第九十六話
微睡んでいた彰良の意識が浮上する。
腕の中に感じる温もり。
「…………」
笑みが溢れる。
「(……葵、先輩……)」
艷やかな黒髪を撫でる。
何度も、何度も。
彰良を受け入れ、最奥を突かれ、乱れた葵。
「……好き、だ……」
疲れ切って眠る葵の額に口付けを落とし、彰良はベットから抜け出す。
「(……貧血を回復するために、やはり鉄分摂取は不可欠。
南部鉄器を手配して、管理方法を理解しておこう。
あと、朝食は鉄分強化のヨーグルトは当然だが……トーストに、プルーン系のジャムが届いたから、それを……)」
手早く身支度を整えながら、思考を巡らせる彰良。
「…………」
その時、彰良のスマホが着信を知らせた。
「………………」
スマホに表示された名前。
「……………………………朝から、何の用だ?」
無言の抵抗は、意味を成さなかった。
「やはり起きていたか、愚弟。」
「貴様には関係ない」
「ある。
お前のことだ。
私の相手をしたくなくて、わざと無視しようとしたな?」
「……身に覚えでもあるのか」
「無いな。
心の底から素晴らしい姉だと敬愛される覚えしかない。」
自信に満ち溢れた声音。
「お前のことを敬愛したことなど一度もないっっ!!
大体っ!お前に玩具代わりに振り回されるか、質の悪いイタズラの標的にされた覚えしかないっっ!!」
「知らんな。
朝からカリカリするな。
相変わらず、我慢の足りん奴だ。」
「切る」
額に青筋が浮かぶ。
姉である緋月の澄ました顔が、簡単に想像できた。
「良いのか?」
電話口の向こうで、愉しげな笑い声。
「私がそちらに突撃して、お前がやっとの思いで捕まえた最愛の恋人に…………あることないこと吹き込むぞ?」
「っ……可及的速やかに要件を言え」
このジャイアン気質の姉は、やると言ったらやることを彰良は知っていた。
「会いに来い、以上だ。」
「は?」
「年末の挨拶位は顔を出せ。
だが、私は忙しい。
昼からは子供たちや悠真と家族で過ごす。
だから、昼前に来い。」
時計を確認する。
すでに、八時を過ぎている。
「巫山戯るな!
此方にも予定がある!
そちらの都合など……」
「なんだ?
まさかとは思うが、盛った犬のように恋人を朝方まで貪り尽くしたのか?」
「なっ?!
妙なことを言うなっっ!!」
図星である。
「やっと恋人になれた相手を貪り尽くしたい気持ちはわからんでもないが……。
お前は体格がデカいから、アッチもデカそうだし。
体力も有り余っている上に、性欲も果てしなさそうだな。
ふむ……所謂絶倫と言うヤツか?」
「知らんっっ!!」
本当に!
誰か、この女をなんとかしてくれっっ!!
「まぁ、いい。
お前が絶倫だろうが、姉の私には関係ない。
では、午前中に待っている。」
「待てっ!まだ話は終わって……っ!」
切られた……!
行き場の無い怒りにスマホケースがミシリと音を立てる。
「(……あのっ……女っっ……!)」
怒りに震えながら耐えている彰良の背後で物音がした。
「……彰良くん……怒ってる……?」
「葵先輩!
一人で歩いたら危ないです!」
葵が起きていたことに全く気が付いていなかった彰良が、心の中で舌打ちをする。
「えっと……んん?
いつもの、彰良くん……だね?」
「はい、いつもの自分ですよ」
「でも……さっきまで、怒ってたような……?」
パチパチと不思議そうに瞬きをする。
彰良がベットから出て、隣にあった温もりがなくなったことに気が付いて目が覚めた葵。
重たい身体と腰の痛みに顔を歪めていた葵の耳に、彰良の声が聞こえたのだ。
「……………煩く騒いでしまって、すみません……」
「ううん。
彰良くんの怒っている声には驚いたけど、大丈夫だよ」
葵が側にいるときに聞いたことが無いような低い低い声。
少しだけ怖かったのは、葵だけの秘密だ。
「でも、彰良くんがあんな声を出すなんて珍しいね」
余程……嫌な相手からの電話だったのだろうか?
「………………実は、以前に話したことのある自分の獰猛な姉からの電話でした」
「お姉さん?
ああ……突撃するって……言ってた?」
「はい……」
千匹以上の苦虫を噛み潰したように。
盛大に顔を顰める彰良。
「ふふ……」
「……?」
「なんだか……ピーマンが嫌いな子供みたいな顔になってる」
「っっ?!
アレは、ピーマンと同列に扱えるような存在ではありません!」
必死な形相の彰良の渾身の否定に、葵は声を出して笑ってしまう。
こんなにも、可愛らしい反応の彰良も珍しい。
「ふふ……ごめんね、彰良くん。」
「……いえ」
少しだけ唇を尖らせ、拗ねたような表情。
その表情に、もう一度笑ってしまいそうになる口元を、必死で耐える。
「それで、彰良くん?
あんなに怒ってどうしたの?」
「…………折角、会社が休みになりましたので……葵先輩と二人でゆっくりと大晦日まで過ごすつもりだったのに……」
不本意だと書いている顔。
「姉が、年越し前に一度顔を見せろ、と。
しかも、昼からは家族と過ごすから午前中に会いに来い、と。」
「……そっかぁ……」
流石に、事前の約束もなく葵が彰良の実家へとお邪魔する訳には行かない。
「……じゃあ、私は……うん。
今日は、図書館へ本を返却に行ってこようかな?」
「え……?
葵先輩……」
仕事に向かう飼い主を見詰める大型犬のような瞳。
「えっと……彰良くん、あのね……もし良かったら、なんだけど……」
「……?」
「年明けに、きちんと彰良くんのご家族へご挨拶にうかがえればな、って……」
「っ……それ、は……!」
照れたように、困ったように微笑む葵。
「今日はね、手土産もないし……約束もしていないから、お伺い出来ないけれど……。
でも、彰良くんとずっと一緒に居たいから……だから……」
「確認してきます!
絶対に、確認して来ますから……」
自分との未来を考えてくれている葵に、彰良の心が高鳴る。
「その……良かったら、葵先輩のご家族へ自分も、ご挨拶に伺いたいので……」
「私の両親へも確認しておくね」
微笑み合う。
少しずつ、少しずつ。
進んで行く二人の関係に、心から幸せを感じるのだった。
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