02-3
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前回きてから半年振りの日本だったが、私はさして名残惜しいとも思わなかった。
会場の長崎には友達も親戚もいない。だから、私は試合が終わるなり急いでアメリカに帰る飛行機に飛び乗った。
私の故郷は生まれた土地でも育った場所でもなく、ユリカのいるところだ。
なにせ、一週間も会ってない。
深刻なユリカ不足だ。
「ユリカ……ユリカ……」
気をつけておかないと、そんな風にぶつぶつぶつぶつとつぶやいてしまいそうだった。
けれど、空港につくなり携帯に入ったメールは私を酷く落胆させた。
試合で勝ったうれしさなど、完全にどっかへいってしまうほどの悲報。
ユリカはコーチとの練習の兼ねて、次のグランプリシリーズが行われるロシアに一週間早めに出発してしまったのだ。
ただでさえ寂しい一週間に、さらに二週間が加わってしまった。
三週間もユリカに会えないなんて。
まずはリンクに直行──もちろんユリカに会うためにだ──しようと思っていたが、その元気もなくなり、私は重い荷物を置きに家に帰ることにした。
この時間だと当然お父さんは仕事だ。だから私は遠慮なくタクシーを拾って帰ることにした。
「あ、ここです、ありがとう」
運転手にそう告げて、車から降りた。
「ん?」
家の前を見るとお父さん車があった。
驚くと同時に嫌な予感がした。
死ぬほど忙しいお父さんが、こんな時間に家にいるのはおかしい。もしかして事故でも起こしたのではないか、そんな憶測が私の足を速める。
「お父さん?」
ただいまの挨拶を省略してそう呼ぶ。
だが、返事がない。トイレにでも行っているのか。
しかしリビングに入ると、そこにはちゃんとお父さんの姿あった。
「おかえり、裕樹」
お父さんはこちらを向き、覇気のない声で──もともと声を張り上げるタイプではないが、いつもよりもさらにだ──私に話しかけた。
「どうしたの? 風邪?」
自分で聞いてみるも、そうじゃないとわかっていた。なぜならお父さんはたとえ38度の熱が出たとしても会社を休まない、仕事人間だからだ。自分の体調が理由で仕事を休んだことなんて一度もない。
「いや、今日は特別に休みをもらってね」
特別に、という言葉の重みを感じずにはいられない。お父さんが休みをもらうのは普通、年に一度だけだ。つまりそのシーズン、私が出場する中で一番大きなスケートの大会の日。娘の晴れ舞台を見る、それ以外の理由でお父さんが仕事を休むことは絶対にない。
ならば今日は何故────
「まぁ、休みといっても、やらなきゃいけないことがあるからなんだけど」
疑いは確信に変わってくる。どう考えても、良いことなんて起こりっこない。間違いなく私にとって悪い展開が待ってる。
「実はな────」
私は身構えた。
これから来るであろう衝撃に備えた些細な防御。
けれど脆い守りは、斧のごときその告白を前に、なんの意味も成さなかった。
「転勤が決まってな、日本に帰らなくちゃいけなくなったんだ」
世界が暗転した気がした。
斬るなんてもんじゃない。叩き割るような一言。
私はその言葉の意味を理解できずにいた。
沈黙が部屋を包む。何を言えば良いのかわからず、あれこれ頭を回す。けれど頭は回っているよう出回っていなかった。
「俺は一ヵ月後には日本に行かないと行けない」
一ヶ月という具体的な数字が、より私に現実を突きつけた。
「そんなこといっても、私無理だよ?」ユリカと離れるなんて。まず真っ先に出てきたのはそれだったが、私は喉まで出てきたそれを飲み込んで、もっともな理由を付け加えた。「だってスケートがあるし…………」
「ああ、そうだ。もちろんだ」
お父さんは頷いた。だから私はその瞬間、瞬間的に希望を見出した。そう、お父さんが日本に行くことと、私が日本に帰ることとは必ずしもイコールではない。
けれどその希望は、結局瞬間的な希望でしかなかった。
「四月までは<・・・・・>アメリカで暮らせるようにするから」
絶望的な五文字だった。
お父さんは私の頭を撫でながら言った。
「裕樹、お前がここを離れたくないのはわかってる。けどな、お父さんもお前と離れたくないんだ。だから頼む、一緒に日本に来てくれ」
子供の私が言うのもなんだけど、お父さんは娘を溺愛している。
もちろんそれは単に子離れ出来てないとかそういう話じゃない。妻がいない今、一人娘は唯一の家族なのだ。
ただ一人の家族と離れ離れになるという選択肢は、お父さんにはない。
それは簡単にわかる。
けど…………
「嫌だよ」
私はお父さんの勢い良く手を払いのけてそう言った。
「絶対行かないから」
大切な人と離れたくないのは私も同じだ。




