第七十七話
二十年くらい前の夏の夜。
父親が町内会の用事、飲み会だったかな……?
取り敢えず、何かの理由で母と兄妹四人しか居なかった夜。
「うふふ!
とっても楽しい映画を今日のために、たっくさん借りておいたのよ!」
「母さん、どんな映画?
葵も観るから、小さい子向けのアニメばっかり?」
長男の菖兄さん。
「……アニメ」
嬉しそうな三男の桐兄。
「桐也もアニメ好きだもんね」
穏やかな笑顔を浮かべた次男の紫苑お兄ちゃん。
「……わたし、もうすぐしょうがくせいだもん。
そんなに、小さくないもん……」
長男の服を掴む、末っ子長女の葵。
「そうよね!
葵も、もうすぐ小学生だもの!
…………今のうちに、アイツら対策しとかなきゃ……」
「母さん……?」
いつものポヤポヤした笑顔。
しかし、長男は母親の笑顔に違和感を覚えた。
「……ねえ、どんな映画?」
「えっと……あー、外国の格好いい男の人達が格好良く戦うヒーロー映画よ!」
煌めく笑顔。
「…………」
ものすごく怪しい笑顔だったが……母親の言葉を信じた。
だが……それが、後々まで続く……葵のトラウマの始まりだったのである。
「み゛っ……み゛ゃあぁぁぁっっ?!」
大蛇に巻き付かれ、骨の折れる音を響かせる。
悲鳴を上げる暇もなく、大きな口を開けて苦悶の表情のままに飲み込まれていく男。
「ほらほら、目を閉じちゃダメよ。
此処からが重要な場面なんだからね。」
あまりの恐ろしさに、目を見開き、視線を反らせなくなっている幼い葵。
「母さんっ?!
こんな映画は葵には早すぎるだろっ!」
長男の怒声が響く。
テレビの画面では、音もなく忍び寄った二匹目の大蛇が新たな被害者を呑み込んでいる。
「菖司、母もこの様な真似を好きでしているわけでは無いのです!」
「み゛……み゛っ…………あぅ……」
母親の膝の上で、大粒の涙を流しながら震えている葵。
同じように泣きそうになっていた三男。
長男により、既に毛布の中に避難させられていた。
余談だが、次男は楽しそうに変わらぬ笑顔で映画鑑賞中である。
「はっきりと言いましょう。
葵は、蛇に対して並々ならぬ恐怖心を抱いておくべきなのです!
そうでなければっ!
こんなにもっ! ふわふわと可愛い葵が!
私と宗玄さんの間に生まれた、たった一人の愛娘が!
あんな蛇野郎どもの餌食になるかも知らないと思うとっ!
母は死んでも、死にきれません!!
……あ゛ぁ、やっぱり……葵が年頃になる前に、あの血筋は根絶やしにすべきかしら?」
「み゛き゛ゃっっ?!」
母親の殺意を感じ取り、葵が悲鳴を上げた。
「母さんっっ?!」
普段とは違いすぎる母親に、流石の長男も焦る。
「さあさあ、まだまだたくさんあるからね。
こっちはワニワニパニック。
そっちは……恐竜パニック。
あら……これは、蜘蛛だったわ。」
何処か鬼気迫る母親の笑顔。
「宗玄さんが帰って来るまでに、まだまだ時間はあるから爬虫類系大パニック映画鑑賞会をフィーバータイムで楽しみましょうねっ!」
「い゛っっみ゛ゃあ゛ぁぁぁぁっっ!!!」
「あおいぃぃぃぃっっ!!」
真夜中に、幼い子供達の絶叫が響き渡るのだった。
時は戻って……彰良の部屋。
「……その夏の夜以来……私は、爬虫類系と虫が……生理的に無理となりました。
あと、捕食される系統というか……ゾンビとかも……大の苦手です……」
遠い目をして、過去の記憶を語る葵。
その目は、死んでいた。
「それ、は……」
「うわぁ……」
彰良と凛も……フォローのしようがなかった。
「(……明らかに……巳堂一族対策……?)」
葵の話を聞いて、文化ホールで会った葵の母である撫子を思い出す。
あの時、確かに撫子は巳堂一族を嫌っている様子だった。
「あの……葵先輩のお母様と巳堂家の間には、何か因縁でも?」
「あまり詳しくは知らないのだけど……?
日頃から、母はよくこんな事を言っていたわ……。
……宗玄さんにフォーリンラブと言っているのに、何かに付けては人を呼び出してお気に入り扱いをする蛇野郎!
宗玄さんに執着されるならともかく!
色素が薄くて執念深い、蛇野郎に付き纏われても迷惑を通り越して殺意しか沸かないのよ!
だいたいっ!
アイツとは正式な婚約者とかじゃなかったし!
あ・く・ま・で・も!
婚約者候補の一覧に名前が上がってただけじゃないっっ!
私の好みは背が高くてがっちりムキムキの男らしい宗玄さんみたいな人よ!
てゆーか、理想から飛び出したみたいにピッタリ運命を感じる宗玄さんよ!」
「「…………」」
無言。
「ごめんなさい……。
私、そのくらいしか知らなくて……」
「いや、十分じゃん。
巳堂家との関係がバッチリ丸わかりの内容じゃない。」
キョトンとする葵。
「葵先輩、凛が割り込んだという男は……巳堂 巽という人ですよね。
……あの公園で何を言われたんですか?」
「…………」
「葵先輩?」
「っ……えっと……」
躊躇ってしまう。
しかし、葵を真っ直ぐに見つめる彰良の視線には勝てなかった。
「……恋人にフラれたのかって……可哀想だけど彰良くんが相手なら……しょうがないって……」
俯く。
彰良と凛を見れない。
こんな自分が…………恥ずかしい……。
「慰めようかって言われたけど…………私自身には興味が無くて。
でも、私の舞にだけは興味が有るって。
……たぶん……その、うっかりコートを忘れて公園でぼけっとしてたから…………そんな風に、思われちゃったのかな……?」
苦笑する。
寒空の真冬の公園に、コートも着ていない落ち込んだ女がいたら目立つだろうし……。
「……葵先輩は……俺に聞きたいことが有るのでは?」
「え?」
彰良の……普段以上に低い声。
「……魚形課長から聞きました。
俺と孔雀主任が抱き合った場面を見た葵先輩が泣いていた、と。」
「っ……」
「はぁっ?!」
葵は、咄嗟に誤魔化せなかった。
凛の驚いた声が響く。
「……水曜日の夜。
急な残業になった葵先輩と営業部で話したあの時も……俺が他の部署の女性からプレゼントを受け取ったと言ってましたよね?」
「…………そう、だね」
あの日以降、ワザと聞かなかったこと。
数日の時を超えて、葵と彰良の間に戻って来たのだった。




