第九十五話
仕立ての良い着物姿が遠ざかって行く。
葵の固くなっていた体から力が抜ける。
「葵先輩、大丈夫ですか?」
「……うん……すごく、緊張したけど……」
何とか、巽の怖い雰囲気を真正面から受け止めないように必死だった葵。
「……彰良くんも、ずっと手を繋いでくれててありがとう。
すごく心強くて……勇気が出て、彰良くんのお陰で頑張れたの……」
「葵先輩……」
「それにね……蛇の話をしたときに、彰良くんが一緒に笑ってくれたから……。
……蛇が怖いって気持ちが減ったの……」
巽を見て蛇を連想し、恐怖が葵の心を覆った。
だが、彰良の手の温もりが、庇ってくれた背中が……葵の恐怖を和らげた。
「……やっぱり……彰良くんは格好良くて、すごいね。
側にいてくれるだけで、私に勇気をくれるから……」
街灯の明かりに照らされた彰良を見上げる。
「側にいてくれて、支えてくれて、ありがとう……!」
驚いたように、目を丸くする彰良。
その表情すらも愛おしい。
「葵先輩……!」
今すぐに、葵を引き寄せて腕の中に閉じ込めてしまいたい……!
「……俺の力ではありません!
葵先輩が、自分で立ち向かいたいと、恐怖を乗り越えたいと思ったからこそ、踏み出した一歩かと。」
幼い頃に、母親より植え付けられた爬虫類系統への恐怖。
母親なりの巳堂避けという愛情。
それを乗り越えようと、覚悟を決めた葵のなんと美しかったことか。
「俺は傷付いたり、悲しんでいる姿よりも……」
冬の外気に冷え切った頬に、繋いでいない方の手を添える。
「恐怖を乗り越えようと心を奮い立たせ……微笑む姿の方が、より美しいと思います。」
覗き込んだ葵の耳元で、彰良が贈ったイヤリングが輝く。
「……えっと……ありがとう、でいいのかな?
ただ……その、彰良くん?
ちょっと……距離が近すぎないかなって……?」
「嫌、ですか……?」
「い、やでは……ないけど……でも、外だし……」
恥ずかしいの、と頬を染める葵。
「……キス、したら……嫌ですか?」
「み゛っ?!」
ぼふんっと音を立てて、葵の頬が熱を持ち、首筋まで赤く染まる。
「やっ?!
え、あ……嫌、じゃなっ……でも、外はっダメ!
お外ですることじゃなくてっ!
ひっ、人に見られたりは……困るっ……!」
「……では、自宅でならば……キス、だけじゃなくて全部……良いですか……?」
「あ、う……」
恥ずかしくて、俯いてしまう。
彰良の期待するような、熱い眼差しを感じる。
「…………ま、んぞくさせれるか……わかんないけど、頑張るって…………約束、したし……」
彰良の胸元に、擦り寄る。
「…………その、たくさん……抱きしめてくれると、うれしい……」
恥ずかしくて、恥ずかしくて。
勝手に涙で瞳が潤んでしまう。
それでも、葵はちゃんと彰良へと想いを伝えたかった。
「…………どうして……」
「……彰良くん……?」
「どうして、外なんだ……!」
胸元に擦り寄る葵が潤んだ瞳で彰良を見上げる。
艷やかな唇をすぐにでも重ね、腔内を蹂躙してしまいたいのに……!
「……葵先輩、速やかに帰りましょう。
これ以上の邪魔者は御免です。」
「え、うん……」
微かに頬を染め、葵の手を引いて歩き出す。
「…………」
速やかに……と言っても、葵の歩く速度を慮ってくれる彰良。
「…………彰良くん、あのね……」
斜め前を歩く彰良へと声を掛ければ……
「はい、葵先輩」
葵の声に答え、すぐに視線を向ける彰良。
「……えっと……すぐに、しちゃうの……?
できれば、お夕飯を食べて……シャワーを、ダメ……?」
「っ……葵先輩、俺にもそのくらいの分別はまだあります……!」
盛った犬じゃ有るまいし…………いや、似たようなものか?
いやいや!
…………違うよな?
「……葵先輩は栄養が足りないらしいので、食事を抜いてはいけません。」
「……ちゃんと食べてるよ?」
「男の自分とは比べものにならない少ない量なので……いつも足りているのか、心配になります……」
彰良が食べる量よりも、葵の食べる量が少ないことはしょうがない。
性別の差もあるし、体格も違う。
だが、それとは別にしても貧血も有るらしい葵。
「……葵先輩、タンパク質としてミンタッキーなど如何ですか?
クリスマスに食べたいと言っていたらしいですし……」
「えっ?!
な、何も特別な日じゃないよ?!
お金がもったいないよ……!」
最近値上がりしたのに……!
「ミンタッキーを買って帰りましょうね。
それに、乾燥野菜ミックスで簡単な野菜スープ。
鉄分強化ヨーグルトと果物……」
ジャンクフードでも、鶏肉は鶏肉。
乾燥野菜でビタミンDも強化され、ヨーグルトでカルシウムと鉄分。
……南部鉄器でも購入するべきだろうか?
「……なんか……彰良くん、私が熱を出してから……栄養士さんみたい……」
「お会いしたことは有りませんが、龍さんより栄養管理を忠告されましたので。」
「うっ……」
目を逸らす。
すぐに、食事を抜いたりしていた過去の自分の不摂生が蘇る。
「……それに、自分は……長生きをして、少しでも葵先輩と一緒に生きて行きたいので……」
繋いでいる手にギュッと力を込める。
「葵先輩にも、健康に長生きをして貰わなければ……困ります」
「っ……うん……!」
互いの口元に微笑みが浮かぶ。
少しでも長く二人で寄り添って生きていくために。
その想いが二人の心に熱を灯すのだった。




