06-11
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曲目、白鳥の湖。
あの有名なイントロ。それがまず遅いテンポで幻想的なシンセサイザのシークエンスを伴って流れる。
まずは、最初のジャンプ。ここで勝負が決まるといっても過言ではない。
フリップ+ループという最高難度のトリプル+トリプルジャンプ。
ふわっと浮き上がる。
それこそ白鳥が飛び立つ様に。
「――ッ!!」
思わず息が漏れる。
見事なトリプルフリップ、そして息着くまもなくトリプルループ────
現在の女子シングル界で彼女しか出来ないジャンプ。クリーンに決まった。その成功は会場のボルテージを一気に引き上げる。
だが、彼女の顔はまだ固い。
その険しさで、私にピンときた。それはスケーターの勘としか言いようがない。
根拠はない。
けど、間違いない。
彼女は最高のチャームを残している。
これもまた彼女にしか出来ないジャンプ。
私の四回転と並ぶ最高難度のジャンプ。
トリプルアクセル。
スケート靴のブレードの構造上、スケートは後ろ向きに滑る方が楽になっている。だからアクセル以外のすべてのジャンプは後ろ向きに踏み切って後ろ向きに着氷する。
アクセルは他より半回転多い。
そしてジャンプを前向きに降りることは、スケートの構造上不可能。つまり半回転多く回るには、前向きに踏み切るしかない。
唯一前向きに踏み切るジャンプ。
それは明らかに他とは違う、異質なジャンプ。
これだけは別格。前向きに踏み切る恐怖。それと戦って、そして乗り越えた先にしか、その成功は無い。
このジャンプの成功者は片手で数えるほどしかいない。
半回転という、一見僅かに見える差は、実は途方もない差。そのあまりの難度に多くの選手が成功をあきらめる。
多くの選手が、半回転という僅かに見えて絶望的な差を前に、進むことをやめてしまう。
彼女はいまそれをやろうとしている。
いや、やりとげようしている。
確かに、彼女はそれを練習では成功させていた。
けれど、四回転にしてもトリプルアクセルにしても、練習で成功させている選手はそれなりにいる。
それなのに、試合となるとまったく、あるいはほとんどいなくなるのは、それだけ本番の一回きりの挑戦で、極度の緊張状態で、成功させるのが難しいということ。
しかも六分間練習では、彼女はその素振りすら見せなかった。
おそらく、触発されたのだ。私の四回転<クワッド>に。
失敗すれば、ユリカの負けは決定的だ。
決まれば────私が上がったステージに、彼女も上がって来る!!
会場も息を呑む。
決意は伝わっている。
一見無謀に思えるその挑戦────
左足のアウトエッジにすべての体重を乗せてバランスをとる。長い助走から、そして、前向きに振り返る!! 左足インエッジにすべての体重を移し変えて、踏み込む!!
飛翔。
美しいポジションを保ったまま高く。
一回転、
二回転、
三回転
────半ッ!!
まさに白鳥。
美しく発って美しく舞い降りる。その跳躍は、湖面にはわずかな、そして規則的な波紋だけを残す。
けれど小さな振動は、彼女を中心に大きくなり────会場全体に広がる!!
弾ける喝采。
不思議と焦りは感じなかった。
ただ、純粋に、思った。
やっぱりユリカはすごい
百合色の染められた銀盤は、それが一つの世界観。観客は、ただひたすらに、小さな身体に惹きつけられる。チャームにかかってしまう。
トリプルサルコウ。難なく決めて、白鳥が翼を広げるようなキャメルスピン、さらにスパイラルと続ける。振り付けが曲と連動しているのがまた心憎い。
伝わってくるのは圧倒的な存在感。下手するとチープにさえ聞こえる白鳥の湖というポピュラー過ぎるこの曲も、彼女の魔法にかかれば、彼女だけのものになる。百合色に染まってしまう。
演技は後半に入り、曲のテンポが徐々に上がってくる。
ここからはジャンプの得点が1,1倍になる。
そこに彼女は四つ連続でジャンプを持ってきている。
トリプルフリップ、そしてダブルループ!! さらにもう一つコンボ続けて、トリプルトウループ+ダブルループ+ダブルループの三連続。
二つのコンビネーションを連続成功させ、クライマックスに向けて、観客の意識を改めて自分に向けさせる。
畳み掛けるように難度の高いトリプルルッツ。そして最後のジャンプ、トリプルループ!!
奇跡が起こった。
トリプルアクセルを含む六種類のジャンプをすべてノーミスで成功────
隙の無い演技。
演技が完璧な一つのシークエンスとなったときにだけ現れる奇跡の高揚感に乗せて、ストレートラインステップシークエンス。
会場が一つになる。
最高の演技を前に、誰もが息をとめるしかない。
許されるのは、彼女を見つめることだけ。
…………。
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