第九話
夜の闇に浮かび上がる黒い巨塔。
時折、車のヘッドライトに照らされ、揺るぎない存在感を見せ付けている。
「お、お邪魔します……」
約一週間ぶりに訪れた彰良の家。
「(……先週は……二度と来ることがないって…………思ってたけど……)」
彰良に背を向けられた……あの日。
葵は二度と、この部屋に足を踏み入れることは無いと思っていた。
それどころか……彰良と再び笑い合える関係に、まさか恋人になるなど夢にも思っていなかった。
「……葵先輩……大丈夫、ですか……?」
「っ……だ、大丈夫……!」
「…………すみません……自分の部屋に誘うのは、早すぎましたね」
葵を傷付けたくない。
理性が砕けて、葵を怖がらせたくない。
だけど……自分の側にいてほしい。
あの日。
何一つ、気持ちを伝えていないのに……騙すように囲おうとした。
…………結局、傷付けたくないと距離を取り、背を向け、葵を傷付けた。
「……今からでも、遅くありません。
すぐに、葵先輩の家に……送ります」
本音は……帰したくない。
帰したくない、が……彰良の部屋に招くことが葵の負担になるなら迷わない。
「…………やだ」
彰良のコートの端を、葵が指先で掴む。
「…………いっしょに……居たい、って……言ったもの……」
「っ……ですが」
「……やだ」
「…………」
迷う。
「彰良くんは……やっぱり、私と居るのは…………辛い?」
「辛くありません!
……辛くは、ありませんが……葵先輩の方が嫌な気持ちになるのでは、ないか……と」
言葉尻が小さくなる。
彰良はギュッと手に力を込める。
あの日、彰良だけで考えて選んだ選択肢は、葵を傷付けた。
……あの日と同じ過ちを繰り返したくない……!
「……自分は、葵先輩に側に居て欲しいです」
「……」
「ですが、葵先輩に辛かったり、悲しい気持ちを我慢して欲しくはありません。
…………欲を言えば、週末は……月曜日の朝まで一緒に過ごしたい。」
「彰良くん……」
彰良の言葉に目を瞬かせる。
一生懸命に想いを伝えようとしてくれる彰良。
「……私も」
二度とすれ違わないように。
素直な気持ちを伝えたい。
……だって、あの時と違って……今は、彰良を好きだと気付いたから。
「私も……彰良くんと一緒がいい。
…………側にいたいし……居てほしいの。」
「っ……はい……!」
微笑み合う。
「……一緒、ね」
「一緒ですね」
クスクスと笑い合いながら、部屋の奥へと移動する。
彰良の部屋へ向かう途中に、夕飯の買い物を済ませていた二人。
「……彰良くんって、あんまり食事に興味がなかったりする?」
自宅から持ち込んだエプロンを身に着けながら、葵は彰良に問いかける。
「…………」
「………?」
反応がない彰良に首を傾げる。
「……彰良くん?」
「っ?!
すっ、すみません!
葵先輩のエプロン姿に見惚れていました!」
「え……?
た、ただのエプロンだよ?」
「その……新婚みたい、で……エプロン姿の葵先輩は…………とても、可愛らしいです……」
顔を背けてしまう。
淡い緑色のチェックのエプロン。
昨日、総務課の同僚たちが葵を"人妻"と評していたことを嫌が奥にも思い出した。
「ありが、とう……?
あの……お夕飯、頑張るね」
照れくさそうに笑ってキッチンへ向かう。
「自分も、一緒にいます」
「……うん」
何方ともなく手を繋ぐ。
すでに、手を繋ぐことに理由は必要なかった。
キッチンのシンクに購入してきた材料を並べる。
「……人参、ピーマン、玉葱、エノキ、卵、鮭……」
「あとは……我が家のモヤシです」
「……何を作るんですか?」
「秋だし、彰良くんが一緒なので、奮発した鮭がメインです!」
キラキラとした瞳で鮭のパックを指さす。
「鮭って美味しいけど、最近は高くて……!
冬になったら大根と一緒に安い鮭のアラの詰め合わせを煮込んで、ブリ大根ならぬ鮭大根が美味しいです……!」
「…………」
彰良は不思議そうに葵を見つめる。
自分にとっては高いと感じない鮭の切り身。
それを葵は、高価な宝物のように瞳を輝かせている。
「……さっきも聞いたけど、彰良くんは食事にあんまり興味がない?」
「え……?」
「嫌な思いをさせたら……ごめんね。
なんとなく、だけど…………美味しいって気持ちで食べて無いときが……有るのかなって……」
「…………そう、ですね。」
気不味そうな葵に苦笑する。
「……自分の両親は多忙な方々です。
家族で食事という機会はほぼ有りませんでした。
自分にとって食事とは、一人で黙々と食べるものなので…………」
広い家。
使用人はたくさんいた。
だが、食事は一人テーブルに座るか、姉と二人で食べるものだった。
……提供された食事を黙々と食べる。
食べれなかったら、残せばいい。
気に入らなければ、食べなければいい。
誰も何も言わない食卓。
「美味しい、美味しくない。
広いテーブルに一人分の食事。
そこに肯定も、否定も……有りません。
生きるために必要なエネルギーを摂取する。
それが…………自分にとっての食事です。」
「そっか……」
葵はギュッと手を握る。
彰良の語った食事風景。
広いテーブルにポツンと一人座った幼い彰良の姿が目に浮かぶ。
…………失礼な考えかもしれない。
でも、葵は黙々と一人で食事をする幼い彰良を抱き締めたい気持ちで一杯になった。
「……ですが……葵先輩の作ってくれた料理は温かいと感じます。」
「……え?」
「葵先輩が俺のために作ってくれて、一緒に食べる食事。
親子丼も、エノキの豚肉巻きも、釜玉パスタも……全部、温かくて……味がする。
とても……美味しかった……」
葵が彰良のために作ってくれた料理。
彰良の眼の前で、一緒に食卓を囲んでくれる最愛の人。
「葵先輩のお陰で……美味しい、ということを理解できました。」
「っ……彰良くん……」
「だから、今日も期待しています」
幸せそうに微笑む彰良に、葵の胸が熱くなる。
「うん……!
絶対に美味しいご飯を彰良くんに作るね……!」
「……ありがとうございます」
気合を入れなおした葵に、彰良も微笑むのだった。




