05-4
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当たり前だが、ノーミスの三木楓が暫定首位に立った。
その後の選手も健闘はしていたが、実力・経験共に三木楓には及ばず。彼女は首位を守りきった。
三木楓の一つ下に、ショート二位の内田麻里。彼女はトリプル+トリプルのコンビネーションを含めた完璧な演技をしたが、やはり細かいところでの未熟さ、そして実績の差で点数が開いた。それでも初めての全日本選手権でこれだけの演技、将来的には大きなライバルとなることは間違いない。
とにかく、これで三木楓のメダルは確定。
その色が金になるのか、銀になるのかは私次第だ。
最終滑走。
男子シングル・ペア・アイスダンスはすでに終了しているので、今年の全日本選手権は私の演技を持って締めくくられる。
日本の全てのフィギュアスケーターだけでなく、この会場に集まった客たち、テレビの向こうで見ている視聴者たち、すべてのスケート関係者にとって、この年を締めくくる最後の演技になる。
そんな重役。
プレッシャーは小さくない。
だけど、その重さを受けてなお、今日の私は軽い。むしろ、その重さがちょうどいいストッパーになる気がした。
「じゃぁ、行ってきます」
「おう」
デヴィスコーチの顔にも心配の色は見られない。
あるのは弟子に対する厚い信頼。
『二十四番、白石裕樹さん』
ひときわ大きな声援に後押しされて、リンクに舞い出る。
体の調子は万全だ。昨日までの不調が嘘のよう。
六分間練習からの間がかなり空いてしまう最終滑走は普通は難しいが、今日はなんの支障もないように思える。
本当に体が軽い。
考えるな。身体の染み付いたとおりにやれ。そうすれば成功する。というのはコーチの口癖。
そして、私はそれが正しいのを知ってる。
――――音楽が流れる。
ドヴォルザーク、新世界より。
序盤は静かな曲調に乗せて、三つのジャンプ。
まずは、三回転からのコンビネーション。ここが決まらないと話にならない。
トリプルルッツ────完璧な回転、さらにもうひとつ、ダブルループ。完璧。調子は良好、それを確認して。
そして、ここだ。
女子の世界では、私のみに許された選択。
クワドラプルトウループ。
まだ世界の舞台はおろか、国内戦でさえ誰も決めたことは無いエレメンツ。決まれば全日本選手権始まって以来の快挙。
恐れず、練習どおりのイメージを……いや練習以上のものを出す!!
助走の感じ、ターンに入るその速度、そして飛び上がったその瞬間──この感じだッ!!
空中を舞う。
僅か一秒の高速回転。
だが、まるでスローモーション映像のように、私はしっかりと会場を見渡していた。
同じ景色を、
一回、
二回、
三回、
そして──────四回!!
ドドンという打楽器に完全にシンクロした着氷。
それはきっちり四回転────。
「やったっ!!!!!」
思わずガッツポーズとともに、叫んでしまう。
私のスケート人生の中で一番大きい歓声。
歴史を塗り替えたその瞬間に対する賞賛を全身に浴びる。それは最高潮に達した心をさらに上へ高揚させる。
もはやクワッドを決めた後に、怖いものはない。
そのままの流れで、二つ目のトリプルルッツ。なんてことはない。今日の私にはおちゃのこさいさい。
そこから、あらゆる楽器が加わった壮大なパートに変わる。
まずはバタフライからのフライングキャメルスピン。曲にあわせるように高速で回って、そのままもう一つ、今度はコンビネーションスピン。二つの高速スピンで会場を沸かせる。
そして一度スローパート。そのはじめはスパイラル。
それが終わると、演技は後半にはいる────
ここからはジャンプの基礎点が1,1倍になる。成功すれば点数を稼げるが、もちろん失敗すれば失うものは大きい。
けれど、今日の私に失敗の二文字は浮かばない!!
まずは後半にもってきた最大の大技。
ファーストジャンプは簡単な部類に入るダブルアクセルから。勢いよく入って、二つ目のジャンプにつなげる。そしてここで──トリプルトウループ!!
2-3回転のコンビネーションの成功に会場はよりいっそう沸き立つ。
もう本当に何も恐れるものは無くなった。
ここから勢いよくトリプルフリップ+ダブルトウループ+ダブルトウループの三連続。ことごとく、予定通りに音楽と調和したジャンプの離氷と着氷。ここまでタイミングが合うことも珍しい。
さらにトリプルループ、二回目のトリプルフリップ。
「わお」
思わずガッツポーズ。
全てのジャンプすべて成功──それも四回転を含めて。それはまったく未知の領域。もしかしたら、こんなに良い演技が出来ることなんて、これからさきないんじゃないだろうか。これを超える演技が出来るか、そんなバカみたいな心配をしてしまう。それくらい最高の演技ができてる。
後は、壮大な音楽に乗せて、観客とともに上るところまで上るだけ。ストレートラインステップシークエンス。
リンクの端から端までのミッドラインを一気に駆け抜ける。風のように軽やかに鮮やかに。けれど足元は複雑な図形<フィギュア>を描いて。
もはや体力を残す必要など無い。最終滑走だ、誰にも遠慮する必要ない。余った体力を使い果たすよう、激しいステップを、深く、深く、氷に刻み付ける。
一滑りするたびに、どんどん観客と、アリーナと、一体になっていくのを身体全体で感じる。
最後のレイバックスピン、激しいステップの後でもそれでもまだ余っている体力を絞りきっての高速スピン──────
最後の音の残響を、観客の声援が打ち消した。
スタンディングオベーション。
その大きい声援を浴びるのは、リンクに立ち尽くす私一人だけ。その快感。どっと溢れ出る忘れかけていた乳酸さえも快楽に変わる。甘い麻薬のようなそれに酔いしれて────
けれども頭にあったのはただ一つの事実。
今宵、白石裕樹は歴史に名を刻んだのだ。




