33 トルベツ(3)それぞれの市
リベルが書斎の机の上の用紙を眺めては、天井に向かってぶつぶつと何かを呟いている。
「あれは弟の惚れた女だ。いやいや、恋愛に弟も兄も早いも遅いも関係ない。よしっ」
決心が付いたようで、また用紙に向かう。
強気な黒い瞳が、会えば会う程脳裏から離れなくなっていた。
リベルの行動が彼の心の動揺を表していた。
①ある用紙に向かって、睨み続ける。
②頭を掻く。
③ため息をつく。
④「クソッ」
リベルは①~④までを繰り返していた。
何度目かの時、③で止まった。
そして、おもむろに立ち上がり、
宰相ヤクプ・クレメン・ソビスキの部屋に行った。
「これに、何としてでもあの女のサインをもらって、手続きを完了しろ」
宰相ヤクプは押し付けられた紙を見る。
「あの女とは、市姫様ですよね? 結婚? これはちょっと無理があるでしょう」
「いいや、市と結婚すれば黒騎士と言う軍師と后が手に入る。一石二鳥だろう?」
ふんぞり返り自分の考えに満足するリベルを、ヤクプが困り果てた顔で見ていた。
〇宰相ヤクプから見た市
ヤクプはため息を付いた。そして、彼が市姫様と呼ぶ、壊れそうな可憐な姫の事を考えた。
(リベル様は言い出したら聞かない人だ。
市姫様が黒騎士だと、リベル様は言うけれど、会って話せば剣も持てそうにない美しい姫様。
先日も、リベル様に海賊対策を、市に考えさせろと言われて、市姫様に我が海をご覧頂いたが、「海賊と戦うなど、何て恐ろしい」と顔を青ざめて伏せられる程、か弱そうで守ってあげたくなるお人柄。
か弱き姫に、リベル王と結婚許諾の書類にサインを迫るのは心苦しい。
そう言えば、先日街で行われてた劇を観に行きたいと言われ、お連れしたが、悲劇を観劇されて、ホロホロと涙を流されていたなぁ。
こんな物にサインを強制したら、きっとまた、あの黒い瞳を潤ませて私を恨めしそうに見られるかも知れない。
だが、我が王が望まれるならば、仕方ない。可愛そうだがテオフィデール王は諦めて貰おう)
宰相ヤクプは足取り重く自室に帰り、市が泣いた時に差し出すハンカチを用意していた。
〇王宮近衛騎士団団長、ローガン・マテオ・サーから見た市。
宰相ヤクプが、市の部屋に向かって項垂れながら歩く姿を、王宮近衛騎士団団長のローガンが見ていた。
(先日、市様が我らの訓練場に来られた時感じたのだが、宰相ヤクプが言ってる、『か弱きお方』ではない様な気がする。
新米騎士が打ち込みで、うっかり剣を飛ばした時、平然と剣を避けた。
あの身のこなし方。そして、剣を軽く持ったときの、威圧感が凄かった。
『剣ってとても重いですのね』
そう言った市様は、元の顔になっていたが、あの時は戦いを知っている顔だった。
しかもあの剣は新人の筋力アップの為に、かなり重く作られていたが、始めは片手で軽く持ち上げていたのを私は見逃していなかった。すぐに両手に持ち変えていたが、怪しいのだ)
騎士団長ローダンは、剣を持った時の市に違和感を感じながらも、確かめられずにいた。
○ユーグから見た市
昨日、夜遅くにワザワザ牢屋まで来て下さった市様。
「ユーグ、何かここで不自由している物はないかの?」
そう言って毎日来てくれて、色んな物を差し入れてくれる。
市様が初めて来られた次の日には、フカフカのベッドが運ばれた。
そして、ソファーに机。
牢屋と言う名の客室だ。
私のご飯が冷めているのを見て、温かい食べ物を用意すると言ってくれた。もう次の日に、料理長自ら牢屋の前で調理した食べ物を食べさせてくれた時は流石に驚いた。
しかも、ここの料理長もシェルドナールのクルト料理長の様に親しげにされていた。と言うより、かなり手懐けていらっしゃった。
市様の人誑しは、健在だ。
しかし、リベル以外の大臣や宰相ヤクプを前にした市様は、どうだろう?
「か弱き乙女」を演じているらしいのだが、滲み出る強気、勇猛果敢な人格は隠し切れていないのだが・・・。
どこをどう見れば市様から『可憐』と言う言葉が出たのだろう。
不思議でしょうがなかった。
「ユーグ、この下向き加減が儚げであろう」
市様が少し俯き、目を伏せがちに私を見る。儚げな感じを出しているらしい。
「・・・すみません、私には獲物を前に睨みを効かせている猛獣にしか見えません」
素直な感想を言うと、差し入れで持ってきてくれた筈のケーキを取り上げて、
「ほう、ユーグは折角のシェフ特製、果物たっぷりケーキを要らぬようじゃの」
そう言って食べようとする。
「要ります。ケーキ、要ります。市様の先程の仕草は、儚げな感じが出ていました」
「フフン、そうであろう。ところでユーグはいつからそんなにケーキ好きに、なったのじゃ?」
「する事がなくて、市様が持ってきて下さる食べ物と、書物しか楽しみがなくて」
「うーん、このままでは我が国の騎士団長が、てっぷり太って、用意した鎧も付けれぬ様になってしまう。ユーグ、細身の体型のままでもう3日待って下され」
と言って市様は部屋に戻られたが、どうする気なのだろう?
ふと、自分の腹回りを見る。市様の言われた事が気になって、腕立て伏せと腹筋運動を始めた。
しかし、市様は何処に行っても自由だな。
ユーグは牢屋には不似合いの天蓋付きベッドに寝そべった。
◇ ◇ ◇
大臣達と宰相ヤクプは豪華な150㎡のレセプション小ホールで、市を待っていた。
(リベル様が、市様を娶られたいと、このような希望を書かれた紙を私に渡されたが気が重い)
これから来る市の顔が悲しみに歪むのだと思うと、ヤクプの心も沈んだ。
これから、リベルの希望を市に提示して、市が受け入れたらそれを誓約書に書き入れ、また、市にも許せる範囲の希望があれば書き込んでも良いと言う事である。
書き込む為に結婚誓約書の用紙は白紙状態で、リベルのサインだけが書いてあった。
市が小ホールに入ってきた。
宰相ヤクプを含め、5人の大臣が市を見る。
その他に大勢の騎士が、市の監視役として部屋に大挙し警戒している。
物々しい雰囲気に市が震える。
「このように火急の呼び出し、しかもこのように大勢の騎士様がいらっしゃるなんて、少々恐ろしい心地がしています」
市は息も絶え絶えに少しよろけた。近くにいた騎士が慌てて支える。
「おぉ・・・」
5人のおじ様大臣達が、一斉に心配そうに立ち上げる。
「そうだね、こんなに沢山の騎士達がいるなんて、怖がるのも無理はない。君たち、こんな可憐な姫を監視する必要はない」
「しかし、私達は陛下に・・」
「下がりなさい。では1人だけ残して、後は全員ここから出なさい」
ヤクプが命令し、騎士達が部屋から出ると、か弱き市は少し安心したのか、どうにか騎士に支えられ椅子に腰掛ける。その騎士がこの場に一人残る事になった。
「これを見て欲しい」
ヤクプにリベルの婚姻とこれからの生活や夜の秘め事に関する事まで細かく書かれていた紙を見せられた。
(リベル、何と阿呆な事を)
市は眉をひそめた時に、リベルのサインだけがある、白紙の誓約書が見えた。
(何と都合の良い物があるではないか)
市は下を向いて、吹き出して笑いそうになるのを堪えた。
これを見たヤクプは、市が悲しみの余り泣き出したと勘違いをした。
「可愛そうに、こんなに悲しまれて。貴女に夜の事まで書かれた物を見せたくはなかった」
さっきよろけた市を支えた騎士が、扉のU字型の取っ手に棒を差し込み、開かない様にし始めた。
そして、剣を引き抜き市と宰相達の所へ近付いて来る。
「なななんだね、君は?」
上ずった声で、尋ねる。
騎士はなにも言わず、剣を市に渡した。
「ありがとう、ユーグ」
市はブンッと剣を一回しして、宰相の首に剣を突きつける。
「イイイイ市姫様? ななななにをー」
市は宰相の首に剣を突きつけたまま、他の大臣も見回しながら、ニッコリ微笑む。
今までの市と違いに戸惑う大臣達。
「貴方達、このままではシェルドナールと戦になる事を、分かっておいでか?」
大臣達は何が起こっているのか分からず、暫く口をアングリ開けたまま市を見ていた。
漸く、宰相ヤクプが事態を理解した。
「分かってます。けれどリベル様は言い出したら聞かない方で・・」
「リベルの我が儘をお諌めするのも、そなたらの役目であろう? 国から人が拐われたシェルドナールでは、既に戦準備を始めたと聞く。 戦争か国交、どちらを選択されます?」
シュンとなるおじ様達。
「ここからは、国同士の話し合いをしたいのじゃが、よろしいかの?」
市の高圧的な睨みを効かせた態度に、大臣らは頷くしかない。
「先ずは、貿易に関する事から始めましょう。今トルベツ国は海賊が頻繁に出現して貿易が出来ない状態にありますが、私がこの海賊を、取り締まりましょう」
「えっ? あんなに海賊を怖がっていたのに?」
ヤクプは先日の、海賊と聞いただけで青ざめていた市を思い出した。
市は、ふん!と鼻で笑う。
「海賊など、恐れるに足りませぬ」
ここで漸く、宰相ヤクプの夢のか弱き乙女像が崩れ去った。
(騙されてた)
市が机をバンッと叩く。
「ここで先ず、シェルドナールとトルベツの国交回復です。そして、商談です。トルベツの海は数年前に起こった海底火山の為に複雑な海底となり、航路が難しくなっています。我が国が海賊を取り締まり、更に安全な航海を約束するので、そこを通る船、全てから手数料を、頂きまする」
「航海する船全てに、手数料ですか?」
「そうです。でも何もしなかったら海賊に全て奪われるのです。どうかの?」
頻繁に出る海賊のせいで海上ルートがなくなっていまい、どの隣国に行くにも険しい山脈ルートしか残っていないのが現状だった。
海賊を取り締まろうとしても、潮の流れが難しく島が点在するトルベツの海では困難を極めた。
「分かりました。ではその手数料を話し合いましょう」
ヤクプは遣り手宰相の顔に戻って、交渉し始めた。
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損害が出た場合の補償も踏まえて契約を終えてリベルのサインだけがある用紙は、結婚誓約書ではなく、全く別の用途の契約書として使われる事になった。
リベルの他に、宰相ヤクプのサインも書き入れられた。
シェルドナールから届いた、臨時外務大臣としてユーグを任命するといった書類を添付し、ユーグが署名した。
「シェルドナールからの書類をいつの間に用意出来たのですか? いや、それ以前にどうやって連絡を取り合っていたのですか?」
ヤクプと大臣が市に詰め寄る。
「秘密じゃ。そんな事より、そなた達にはこれからリベルを説得するという大仕事が待っていますよ」
スルリと躱して笑った。
その颯爽と笑う市に、儚げな面影は微塵もなかった。




