさずしている筈だから、すぐに使えるんじゃないかと教えてくれた。
港で情報を集めるのに奔走してくれていたユーグと合流し、先ほどの老人の話をした。
「すぐに訪ねましょう」とユーグは言ってくれた。
海岸のすぐ近くに、中々立派なお屋敷がある。
白い壁が、青い海の近くでは神殿の様に見える。
貴族の家でもないのに、この豪邸は・・・と思ってしまった。
流石は豪商。シェルドナールの貴族の家でもこれだけの城は中々見られない。
市は怯んだ気持ちをユーグを見て持ち直した。
門の前に立っている門番に、ユーグが船の事を聞くと、建物の主人に伝えてくれた。
門番に案内されて、屋敷の中に入るとぷっくりお腹の出た優しそうな主人が現れた。
主人はユーグを見ると驚き、そのまま銅像のように動かない。何事かと2人で主人の様子を見ていた。ユーグが声をかけようとした時、その主人が漸く震える声でユーグに尋ねた。
「貴方はユーグ殿下では、ございませんか?」
ユーグが一瞬躊躇ったが、頭を下げてお辞儀した。
「・・・はい。私はユーグですが、今はシェルドナールの王宮騎士をしております」
主人は懐かしそうに、ユーグを見ている。
「シェルドナールで逆境を生き抜いておられた事は聞いていました。あぁ、天に感謝します」
男の優しげな目の縁が、少し赤くなった。
「すみません。驚かれましたね。私は貴方の母の従兄の、ホセ・フリーズ・ブルノンと言います。貴方のユーグ・ホセ・リオンヌのホセは私から取ったんですよ」
ホセは嬉しそうに笑うと、痩せればユーグに似ていなくもないかと思わせる目元だった。
「貴方の母テレサは、妹のように可愛くてね。王家に嫁ぐと聞いた日は・・・いやいや、年を取ると昔話が長くて、いけませんね。下男にカピス島に向かうと聞いたのですが、貴方がかの地に向かわれるなら、私の最高級の船をお出ししましょう」
「・・・この地に私の親戚筋がいる事を、初めて知りました」
ユーグは少し感慨深げに、ホセを見ていた。
倉庫に向かう道すがら、ユーグの母の幼い時の話を教えてくれた。苦労していた事しか知らなかったユーグにとって、嬉しそうに聞いていた。
その後、船の使用目的を聞かれた市が、海賊対策で動いていると話すと、とても興味を持って聞いてくれて他に必要な物があれば用意すると言ってくれた。
「私は、貿易で商売をしています。しかし、海賊が横行し流通が儘ならない状態なので、今は休業しています。この状態いが早く終わるなら、いくらでもお手伝いしましょう」
「それは、ありがたいです。では、早速、船を見せてもらえますか?」
大きな格納倉庫の扉は1人では開く事が出来ず、下男4人がかりで開けてもらった。
中に置いてる船を見せてもらう。入ると入り口付近に1艘、ポツンとあった。
「・・・」
(思っていた船より、ちょっと・・いや、かなり小さい)
市が見ている船と言うよりは小舟。池に浮かぶ手漕ぎボートがこの広い倉庫にポツーンとあった。
市はこの小さい舟に、目が釘付けになるほど動揺していたが、隣のユーグは船を見て目を輝かせている。
「うん。良い船ですね」
「風魔法で巧く風を使っえば中々の速度が出るぞ」
2人は、船の話で盛り上がっている。
「おほほほ、ユーグちょっと良いかしら?」
ひきつった顔の市がユーグの服を慌てて引っ張り、こそこそ喋る。
「ユーグ、あの舟、いくらなんでも小さ過ぎませぬか? 大海原に漕ぎ出した途端に転覆したりしませんか?」
珍しく、市があたふたしている。
「もしかして、港にあったような貿易船を想像してましたか?」
「あんなに小さかったら、舟でうっかり転びでもしたら、そのまま海に落ちるのですよ」
市は必死で、他の船をユーグが探してくれる様、市の意見に同調してくれる事を願った。
「?」
ユーグは、市が涙目で訴えてくる理由を考えた。
(いつも、こちらが止めようとしても、皆を引きずって行ってしまうような市様が、こんなに消極的なのは?)
「市様は・・泳げなくて、水が怖いのですか?」
「・・・こわい・・です」
「ぷ、ぷはぁー」
ユーグが吹き出して、笑う。
「ユ、ユーグ、そんなに笑うとは酷いではありませぬか」
顔を真っ赤にして市が怒る。
しかし、ユーグの笑いは止まらない。
「す・・すみま・せん。でも、おどおどしてる市様が、可愛くて・・ククク」
市は、頬を膨らませて拗ねたが、ユーグの笑顔が久し振りだったのでは、ちょっとだけ嬉しくなった。
落ち着いてきたユーグが、市の目を見て真剣に話す。
「市様、下に置いてある小舟ではなく、上を見て下さい」
「!!」
市が上を見ると、大きな格納庫に美しい大きな船が何艘も浮かんでいた。
市があんぐり上を見上げ、驚いていると、主人がふわりと飛んで、船に乗せてくれた。
ユーグが見た事も無い程に、はしゃいでいる。
「こんなオープンセーリングボートは滅多に乗れないですよ。長さは9m以上ありますよ。風上セイルと風下セイルも両方白色と言うのがいいです。よく色違いを好む人もいますが、私は白が、海に一番映えると思います。船体のスレンダーでダイナミックなラインも私好みです」
船を嘗める様に見るユーグの目が、好奇心一杯で輝いている。
(こんなユーグを見れるなんて、貴重じゃのぅ。子供のようじゃ・・)
市はユーグが、船を堪能しているので、ゆっくり見て回る。
船体の後方に、大きな丸い輪っかが2つある。見つけた市が首を傾げている。
「これが舵棒かの?」
「はい。操舵輪と言います。この船は2枚舵なんですよ! それにこちらに来て下さい。キャビンに寝台が4台付いてます」
市が船の中に入ると、赤いソファーと小さなキッチン。奥にはベッドがあった。
主人はユーグの様子を、満足気に見て頷く。
そして、促す様に先々の天候も教えてくれた。
「明日から暫くの間は良い天気が続くし、風も15ノット程度の良い風が吹きそうですよ」
ユーグの顔がパッと思い付いた様に明るくなり、市を見た。
「市様、明日出航しましょう」
「うんうん。それがいいです。では今日の内に、船の整備と準備をしておきましょう」
主人は傍にいた整備士に、すぐに取り掛かるように指示している。
「食料の調達もしないといけないし、各島に上陸して泊まりますが、泊まる所が無ければ船内泊なので、その準備もしないと・・・」
ユーグはここまで話して、船内泊だと市とこの狭い船内で、2人で寝る事になるのでは?と考え込んでしまった。
急に黙り込んでしまったユーグを、心配げに市が見る。
「航海の事で不安な事でもあったのか? やはり、船を操る者が、もう一人必要かの?」
「この船は普通2人で操舵する船ですが・・1人でも・・」
ホセが市に説明をしようとした。しかし、それよりもユーグが早く主張する。
「いえ、操舵者は私1人で大丈夫です。私のスキルはそれの上級なので安心して下さい。・・それより、あの、その、夜の・・夜の見張りがいるのでもう一人、雇いましょう」
「見張りか? ああ、それなら大丈夫じゃ。2人で交代交代すれば出来るかの? きっと3人でなんとかなる」
「はい、それなら安心です」
(いつの間に、もう1人雇っていらっしゃったのだろう。流石は市様だ。準備が早い)
ユーグはホッとした。と同時に分かりきっていた道理的な流れに、少しがっかりした気持ちに気付き、自分を諫めた。
(何を考えているんだ。しっかりしろ)
ユーグは気を引き締めて、整備士と一緒に点検を始めた。水が怖い市の為に万が一の事があってはならない。浸水など許されない。
「ユーグ、私は今からもう1人を迎えに行くゆえ、ここで船の事お願いします」
(市様は、どんな方を雇ったのだろう)
ユーグは尋ねようかとも思ったが、準備に気を取られて聞くのを忘れた。
「準備に時間がかかりますので、明日朝6時に待ち合わせしましょう」
「分かりました、ユーグ。では明日」
市は、王宮へ急ぎ足で戻っていった。




