04-8
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「はい、どうぞ。おごり」
と、三木楓は近くの自販機で買ってきた温かいカンのお茶をくれる。
怒っていたとおぼしき彼女から、なぜか飲み物をおごってもらっている。この状況に私は困惑していた。
「あ、ありがとう……」
彼女は相変わらず機嫌が悪そうだった。
私たちは休憩室の椅子に、向かい合って座る。
私はカンを空けてお茶を飲みながら、半分ほど相手の出方を伺って、しかしなにも言ってこないのでこちらから声をかけた。
「私のこと、楓で良いから」
「あ、うん……。私も裕樹で良いよ」
そういってちょっと待っていても、彼女が口を開く気配が無い。
「それでなにか?」
と私が言うと、彼女は口にしていたカンをおいて、口を開いた。
「もしかして生理?」
「……は?」
いきなりの言葉に、私は絶句する。
いやいや、そう思ったはむしろ私だ!! なぜか不機嫌そうにしてるから、お前こそ生理だろと叫びたい!!
が、もちろんそんなことは言えない。
「いや、違うけど……」
「そ、そう」
えっと、ん? 彼女は何が聞きたいのだろうか。
すると彼女はもう一度口を開く。
「じゃぁ、何、失恋でもしたの?」
今度は────別の意味で絶句する。
失恋。
その二文字。
私が、あえて思わないように避けてきた二文字の言葉。
今のは楓なりの冗談だったらしく、様相外の反応に焦っているのがみて分かる。
「え、ちょっと待ってよ、やだ、図星?」
あぁ、そうか。
失恋か。
重い言葉がのしかかる。
なるほどね……。
納得した。その二文字が、なんかしっくりきた。
そう、これは失恋なのだ。
納得したら、なんか涙が出てきた。
「ちょ、ちょっとえ……」
急に目の前で泣き始めたのを見て、三木楓はさらに当惑していた。
私はことスケートのことであればメンタル面に自信がある。
試合ではどんなに緊張してもある程度は力を出せるし、予定外のミスでパニックに陥ることも無い。
女子選手が不調になると泣きながら練習するというのはよく見かける光景だけど、私は絶対に泣かないと決めていた。
けれどユリカのこととなれば話は別だった。
ジャンプの失敗より、観客に笑われることより、負けることより、なによりもユリカに嫌われることが、ユリカにそっぽを向かれるのが怖い。
「ごめん。急に泣き出しちゃって」
けど、ユリカと離れなきゃいけない。その悪夢がいま現実のものになろうとしていた。その恐怖にされされて、私は感情を抑えられなくなった。
「ほら、涙吹いてよ」
楓が差し出したハンカチを、私は素直に受け取って涙を拭いた。
そんな彼女の行動に、私は今までのどちらかというとマイナスに傾いていた評価を改めていた。
「それで、どうしたの?」
こうなってしまった以上、何も話さないで、はいさようなら、というわけにはいかない。
だから私は、好きな人の性別が女だということだけは隠して、後を話した。好きな人がいる。その人が最近好きな人が出来たらしい。それでスランプに。
話してみて改めて気がつく。
どんだけ女々しいんだ私。メンタル弱すぎる。豆腐みたいだ。
「けど、その相手が自分って可能性もあるわけじゃん?」
今の話を聞いている文には、確かにそういうこともあるだろう。
「いや、それは……」
相手が異性なら、そういうこともあろう。
「確認したの?」
「……してない」
「じゃぁしちゃえばいいじゃん」
「いや……」
そんな簡単じゃない。
これが、もし普通の男子相手なら……。私の性格からいって、好きだと分かったら、すぐに告白する。私はそういう性格だ。
けれど、相手が同性。
告白なんてしたら、最悪社会的に抹殺されかねない。
「怖いの?」
「……そりゃまぁ」
たぶんあなたが想像している以上に。
「ん…………」
彼女は下を向いて考え込む。
そして言った。
「もうめんどくさいから、確認しなさいよ」
はっきり言い放った。
「え? いやだから、それができたら……」
「今すぐ。電話するまで私帰らないから」
私は彼女の目を見つめた。
だが、彼女の意思は、ありがちな比喩だが石よりも硬そうだった。
「別に聞くくらいいいでしょ。友達同士でも聞くじゃない」
友達同士でも聞く。そう言われれば、たしかにその通りだ。
同じ『付き合っている人いるの?』と聞くにしても、異性に聞くのと、同性に聞くのでは、後者の方が圧倒的にハードルが低い。
けれど……
「…………」
「…………」
「わ、わかったって。聞く。聞くから。ちょっと待ってて」
私は慌てて席を立った。
ここで電話をかけると、相手が女であることがバレてしまう。
「そうやって逃げるの?」
「プライベートなの!」
私は、会話が聞こえないであろう場所まで言ってから電話をかけた。
あんだけ渋ってたのに、なんでこんなに素直になったのか、自分でも一瞬疑問に思った。だけど、すぐ理解した。本当は、早く確認したかったんだ。でも後押しが足りなかった。それで、押されたら、まってましたとばかりに言ったんだ。
……我ながらにめんどくさいやつだ。
『あの……すっごく突然だけど、ユリカ、彼氏はいるの?』
振り絞って出したその言葉。
だが、私の心の内などまったく知らないとばかりに、まったくもって軽い言葉で、返答は変えてきた。
『え? いや、いないけど?』
「え……え?」
『急にどうしたの?』
ユリカは困惑した様子。
だが、私の困惑はそれを大きく上回る。
「で、でも、ユリカが男の子とキスしてるのを観たって言う人がいるんだけど」
『あ、あぁ……』
それには思い当たらる節があるらしい。
『従兄弟なの。それで、いきなりキスされて。不意打ちで)
「へ? じゃぁ、好きでもなんでもないの?」
「ううん、まったく。ひっぱたいたよ、そのあと」
…………。
……。
「ごめん、急に変なこと聞いて」
「うん、本当に急にどうしたの?」
「いや、気になっただけだから、じゃぁ」
私は強引に電話を切った。
そして、一息。
わたし……何で悩んでたんだろ。
私は、席に戻って、楓にすべてを報告した。
それを聞いて、彼女は腹を抱えて笑っていた。
「……なんで笑ってるの?」
「裕樹ってさ、もっと勇ましい性格なのかと思ってたけど、意外と女々しいんだね」
「えっ………」
「あの〝カミカゼ〟こと白石裕樹がこんなに女々しい女の子だなんて、意外だなって話」
そう言った後、楓はさらに大きな声で、しまいには涙を流しながら笑い出してしまう。
「あぁ……私……」
「徒労ご苦労様」
ふっと力が抜ける。
心も体もが軽くなる。
私の心に圧し掛かっていた重い氷は、全て解けてしまったみたいだ。
「今だったら五回転できそう」
私がそういうと、楓はまた笑った。
「さすがに五回転されたら負けちゃうな」
なあんだ。
私の勘違いだったのか。
いや、正確にいえば、ユリカが男とキスしたのは事実なんだけど。それでもユリカにまったくその気持ちが無かったのなら、別になんてことはない。
その男と会うことがあれば、思いっきり殴ってやらきゃ……。
「これで明日は心置きなく滑れるよね?」
楓は私に向かって手を差し出してきた。
私はそれを強く握り返す。
「うん。ありがとう。楓のおかげで全力を出せる」
「まぁ、私が大きくリードしてるから、逆転は難しいけど、がんばって」
楓はジョークだと分かるように、笑いながら、それもわざとらしい声で自分の優先をアピールした。
「私、先に謝っておくね。私、あなたの恩を仇で返すことになるから」
「じゃぁ、明日楽しみにしてる」
「うん。ありがとう」
本当に、ありがとう。心の中で私はもう一度礼を言った。今日の恩人、明日の敵に向かって。
ああ、夏も終わりですね。
そろそろ、現実世界でもスケートシーズンが近づいています。
去年から特に男子のレベルが急激に上がってきているので、すごく楽しみです。
閑話休題、第四話、完結です。
アクセス解析を見ると、連載を負ってくださっている方がいるようで、とても励みになります。本当にありがたいです。
第五話から本格的に試合に突入していきます。
全日本、世界選手権。
これからが本番って感じです。ぜひもよろしくお願いします。
◆追記
大きな矛盾があったので、文章を大幅に訂正しましたが、まだ暫定版です。とりあえず、ということで。
いずれ、もうちょっと書き直します。
指摘してくださった、真黒ゴミ袋さん、本当にありがとうございました。




