第六十六話
総務部一同が華乃を筆頭に動き出していた頃。
営業部では、相変わらずなやりとりが繰り広げられていた。
「立花さん」
「はい」
ニコニコと相変わらずな玲衣の笑顔。
……しかし、付き合いの長い紗夜から見れば、微妙に引き攣っているように見えた。
「あのね……今日の十時からの会議で使う資料の作成をお願いしたいなぁって……!
立花さんってすごく頼りになるから!」
「今日の十時からと言いますと……。
数日前に手配した第二会議室での◯△産業さんとの新商品プロモーション会議ですよね?」
玲衣の言葉に葵は記憶を辿っていく。
「……それでしたら……」
一旦、机に戻った葵がクリアファイルに入った紙の束を持って来る。
「過去三年間の類似商品に関する宣伝効果を比較できるように纏めたものになります。」
「……は?」
差し出されたクリアファイルと葵の顔を、玲衣は交互に視線を走らせる。
「手が空いた時に、ちょうど良く纏めていましたので。
そちらをお渡ししますから、会議での方向性や発言を決める一助となれば幸いです。」
「手が……空いてた時に……?」
「はい。
最近の魚形課長は、お疲れなのでしょうか?」
心配そうに首を傾げる葵。
「とても仕事の早い方だと孔雀主任からは伺っていたのですが……。
必要な資料などを直前まで準備を出来ていなかったり、会議に必要な資料を勘違いされたり……。」
「…………っ」
体調が悪いのかと、玲衣を心の底から心配している葵の表情や声音。
……言える筈がない。
葵へ嫌がらせをしているだけで、尽く失敗しているなんて。
しかも、葵が間に合わなかった時ように、自分でもちゃんと資料などは作成しているなんて……。
…………言える筈がなかったのである。
「疲れている時は、甘いものが良いらしいですよ。
多めに持って来たどら焼きでも食べて、まずは一服しては如何でしょうか?」
金曜日ともなると、疲れは溜まってますよねと差し出されたどら焼き。
「……何、コレ?」
「ドラえもんの大好物のどら焼きです」
玲衣に差し出されたラップに包まれた茶色い食べ物。
「……そうじゃなくて……何で、どら焼きが有るの?」
「……何で?
私が自分のオヤツ用にたくさん焼いたから……?」
『そうじゃないからっ!
魚形課長の聞きたいことは微妙に違うっ!』
口元を押さえて笑いを堪える営業部社員一同の心の声。
「あ!
餡子は粒餡です!
私的には、生クリームを入れたどら焼きも好きですが、シンプルなものも好きです!」
「…………」
玲衣の目が打ち上げられた魚の目のようになっていく。
「……あ……もしかして、持病に糖尿病とか有りました……?」
「っ?!
そんなの無いよっ?!
人を年寄り扱いしないでくれるっ?!」
糖尿病では無いと証明するために。
葵の手から奪うように取り上げたどら焼きに齧りつく。
「…………」
口の中に広がる優しい甘さ。
玲衣の刺々した心を溶かしていく。
「(絶対に泣かすっ!)」
顰めっ面で食べているのに、柔らかな笑顔の葵。
「あら、良いもの食べているじゃない?
立花さん、今日のお昼のお茶菓子は、そのどら焼きが良いわ。」
「孔雀主任。
はい、外回りから帰られたら、すぐにお出ししますね。」
よろしくと艶やかに微笑む紗夜。
「……ところで、今日の天気はどうかしら?」
「今日は晴れです。
傘などは必要ありませんが、気温は低めですので風邪を引かないでくださいね。
あとは……まあ、クリスマスイブでは有ります。
天気は良いので、残念ながらホワイトクリスマスにはならないかと。」
控えめに微笑む。
結局、葵はクリスマスの予定を彰良に聞けずじまいだった。
本当は、昨夜や今朝にクリスマスの予定を聞くべきだったのだろう。
……勇気が足りないなぁと葵は反省していた。
「クリスマス、ねえ……?
私や魚形課長には縁のない言葉だわ。
でも、貴女と有馬主任は残業なしで帰らなきゃね。」
「……?」
紗夜の言葉に、葵はキョトンとした顔を浮かべてしまう。
「……ちょっと、まさか……?」
紗夜の顔が引き攣る。
「……まだ、誘われてなかったんだ。
クリスマスなのに、恋人を誘わないって……恋人以上に優先するものがあるって自白しているようなものだよね!」
紗夜の眉間にシワが寄る。
明らかに葵を傷付けようとしている玲衣の言葉選び。
「そうですね……犬飼くんも、折角のクリスマスだから大切な方と素敵な時間を過ごして欲しいです。」
切なげな、儚い微笑み。
その微笑みには、一欠片の嫉妬すら見当たらない。
……その微笑みに玲衣は、職場であることも忘れて顔を苦しげに歪める。
「……折角のクリスマスだし、立花さんは食べたいものとかないの?」
「食べたいもの、ですか?」
雰囲気を変えるように、紗夜が話題を変える。
「……ミンタッキーのチキンが好きです。
昔は、クリスマスに家族で食べていましたから……。」
「ああ、あのチェーン店。
クリスマスにバケツみたいな容器のCMを見たことがあるわ。」
嬉しそうな葵の表情に、紗夜も微笑む。
「…………ふん」
安上がりな女、と玲衣は一人鼻を鳴らす。
……だが、その脳裏には儚げな葵の微笑みが焼き付いて、しばらく消えることはなかった。




