第四十三話
一人ぼっちの未来。
両親も、兄達もいなくなった……年老いた葵。
「……死んだ時に、泣いて欲しいとは言わないから……。
せめて……"やっと、死んだ"とか、思われたくないの。」
「っ……」
ガラス玉のような瞳。
「……誰の心にも残らなくていいの……」
自分の未来を想像し、諦めきった葵。
「煙たがられて、死んで欲しいって思われるより……よほどマシだもの。」
自嘲の笑み。
年老いた葵の隣には……誰もいない。
「……葵、先輩……忘れたんですか?」
「……?」
伏せられていた瞳が彰良を捉える。
「葵先輩と俺は……"死ぬまで一緒にいる"」
「っ……あ……」
目を見開く。
「俺は、死ぬまでも、死んだ後も……葵先輩から離れません。
だから、葵先輩が可愛いお祖母さんになったとき。
その隣には、変わらず葵先輩のことを大好きでたまらない……年寄りの俺がいます。」
向かい側に座っていた葵の足元に跪く。
「年を重ね、年寄りになっても。」
葵の頬に、一粒の涙が零れ落ちる。
「葵先輩の死ぬ瞬間にも、傍らには俺がいます。」
「彰良、くん……」
ポロポロと涙が溢れ出す。
「うん……うんっ……!」
座っていた椅子から飛び降りるように。
勢いよく彰良に向かって抱き着く。
「ちょっ?! 葵先輩っ……!」
突然の葵の動き。
床に落としてはならないと、目を剥きつつも……彰良は受け止めた。
「危ないですっ! 葵先輩……!
俺が受け止められなかったら、怪我をします……!」
「へいき!
だって、彰良くんなら絶対に受け止めてくれるものっ!」
「…………」
涙まじりの笑顔。
彰良は、何も言えなくなる。
「……っ……」
彰良の胸に飛び込んだ葵は、頭を押し付けた。
「葵先輩……俺は、葵先輩とずっと一緒です」
「うん……私も、彰良くんとずっと一緒がいい……!」
額を合わせる。
微笑み合う。
「ありがとう……愛してる、彰良くん」
「俺も、愛してます……葵先輩」
床の上に座り込んだ二人は、しばらくの間。
お互いの体温を分け合ったのだった。
夕食を済ませ、お皿の片付けまで終わった二人。
一日の疲れと涙を洗い流すように、葵はシャワーを浴びていた。
「…………んー……なにか、忘れている気がする……?」
熱いシャワーを浴びながら、葵はぼんやりと考える。
「…………」
今日は……いや、昨夜から色々と有り過ぎた中で、一つや二つ忘れていても仕方がない。
「……いつか、思い出すかな……?」
心がふわふわしている。
嬉しくて、幸せで……心がいっぱいだった。
「…………さびしいの……消えた、気がする……」
どんなに、嬉しくても。
どんなに、楽しくても。
あの……十六歳の夏を境に。
葵の心の何処かにポッカリと口を開けていた穴。
その穴が……やっと埋まった。
「……彰良くんは……すごいなぁ……」
ほわほわと温かい。
彰良のことを想うだけで、心が幸せで満ち溢れる。
「…………ふふっ……」
キュッとシャワーの蛇口を閉める。
浴室から出て、体を拭いていく。
「…………しあわせ……?」
鏡に映った自分に問い掛ける。
頬が紅潮し、口元に柔らかな笑みを浮かべている鏡の中の葵。
「……幸せ、ね……」
幸せな心。
「……彰良くん、シャワーをありがとう」
「葵先輩……っ……?!」
タオルで髪を拭きながら現れた葵。
彰良の心臓が跳ねる。
「っ……葵先輩、何か……」
風呂上がりの葵の姿を、彰良は何度か見たことがある。
「ん……?」
首を傾げる葵。
「いえ……何でもありません……!
自分も、シャワーに行ってきます……!」
変わらない……変わらないはずなのに、何が違う。
柔らかな空気も。
穏やかな瞳も。
華奢な体も。
だが……葵の纏う雰囲気が、艶っぽい。
「っ……なに、が……?」
シャワーを頭から浴びながら、彰良は口元を片手で覆う。
「……今夜は……側にいるのは、無理……だ……」
艷やかな葵へ手を伸ばしたくなる。
甘やかに香る花を……手折りたくなる。
「……っ……」
下半身へ血流が集中する。
今夜も……一人、ソファで寝なければ……!
彰良は一人……シャワーを浴び続けた。
慌てて入れ替わるように。
洗面所へと入った彰良。
「……彰良くん……シャワーを浴びたかったのかなぁ……?」
いつかも同じようなことがあった気がする、と、首を傾げる。
「………」
ソファにストンと腰を下ろす。
「……あ……」
ぼんやりと辺りを見回した葵の視界に、一着の服が映る。
「彰良くんの……背広だ……」
思わず手を伸ばす。
胸元に引き寄せ、頬を寄せる。
「……あたたかい……」
思えば……彰良の背広に安堵を覚えるのは、何度目だろうか……?
「…………す、き……」
ゆっくりと閉じる瞳。
絶対の安心感が葵を包む。
「…………」
そのまま、ソファの上にゆっくりと倒れ……小さな寝息をたて始めた。
その腕のなかに、しっかりと彰良の背広を抱き締めて。
シャワーで体の熱を冷やした彰良。
「……葵先輩……?」
洗面所から出た彰良の視界。
「葵、先輩…………葵先輩っ……!」
過去の傷が疼く。
「葵先輩っ……何処に……っ!」
あの日も同じだった。
扉を開けて、リビングを見渡しても……見付からなかった葵。
「葵せんぱ…………は?」
荷物の有無を確かめようと、ソファへ行けば…………静かな寝息をたてて眠る葵。
「っっ…………」
脱力する。
「……葵先輩……」
苦笑する。
腕の中に、彰良の背広を幸せそうに抱き締めて眠る愛する人。
「……今日は、疲れましたね」
起こさないように。
何にも変えられない。
彰良の唯一無二の宝物。
「ゆっくりと休んでください」
己のベッドへと葵を静かに、横たえる。
「…………」
葵を起こさないようにベッドから離れる。
細心の注意を払って。
寝室から退室しようとした、その時。
「……ぁきら、くん……?」
「っ?!」
眠たげな瞳。
眠っていた筈の葵が、体を起こしていた。
「……どこ、いくの……?」
「葵先輩……」
「……私を、おいていくの……?」
「っ……」
背広を胸に抱いたまま。
葵が、彰良へと近付いてくる。
「……一人は……もう、やだ……」
悲しげに目を伏せ、縋るように彰良の部屋着を指先で掴む。
「……あの、葵先輩……今日は……その……」
「…………」
潤み始める瞳が、彰良を見上げてくる。
「葵先輩……すみ、ません……。
その、今日は……一緒に寝ると、葵先輩に手を出してしまいそう、で……」
「……て……?」
「襲って……しまう、かも……しれません」
異性を、性欲を向けられることを怖がる葵。
そんな葵に、無体な真似はしたくない……!
「…………ぃよ……」
「え……」
葵が彰良へと、更に近付く。
「……彰良くんなら……いいよ」
「……っ?!」
「彰良くんになら……襲われても、いいの……」
彰良の背中に、葵の額が触れる。
「大好きな……彰良くんに、抱いて……ほしい……の……」
「っ……葵先輩っ……!」
振り返り、葵をきつく抱き締める。
「……葵、先輩……すみません……!」
腕の中の華奢な体。
「もうっ……とまれません……!」
腕の中の葵を引き寄せ、彰良は唇を重ねるのだった。




