01-4
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トレーニングルーム行くと、先客がいた。
欧米人のアスリートにありがちな、無駄に主張された筋肉は見当たらない。むしろひょろっとしていて、中世的。どこか頼りなげでだが、美形なのは間違いない。
フィリップ=エルドリッジ
もちろんスケート選手。種目は男子シングル。
前年度アメリカ選手権三位。
美しいトリプルアクセルを飛ぶことが出来る上に、他の五種類も正確に飛ぶことが出来る。。
また、男子としては珍しく体が柔らさを武器にしている。男子の世界でビールマン、ドーナツ、I字など、最高難度のスピンをほぼ全て習得しているのは彼くらいのものだろう。ちなみにいずれも体の柔らかさに欠ける私には出来ない業だ。
頼りなげという印象は、見ようによっては優しそうという印象に代わる。
なよなよした男が嫌いな欧米人の人気はさほどないものの、アジア圏に熱狂的なファンを多く持つ。その筆頭はもちろん日本であり、彼のファンクラブ日本支部の会員数はアメリカのそれを凌ぐ。
「裕樹、調子はどう?」
彼はランニングマシンから降りて、満面の笑みで手を振ってきた。
多分、日本のファンがあの笑顔を向けられたら、あまりの美しさに卒倒するだろう。まぁ私には少しも効果ないけど。
「王子様がトレーニングルームなんて珍しいわね」
私は彼のことをそう呼んでいた。お金持ちの息子だからと言うのもあったが、純粋になよなよした彼を揶揄している面は大きい
「その言い方やめてよ……」
欧米人らしく、大げさに肩をすくめる。
「次の試合ノーミスだったら止めたげる」
「それは無理……」
これだ。彼の弱点はここ。
メンタルが弱い。まず弱気。そしてプレッシャーに弱い。
彼は、才能という点では誰にも引けをとらない。
練習では四回転だって跳べるし、世界一美しいトリプルアクセルも持ってる。スピンもステップも得意。基礎的なスケーティングスキルも高い。
なのにそれを練習で発揮できない。
ついたあだ名は“練習王子”<プラクティ・スプリンス>。
私は彼のスケーティングが大好きだ。
本当にすごい演技をする。
なのに、それを皆はそれを知らない。世界が彼の本当の滑りを知らない。それに対して苛立ちを覚えている。
逆に、私はメンタル面にはすごく自信があった。
追い込まれるほど力を発揮するタイプ。
もちろん人並みには緊張する。けれどそれを制御して、むしろプラスにする術を心得ていた。
「まったく、読書だの、ピアノの練習だのしてる暇あったらメンタルトレーニングでもしなさいよ」
この王子様、見かけどおり趣味は読書とピアノの練習。見かけどおりにもほどがある。
「いいじゃんか。心が落ち着くんだ」
ちょっと不思議なことに、フィリップと話してると気持ちが軽くなる気がする。それは彼と話す人間なら誰もが感じることだろう。
彼と話していると、嫌なことを考えなくてすむ気がした。
「で、ちなみに今何を練習してるの」
私はあえて話を続けるために、話題を振ってみる。
「今練習してるのは仮面舞踏会かな」
この前彼の家のパーティに呼ばれたときに、腕前を披露してもらったが、これが結構なものだった。
「え、仮面舞踏会?」
仮面舞踏会は今年私がショートプログラムに使っている曲だ。
こないだパーティで聞いたのは“愛の夢”だった。これも私が好きな曲で、去年のフリーで使っている。
あれ、そういえば二年前に聞いたときは、トゥーランドットって言ってたっけ。これものお気に入りで、そのときフリーで使った曲だったような。
…………。
……。
本当に音楽趣味が合うなぁ…………。
「私たち選曲のセンスが似てるのね」
私がそういうと、彼は渋い顔をした。
「どうかした?」
「なんでもないけど」
明らかに顔は、なにか言いたげだった。
「なによはっきりしなさいよ」
「いやほんとなんでもないよ……。さて、リンクに戻るかな。じゃぁまたね」
と、そこまで一息で言って、彼はすばしっこくトレーニングルームを後にした。
なんだったのよ今の……。
わけわからないやつだ。




