第五十八話
真冬の夕暮れ早い。
終業時刻を多少過ぎた時間帯にも関わらず、既に夜の闇が色濃かった。
「あの! 彰良くん……」
無言で葵を連れて、会社のエントランスを抜けた彰良。
無言で先を行く彰良の背中。
「…………」
無言の彰良の足が止まる。
「すみません……葵先輩」
振り返る。
葵の向こう側。
会社から誰も追って来ていないことを確認して…………息を吐く。
「歩くペース、速かったですよね?
……足を痛めたり、していませんか……?」
「それは、大丈夫なんだけど……」
それよりも……
「あのね、迎えに来てくれてありがとう。
……困っていたから、助かったの。」
首元に巻いた大きな彰良のマフラー。
顔を埋めて隠すように。
「……彰良くんが来てくれて……ホッとしたの……」
彰良と繋がった指先に力を込める。
「っ……葵、先輩……」
視界の破壊力。
何で……こんなに可愛い仕草で簡単に、彰良の心を打ち抜けるのか?
「ただね……私と一緒に住んでいるとか、嘘はダメだよ。
……私がよく彰良くんのお家にお邪魔するから悪いんだけど……」
ションボリと告げられた言葉。
「それに関しては……申し訳ないのですが、謝りません」
「え……?」
目を瞬かせる。
「本来ならば、葵先輩のご両親にご挨拶が先だとは……重々、承知の上です。
ですが、今日から……自分と一緒に住んで欲しい、と考えています」
彰良らしからぬ強気な言葉。
しかし、実際は断られたらと不安だった。
「……それは……」
困惑する。
普段の彰良ならば、葵に選択権を委ねてくれていた。
それなのに、何故か強引な雰囲気に葵は違和感をおぼえる。
「……どうして?
彰良くんが、そんな風に話を進めたがるのって……初めてだって思うの。
……彰良くんは、優しいから……いつも私に選ばせてくれたもの。」
「…………」
強引に話を進めることを嫌がられる覚悟だった。
……決して、葵に嫌われたいとは思っていないが。
「……初めて……お会いしましたが、魚形課長は一筋縄ではいかない人種だと判断しました。」
「……それは……うん、何となく分かるよ」
しみじみと頷く。
鈍い自分でもわかる……だから、苦手だった。
「先ほどのやり取りを通して……葵先輩を一人暮らしのままにしておくと、危険だと判断しました。」
「え……?」
キョトンとなる。
玲衣が一筋縄ではいかないことと、葵の一人暮らしが結び付かない。
「……これからの時期、年末年始の飲み会シーズンです。
魚形課長は……葵先輩が断れない状況を作れる立場かと。」
「っ……」
ドキリとする。
確かに、彰良が迎えに来なければ……葵が断りこれない空気を作られていた。
「……だから、です。」
苦虫を噛み潰したような顔。
「葵先輩が、総務課から営業部へのフォローに出向くことを……自分の立場では、ひっくり返せません。
……自分が側にいない時に、断れない雰囲気を作られたら……同仕様もない。」
「…………」
苦しげな彰良の言葉。
葵は断れないままに、飲み会に参加する自分の姿が浮かんだ。
「ですが、一緒に住んでいるならば自分が葵先輩を迎えに出向いても……可笑しくはありません。
それに、出勤と退社時に一緒にいるのは自然な流れとなります。」
一番怖いのは……彰良の知らないところで飲み会に参加し…………酔い潰される流れ。
そのまま……一人暮らしの葵の家に送り届ける役を玲衣が請け負ったら?
もしくは、魚形が酔い潰れたフリをして…………葵が看病をする立場になること。
あの童顔極まりない、甘くて可愛い系な顔の男が酒に弱いフリをしても違和感は皆無だ。
……そして、あの文化ホールの男の件もある。
彰良の大切な唯一人の女性。
その身の安全の確保は、彰良にとって最優先課題だった。
「でも……」
「……自分と住むのは……気が進みませんか……?」
困ったように視線を彷徨わせる葵。
葵が躊躇う理由が分かれば、それを優しく潰していく気が満々だった。
「……あぅ……あ、あのね……」
「はい」
どんな理由でも受け止める。
その上で、絶対に葵に……彰良との同棲を頷いてもらう。
「……私ね……男じゃないよ?」
「…………」
一瞬。
一瞬……彰良の意識が遠のいた。
様々な可能性を選択肢に入れていた彰良。
その遥か上を……後方三回半捻りの勢いで飛び越えられた。
「……あのね、前も言ったけど……一緒に住むのが、嫌じゃないの。
それに、彰良くんが私のことを好きでいてくれることも……知ってるの。」
顔を赤く染めながら、瞳を伏せる。
「だけど……彰良くんのお家に私が居たら、狐川さんが来た時が……困るかなって……。
それに……ずっと一緒に居たいけど……男の人じゃないせいで、彰良くんが悩んだら……女の私には同仕様もなくて……」
「…………」
彰良は……目頭を押さえる。
全く持って……どうして、こんな勘違いに繋がるのかが理解できない。
理解できなくて…………最早、笑うしかない。
何故なら、それが彰良の好きになった葵だから。
「葵先輩」
「……?」
「よく、よーく聞いてください。」
困ったような。
力の抜けてしまった笑み。
「今までも、これからも。
俺の恋愛対象は女性であり、葵先輩だけです。」
真っ直ぐに見つめる。
「狐川 凛が何を言ったのかは把握していませんが……。
自分は過去を含めて同性を恋愛対象と見たことは有りません。」
「そう……なの……?」
幼馴染と言っていた凛が、どうして葵を勘違いさせるようなことを言ったのか?
「……そう言えば、狐川さん……私が彰良くんに相応しいか……見に来たって……」
「アイツに葵先輩を、見に来てもらう必要性は全く有りません。
相応しいかどうかを決めるのも、アイツでは有りません。
俺は……今のままの葵先輩だけを、愛していますから。」
「あり、がとう……えっと、男にならなくて良いなら……良かった……。
どうしたら良いのかなって……私が男になったら、最後まで彰良くんの側に居られるかなって……思っていたから……」
恥ずかしそうに微笑む葵。
「(……え……性転換手術、一歩手前だった……?)」
彰良の頬が引き攣り掛ける。
……根性で押し留めたが。
「その……結論として、自分と一緒に住んで頂けますか……?」
「彰良くんのご家族に挨拶もしないままなのは……とても、気が引けるけど……良いのかな……?」
「自分の両親に関しては、問題ありません。
逆に……自分の方が、正式なご挨拶もしないままになりますので……」
「ううん、それは……私の安全上の問題でも有るから……」
恥ずかしそうに。
嬉しそうに。
「……あの、彰良くん。
頼りない私ですけど……よろしくお願いします」
「此方こそ……不束者ですが、よろしくお願いします……!」
微笑み合う。
「新しい住居の件も含めて、一緒に検討をしていきましょうね。
それに……葵先輩が今借りている部屋の方も、どうするのか考えなければなりません。」
「うん……でもその前に、ね……」
葵にしては、珍しい悪戯な微笑み。
「……?」
「私も……今の彰良くんが、大好きで……愛してます」
「っ?!」
「さっき……好きって返してなかったから……」
ふふふ……と、微笑む葵に、彰良の頬に朱が登る。
「……彰良くん……顔が真っ赤だよ」
「…………今は……俺を見たら、駄目です……!」
「やだ。
照れてる彰良くん、大好きだもん」
「っ……!?
…………あとで、覚えて置いてくださいね」
「ん? それも、やだ。」
クスクスと笑う葵に、手を引かれて彰良は歩き出す。
「……本当に……葵先輩には、敵いませんね……」
二人はゆっくりと夜の道を歩いて行く。
その口元には、微笑みが浮かんでいるのだった。




