20 膝枕(ひざまくら)
貴族のお嬢様達が、礼儀作法を学ぶ場として、侍女教育も兼ねている学科の講師に迎い入れられて、オリナは矍鑠として、教壇に立っている。
授業が終わるのを、廊下で待っているとオリナが市を見つけて、優しい笑顔で『待ってて』の意味の手で合図をする。
それだけで、教室がざわつく。
オリナは怖い先生。と噂されてたが本当のようだ。
授業が終わったオリナと共に、学内のオリナの部屋で話をしていた。
オリナの仕事の話を聞きに来たが、オリナは市とテオフィデールの経過報告を聞きたがった。
その手の質問には、市も閉口してしまうが、興味津々のオリナの質問は容赦がない。
市がへとへとになった時、オリナが黙り込んで市の手を取る。
「・・・市様。私をあの塔から救ってくれて、ありがとう。あの中にいた時にもう一度青い空の下で暮らせるなんて、思いもしませんでした。しかも、私に若いご令嬢を導く役割を与えてくれて本当に感謝しています」
深く頭を下げたオリナに市は慌てた。
「いえいえ、半ば脅して連れ出し、怖い思いをさせてしまいました。陛下にも散々叱られてしまったゆえ、暫くは大人しゅうしております」
わざとしゅんとして見せた市だが、目がやんちゃな光で輝いている。
オリナはその目を見ると、やれやれという思いと、それでこそ市だという思いがあって複雑な気持ちに笑ってしまう。
「もっと早くに、お礼を言いたかったのですが、『感謝をすると市がもっと無茶をする』と陛下に止められていました。陛下は市様には何も言いませんが、本当に感謝しています」
「・・・感謝だなんて・・・オリナさんが助かってからの陛下は、本当に嬉しそうにしていらっしゃいます。それで十分です」
その言葉に、目を見開いて喜ぶオリナ。その後、楽しいお茶の時間は続いた。
黒い塔がなくなってから、ミラの痕跡がなくなり、本当の穏やかな生活が始まったように思えた。
しかし、ミラはまだ現実にはこの王国で、息を潜めて機会を伺っているのだ。
そして、その女が赤い舌を出し、ゆっくりと唇を舐めた。
朝から一通手紙により、城内の空気は暗くなった。
送り主はカガン伯爵。テオフィデールの母・ミラの弟である。
自分の領地の繁忙期ではない時期に、領主が王に挨拶を兼ねて報告に来る行事がある。
しかし、カガン伯爵だけは手紙での報告で済ますのが通例となっていた。
今回の手紙もその報告だろうと思っていたが、王に会いに来るという内容だった。
ミラの弟とは思えない程、大人しく思慮深いカガン伯爵が、なぜ今頃、行動し始めたのかがテオフィデールは気になる。
「叔父は今まで、母を押さえて私に尽くしてくれていた。叔父の身に何かあったのだろうか?」
テオフィデールには思い当たる事が多すぎて、頭を悩ませる。
王弟エルベルトも宰相アイレスも危険を回避したい。
「きっと、ミラ様が裏で罠を仕掛けているに違いない。ここは拒否しましょう」
「今回は市もオリナもいる。誰を狙ってくるかもわからない。しかし、手紙に、俺が召喚した黒髪の女性を保護していたが、その女性を返しに来ると書いてあるのが気になる」
「罠の匂いがプンプンします。市様以外に、陛下が召喚した者はもういないはずですが、こうはっきり言われては、あながち嘘だと思えないですね」
エルベルトにとって、ミラは恐怖でしかない。しかし、冷静を装い話す。
アイレスが最も懸念している事を言う。
「市様もオリナさんもそうですが、エルベルト様や陛下を狙ってくる可能性もあります。先ずは情報と最大レベルの警戒プランを計画しなければいけません」
カガン伯爵の数年振りの王への謁見の申し込みは、城内に不安の影を落とした。
忍者兼吟遊詩人のアンソルブさえも、全く情報がつかめない。
と言うのも、カガン伯爵の領地に入ろうにも、制限が多くて入れないのだ。
何の情報も得られないまま、2通目の手紙が届いた。どうやら、返事がないので、次の手を打ってきた。
執務室で読まれた内容に一同は困惑した。
内容は、保護している黒髪の女性の詳しい情報だった。
召喚された時期、その時の様子、名前が記されていた。
ニコラが女性の名前を読み上げた。
「あさい りん・・」
一瞬の沈黙の後、一同
「・・・・アア!」
思い出した。
「私の顔を見て叫んだ後、気を失った子がその名前だった」
ルイスが情けなそうな顔で説明した。
「でも、『りん』と言う子は茶色の髪の毛だったはずです。しかも私の書類では4日目に元の世界に帰ったとあります」
ニコラは書類をめくりながら、さらに調べる。
「あっ、ここに記してあります。帰る方法を伝えた後、誰も帰ったのを見た人はいなかったようです」
「召喚した魔道士ジェパーソンと担当した侍女に、詳しい事を聞いて来ます」
エルベルトは立ち上がり、急ぎ部屋を出ていった。
「しかし、どうやってミラ様の所に行ったのでしょう?召喚した4日後なんて、この国の事も分からないのに、カガン伯爵の領地に行ける訳がない」
ニコラが考えている所に、ジェパーソンとエルベルトが部屋に入ってきた。
「陛下、エルベルト様から事情は聞きました。その女性につきましては、余りにも取り乱し元気がなく、会議で本人の希望を聞いて、元の世界に返すと言う結論になりました。それで、私が彼女に帰り方を教え、翌日迎えに行くので待ってて欲しいと言ってたのですが、持ち物と共に消えてて・・」
ジェパーソンが頭を深く垂れながら説明している途中で、テオフィデールはイライラしながら遮った。
「つまり、帰った所は見てないのだな?」
「は、はい。そうです」
ジェパーソンはますます下を向く。
それを見て、エルベルトが擁護する様に、会話に入る。
「陛下、ジェパーソンが悪い訳ではございません。それよりも、当時『あさい りん』を担当した侍女が、手紙が届く3日前から行方が分からなくなっています」
「では、その侍女が、カガン伯爵領地まで、案内した可能性が高いですね。その者は3年前から、働き初めてます。つまりミラ様の手の者が3年もこの城にいたことになります」
ニコラは悔しそうに唇を噛んだ。
「帰っていなかったのか。そうなると狙いは市か?」
テオフィデール「クソッ」と机を叩いた。
謁見承諾の返事をさらに伸ばしていると、カガン伯爵が、城下や近隣の領地に『二人目の召喚女性が近々城に召される』と言う噂を流した。
これにより、そのまま召喚した女性を放置しておけなくなり、カガン伯爵とその女性を迎える為の措置を、取らざるを得なくなった。
◇ ◇ ◇
あさい りんは浮かれていた。
(うふふ。学校帰りにいきなりこの世界に召喚されてから、長かったわ。
塾さぼって、家にも帰りたくなかった時にここ来て、しかも、侍女に「黒い髪の毛の女の伝説」的な話を聞かされた時は、それって私じゃんって思った。
お城でテオフィデール王をチラッと見かけた時、この人と結婚するんだって決めたのよね。
侍女にミラ様の所に連れて来てもらえたのは、ラッキーだったな。
茶髪が黒髪になるまで、隠れてる事が出来たし。
でも髪が伸びるのを待ってる間に変な女が出てきて、私の邪魔し始めたのが、鬱陶しいわ。
でも、もうすぐテオフィデール王と結婚させてあげるって約束してもらったし、本当に私ってツイてるわ。
家じゃあ、お母さんが勉強しろってうるさかったけど、ミラ様は何でも好きにさせてくれる。
ミラ様みたいなお母さんが良かったなぁ)
「りん、どこにいるの?」
「ミラ様、ここです」
「りん、良い知らせよ。テオフィデールの所に行けるわよ。」
「ほんとですか?やった。ようやく会えるわ」
「せっかく綺麗な黒髪になったんだから、それに合うドレスを新調してあげるわ。それを着てテオフィデールに会いなさい」
「ありがとうございます。ミラ様」
「いいのよ。可愛い、りん。計画通りにしてね」
(捨て駒は捨て駒らしく良い働きをしてね)
ミラは美しい顔で、女神の様に微笑んだ。
◇ ◇ ◇
今回のカガン伯爵の入城に関して、様々な規制をかけた。
入城の際には、カガン伯爵とりん、りんの侍女一人の3人で入城せよと通達すると、あっさりカガン伯爵は了承した。
テオフィデールは警護に当たる各騎士団長、市、エルベルト、アイレス、ニコラ、ジェパーソンを集めて、テオフィデールは今回のカガン伯爵の入城時における警備の計画を考えた。
「一体、カガン伯爵は何を考えているのでしょう?」
ニコラが忌々しげに言う。
「3人だと思い油断してはならない。奴は執念深く、用意周到だ」
テオフィデールがミラを母と呼ばず、奴と言った事に対し誰もが王の心中を察した。
「いいか、騎士2人と魔術士で必ず3人1組で行動しろ。魔術士は常に盾魔法を騎士に掛けろ。魔道士は全員で城内で盾魔法以外の魔法を使用出来ない様に制限魔法をかけろ」
テオフィデールは城内の図面を見ながら、配置を指示していく。
図面上の市の部屋で、指が止まる。
「当日、市の部屋の前に必ず二人警護に付いていて欲しい」
ここで、ジェパーソンが疑問を口にした。
「いかにミラ様が何かを企んでいたとしても、魔法も武道も出来ないカガン伯爵と召喚女性と侍女の3人では、そんなに神経質にならなくても良いのではないでしょうか?」
「そんな甘い奴じゃない! アイツは本当におぞましいまでに卑劣な手口を使ってくるんだ!」
エルベルトが叫びながら、急にガタガタ震えだした。
テオフィデールはすぐに寄り添いエルベルトが落ち着くのを待った。
「エルベルト、すまない。もう大丈夫だと油断していた。部屋でゆっくり休んでいてくれ」
「私は、大丈夫です」
「無理をするな。顔色も悪いぞ」
心配そうな兄の顔を見て、エルベルトは何も言えなくなった。
市が立ち上がり、エルベルトに微笑む。
「少し休む事も大事じゃ。警備の事は皆に任せるゆえ、私も下がらせてもらおうかの?」
市は真っ青な顔のエルベルトを連れて、部屋を出た。
そのまま、エルベルトの部屋まで連れて行く。
エルベルトはソファーに頭を抱えて座り込んだ。
市は侍女にお茶を持ってくるよう頼んだ。
「・・もう大丈夫です」
エルベルトは市を見ずに言う。
「そうかえ? そうは見えぬがのう」
「・・・」
侍女がお茶をテーブルの上に置く。そのまま部屋を出て、ドアを閉めた音が小さく鳴る。
カチャ
その小さな音にエルベルトの肩がビクッとした。
うつむいたままのエルベルトの横に座り、肩をさすった。
「私が、母に毒の入った紅茶を運んだんだ」
「えっ?」
市は驚きの余り大きな声を上げてしまった。
「兄がいつもあの女には近寄るなって言ってたのに・・」
「・・・」
「あの女に、『紅茶の美味しい入れ方を教えてあげる』と言われ、そのままその紅茶を母に運んだ」
「母は嬉しそうに飲んでくれたのに、そしたら苦しみ出して・・・」
市はたまらずエルベルトの丸めた背中を抱き締めた。
「もうよい。話さんでもよい。そなたのせいじゃない」
市は自分の語彙力の無さに苛立った。掛ける言葉が見つからないのだ。背中をさすってあげる事しか出来ないのが歯痒かった。
テオフィデールが会議を終えて、エルベルトの部屋にそっと入って来た。
エルベルトは市の膝枕で、そのまま寝てしまったようだ。
「悪いな。最近、ミラの名前を聞いてから、エルベルトはあまり眠れていなかったらしい」
「そうか、ではもう暫くこのまま寝かせてやりとうございます」
「そうだな、風邪を引くといけない」
ブランケットをエルベルトに掛け、ソファーの後ろからもう一枚を市の肩に掛ける。
「今度こそ、俺は守れるだろうか?」
弱気なテオフィデールを初めて聞いた気がする。
「一人で背負おうなどと思うてはなりませぬ。私もそなたの守りたい者達を守ります」
「・・・っ!」
テオフィデールは市を後ろから抱き締める。
市はエルベルトを膝枕をしていて動けない。
「テオ、卑怯ではないかの?」
テオフィデールは抱き締めたまま動かない。
(こ、こ、これは如何なる状況だ?)
「テオ、放して下され」
「うん・・今は無理だ」
「・・・」
市の耳が真っ赤になっている。
「もう少しだけ・・頼む・・」
「・・・」
テオフィデールの辛そうで余裕のない声を聞いて、市はただただ、この兄弟が元気になってくれる事を祈っていた。
◇ ◇ ◇
エルベルトはカーテンの隙間から入る日差しが眩しくて、目が覚めた。
(もう朝か・・)
枕が硬い?
すぐに膝枕をされてるのが分かった。
(そうだ、昨日、市様に膝枕してもらって寝てしまったんだ)
慌てて起き上がろうとしたら、後頭部と顔が激突した。
「ツッうー」「イッテー」
自分の声に、野太い声が重なった。
「えっ? えっ? ルイス? どういう事?」
「それがですね~」
鼻を強打して悶絶しているルイスに代わり、前のソファーで寝ていたアイレスが説明し始めた。
「ア、ア、アイレス?」
「はい、エルベルト様。おはようございます」
「うるさいぞ!」
「??! 陛下?」
驚いたエルベルトの声が裏返る。テオフィデールは奥のソファーから、ムックリ起き上がるとふらーっと部屋を出て行った。
パニクるエルベルトに、再度アイレスが説明する。
「昨日、エルベルト様は、市様の膝枕で眠ってしまったのですが、その後、市様と陛下が交代し、様子を見に来た私は、膝枕の交代を強要されました。そこで私が代わりの人員を要望した所、廊下を歩いていたルイスが捕まった。そして、このような状態になっています」
「・・陛下の膝まく ら・・・」
エルベルトは気が遠くなりそうだった。
鼻の痛みから立ち直ったルイスが声を掛ける。
「随分、陛下は心配されてましたよ。で、私の膝枕、どうでした?」
ルイスがニターッとイヤらしい目付きで笑う。
2話 王と刀でテオフィデールの19歳という年齢の記載を忘れていました。修正した部分は初めの2行です。
すみません。これからも、よろしくお願いします。




