第百三話
鴉の声が遠くの山に響く。
沈みかけた夕日。
薄暗くなり始めた周囲。
「……あの、葵先輩……」
「ん?」
「……本当に、此方で合っていますか?」
「……たぶん?」
「……………………」
遭難するかもしれない……。
二十年以上……生きて来て、彰良は初めて思った。
事の始まりは、大晦日に葵が一緒に過ごすという鬼さんの家へと出発したことだった。
「葵先輩、住所を……」
「え……」
彰良が鬼さんとやらの住所を問い掛けた瞬間に、不思議そうに目を瞬かせた。
「そう言えば……私、鬼さんの住所を知らないわ……」
「…………」
「四谷の方に有って……気が付いたら、山の中にある御屋敷……?
そう! 階段と鳥居が続く神社の麓に有る御屋敷に辿り着くの!」
「………………」
何だ……そのホラーな辿り着き方は?
「鬼さんのね、お母様が祀られている神社らしくて。
廃れていた神社を、鬼さんが一から再建したのよ。
私も、ちょっとだけどお手伝いしたの。」
「(……これは、指摘した方が良いのか?
母親が祀られている神社って可笑しい…………可笑しいと思う俺が可笑しいのか?)」
至極当然。
当たり前のように微笑む葵に、彰良の中にある常識が揺らぐ。
「……あの、葵先輩……」
「なぁに、彰良くん?」
「…………車で行ける場所ですか?」
色々と可笑しくないですか……?と言う疑問は、葵の楽しそうな笑顔の前に霧散してしまった。
「車……龍さんと一緒に車で行ったことが有るから大丈夫だと思うけど……?」
「……毎年、龍さんと待ち合わせて……?」
「ううん。
私は歩いていたら、気が付いたら到着してることが多くて……不思議よね」
「………………不思議、ですね……」
不思議とは思っていたのか……。
「そうなの!
不思議だから、鬼さんにどうしてかなって聞いたことがあって……」
「聞いたんですかっ?!」
葵がちゃんと不思議だと考え、鬼さんへ確認していた……!
「うん。
そうしたらね、鬼さんが"そういうものよ"って。
鬼さんが言うから、そういうものなのかと思ったの」
「っ…………そ、うですか……」
鬼さんが一枚上手だった……!
だが……何故、其処で納得してしまえるのか……?!
「(……それだけ……揺るぎ無い信頼関係が葵先輩と鬼さんとの間には有る、のか……?)」
遠い目をしてしまう。
鬼さんに直接会ったことのない彰良には、まだ理解の及ばない世界だった。
「今年は、彰良くんとも一緒に大晦日を過ごせるから……すごく、嬉しいの……」
恥ずかしそうに頬を染める葵。
「自分も、葵先輩と一緒に過ごせて嬉しいです……」
鬼さんや龍さんという……二人に出会うことに関しては、不安で堪らないが……。
「(……流石に……現実で、ホラー映画のような展開は無いだろう……)」
そう……出発前に思った彰良。
……人はソレを……前振りという……。
そして、冒頭に戻るのである。
四ツ谷の町中に居たはずなのに。
何時の間にか鬱蒼と生い茂った木々の間の小道を歩いていた葵と彰良。
「あ……彰良くん!
此処が鬼さんのお家だよ!」
何時の間にか長い階段の前に辿り着き、葵が笑顔で指をさす。
「……まさか……本当に、気が付いたら到着してしまうとは……」
葵が示した先には、確かに年季の入った日本家屋。
彰良の常識では考えられなかったことを、実際に体感してしまった。
「……葵先輩……」
「ん?」
「………………とても……雰囲気のある日本家屋ですね……」
古びた瓦屋根。
屋根の上に並んだ鴉の群れ。
所々にヒビの入った白壁の塀。
古びた木製の門。
「そうね……でも、ちゃんと洋式トイレだから大丈夫よ」
「……………………そこ、ですか……」
トイレの話じゃないっ……!
心の底から思ったが…………言葉にはならなかった。
「(…………果たして……俺と葵先輩には、同じ光景が見えているのか……疑わしい……)」
屋根に並んだ鴉たちに睨まれている気がする……。
日本家屋自体が、怪しい雰囲気を放っているのは……気のせいだろうか?
「もしかして……彰良くん、緊張しているの?」
小首を傾げて微笑む葵が可愛い。
「………………そう、かもしれません……」
とても可愛い葵の背後に広がる……お化け屋敷のような日本家屋が可愛くない……。
「……………葵先輩、手を繋いで貰っても良いですか?」
「え、うん……?」
不思議そうな葵に、彰良は覚悟を決める。
「(……もし、何か危険を感じた時には……迷わずに葵先輩を連れて逃げる……!)」
彰良の目が据わる。
「…………あらあら……失礼ね。
私の大好きな可愛い花ちゃんを……傷付けたりしないわ……」
耳元でか細い女の声がした。
「っ?!」
瞬時に振り向くが……誰もいない。
背筋が粟立つ。
「あ……」
ギギギ……と、軋んだ音がした。
「鬼さん! 久しぶり……!」
彰良にとっては場違いな明るい葵の声。
「っ……」
前を向けば……烏の濡れ羽色の女がそこにいたのだった。
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