第五十二話
時は遡り。
葵が猪原夫婦へポインセチアを届けた金曜日の夜。
華やかなネオンの光が煌めく歓楽街。
その一角にある一軒のお洒落なBAR。
「…………」
黒をメインに統一された店内。
静かな空間に、ピアノの生演奏が響く。
「(……あの女……)」
カウンターに座った一人の男。
口元に運んだグラス。
琥珀色の液体が揺れ、氷が美しい音を奏でる。
「(……意味、わかんない)」
遠い目をして、一人酒を傾ける。
その口元には、普段浮かんでいる笑みは無い。
「(……つーか……女が誠意?
男をATМ扱いするような生き物が?)」
くだらない、と嘲笑が浮かぶ。
女など、信じる価値もない生き物だと。
幼い頃から蝶のように男を渡り歩く母親を見て育ったから、骨身に染みて知っている。
「…………くだらない」
そう……魚形 玲衣は、女は信じるに値しない生き物だと知っているのだ。
「ねえ……」
「んー……?」
琥珀色の中で輝く氷が、溶けて音を立てる。
波打つ長い髪に、豊満な体。
際どいワンピース。
「お兄さん、素敵ね。
……私と一緒に……楽しい一夜を過ごさない?」
華やかな色気を纏った女が、空席だった玲衣の隣に腰掛ける。
「うわぁ……すごい美人さん。」
「あら、ありがとう」
自分の美貌を疑っていない。
自信に満ちあふれた美しい女。
「それで……素敵なお兄さん、お返事は……?」
どうでもいい。
女など、どれも一緒。
八つ当たりまがいの……欲の処理相手。
……そんなもの、身体さえ有れば……どれも一緒。
「もちろん……」
今夜はこの女でイイや。
そんな投げ遣りな気持ちで、答えようとした玲衣。
「…………」
昼間の光景が蘇る。
華やかではない。
着飾ってもいない。
化粧っ気もない。
地味な安っぽい服。
結い上げただけの黒髪。
「……ごめんね。
そう言えば、僕ってば……これから、お仕事だったよ。」
脳裏に浮かんだ……ポインセチアの鉢植えをが抱えて、間抜けた笑顔を浮かべた女。
「…………そう」
「君みたいに、魅力的な女性を優先したいんだけど……ね?
今夜の権利は、あっちで熱い眼差しを君に送っている彼に譲るよ。」
女に視線を向けることなく、立ち上がる。
「…………」
会計を済ませる背後で、女が別の男に声を掛けられていることすら……どうでもいい。
「……ムカつくんだけど……」
BARを出て、歓楽街を歩く玲衣はボソリと呟く。
「これは…………やり返しても良いよね?」
答えは聞いてなーい、と鼻で嗤う。
……女なんて、どれも一緒。
だけど……頭に浮かんだ間抜けな笑顔の女。
玲衣は一人……静かな自宅へ帰路に着くのだった。
日曜日の夜。
静まり返った世界を、月夜だけが照らしていた。
奇しくも、美しい半月を別々の場所で眺める鏡合わせの二人の男達。
それぞれが、鏡合わせの相手の素性調査を依頼していた。
その鏡の片面である…………彰良は、電話を終えて、静かにリビングから寝室へと戻った。
「…………」
彰良の体格に合わせたキングサイズのベッド。
其処には、彰良の最愛の女性が静かな寝息をたてている。
……起こさないように、静かに。
ベッドの端に腰掛ける。
「……葵先輩……」
白いシーツに広がった黒髪。
安心しきった寝顔。
可愛くて。
綺麗で。
愛しさが溢れてくる。
「…………」
どうしても……触れたくて。
眠る葵の頬に手を伸ばす。
「…………ん……」
葵の頬に触れるか、触れないか。
「……あ、き……ら……くん……?」
身じろぐ。
思わず手を引く。
「………ん…?」
微かに開いた、黒曜石を思わせる瞳が……彰良を捉えた。
「…………?」
眠い目を擦り、葵が上体を起こす。
「あきら、くん……ねむれないの?」
ぼんやりとした葵に、彰良の口元が緩む。
「……すみません、起こしてしまいましたね。」
「んーん……どうしたの……?」
ベッドの端に腰掛けた彰良に近寄り、その背中にもたれかかる。
「っ…………」
葵は……恐らく、無意識なのだろう。
金曜日の夜。
彰良と葵の想いが、お互いが相手の帰る場所だと重なった……あの夜。
あの夜から、葵は彰良へと自ら近寄り、引っ付くようになった。
まるで……小さな兎が安心できる番に甘えるように。
「……喉が渇いて、目が覚めたんです。」
背中に感じる、葵の温もり。
「……今夜は、月が綺麗ですよ」
葵を優しく横抱きにし、窓に近付く。
重たいカーテンを開ければ、暗い寝室に差し込む半月の銀色の光。
「…………きれい……」
「そうですね……」
二人で見上げる半月。
「…………」
彰良の脳裏に……あの日の、三日月が浮かぶ。
「葵先輩……"死んでもいい"」
あの時は、虚を突かれて返せなかった言葉。
「え……?」
目を瞬かせる。
「それとも……"明日の月も一緒に見れますか?"の方が良いですか?」
「っ……それ、は……」
月夜のお台場公園。
諦めきった心で、彰良へと告げた葵の言葉。
「"月が綺麗ですね。貴方と見る月が一番綺麗です"」
「"死んでもいい"」
心が一杯になる。
時を超えて……あの日の答えが、葵の心を満たした。
「葵先輩……愛してます」
「っ……わたし、も……愛してます……!」
半月の光に照らされて。
二人の影は確かに重なったのだった。




