03-5
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グランプリシリーズフランス大会、女子シングルフリー終了。
結果。
…………。
……。
…………白石裕樹の順位は二位。
まずアニシナ選手が完璧な演技をした。だけど、私も完璧なら、フリーの得点はともかく、トータルでは私のカチだった。なにせショートで彼女は一つ大きなミスを犯しているのだから。
しかし、少し集中力に欠けた私は、終盤で痛いミスを犯した。トリプルジャンプからのコンボを予定していたところで転倒。終盤ゆえにそのミスを取り返すことも出来ず、まとまりにかけた演技となった。
結果、フリーで逆転されアニシナに継いで二位、という結果になった。
やはり集中力に掛けたという点では反省しなきゃいけない。
けど、大きな問題はない。最低限の目標であったグランプリファイナルへの出場権は獲得したからだ。
だから私はすっぱり気持ちを切り替える。
そう、勝負はこれから。
今夜は一大決戦。
「グランプリファイナル進出おめでとう」
ロマノフさんは、そういってワイングラスを掲げた。私は礼を良いながらグラスを持ち上げた。もちろん、私のグラスに入っているのはただのジュースだが。
場所は、試合が行われたリンク近くの、かなり<・・・>良いお店。
ロマノフさんは、スーツ姿のまま。一方私は私服。一応、それなりに気合を入れてきたつもりだが、それでも撥概観が否めない。
それこそユリカなら、どんなにお洒落なところに行ったって、溶け込んでしまうんだろうケド、私にはそういう才能はなかった。
「ここは一つ親交を深めるために、しばし雑談……するよりは、むしろすぐに本題に入りたいかな?」
どうやら、私の心の中などお見通しのようだ。
「そうですね。できればお願いしたいです」
ロマノフさんはワインを一口だけ飲んで、すぐにテーブルに置いた。
「では、メインディッシュが来る前に、話を聴こうじゃないか」
「率直にいいます。私の父を説得してもらえませんか」
「説得?」
「はい。実は────」
日本に転勤が決まったこと。そして私も日本に来るように言われていること。私はアメリカを、そして親友と離れたくないこと。
父は母を失っていて、私が唯一の家族で、私とは慣れたくないと思っていること。
そこまで話した。
「でも、お父さんには悪いけど、私は絶対アメリカを離れたくない。だからお願いします、お父さんを説得してもらえませんか?」
「なるほど……」
私の話を、ロマノフさんはただじっと黙って聴いていた。その顔は少し曇っている。
「正直に言おう。今すぐに、うんわかった、説得しよう…………とはいえないな」
コーチはワインを飲んで一息ついた。
「今君がお父さんの元を離れれば、彼は酷く落ち込んでしまうだろう。だけど、裕樹の気持ちもよくわかる」
さて、どうしたものか、と外人特有の大げさな身振りでシンキングタイムを要求するロマノフさん。
「うん……そうだな。グッドアイディアが浮かんだ」
グッドアイディア、その言葉に私は吸い込まれる。
正直なところ、一発逆転を期待して耳を傾けた。
「実はな、お父さんから電話で事情は聞いてたんだ。娘が口を利いてくれないと、泣いていたよ」
驚きはしなかった。お互い忙しい身になっても時間を見つけて電話する仲だ。それだけ、お父さんの仲にも葛藤があったのだろう。
「純粋に娘と離れたくないのが五割。だけど、それだけじゃなくて娘をアメリカという土地においていくことが純粋に心配なのが五割。
まず前者についてだが、裕樹ももうすぐ大人だ。いつかは父の元を離れることになる。だからアイツも子離れしなきゃいけない。それはアイツもよく分かってる。だからコレについては彼も譲歩する気がある。私が説得すれば問題はないだろう」
望んでいた言葉だ。親友が説得してくれれば、お父さんも考えを変えるかもしれない。
「だが、後者の問題は残る。裕樹だけアメリカに残るとなると、どこか寮に泊り込み、ということになるが、キミを監督する人間がいなくなるのが不安で仕方がない。一人になどさせられない、というのが彼の言い分だ」
「それなら、コーチの家に泊まりこみでいいじゃないですか。ロシアでは一般的でしょ?」
アメリカ的コーチとロシア的コーチがいる。
前者は、基本的に時間給。下手したら自給で雇う。これだけの時間、教えてくださいね、という形式だ。基本的にビジネスライクだ。
私も今のコーチとはそういう契約になっている。
一方、ロシアを中心とする東欧人のコーチはそうではない。
例えるなら、親のような存在になる。基本的に泊り込みで、身の回りの世話まで焼いてくれたりする。風邪を引けば介抱だってしてくれる。
ロシア人コーチに師事している友達は、鬱陶しいくらいだと言っていた。
私はコーチを、泊り込みで教えてくれるような人に変えれば、お父さんも納得するのではないかと考えていた。
「そうだな。だけどお前のお父さんは心配性だ。だからこういっている『コーチだろうが難だろうが、男と娘が一つ屋根の下で暮らすなんて断じて許せん』と」
「…………」
いくらなんでも心配性が過ぎるんじゃないだろうか。
だけど、そういうタイプの父親というのは少なからずいることは理解している。そして、我が父がまさにそれだということも重々承知している。
「となると女性のコーチに限られるが、裕樹を指導できるほどのコーチで、ロシア系の指導をしているコーチとなると、せいぜいヴァルコアさんくらいしかいないだろ?」
ヴァルコアコーチといえば、ウクライナ出身のコーチで、一流選手を多く指導している勇名コーチだ。
そう。一流選手を多く指導している。つまり、
「彼女はもう四年後のオリンピックをオリンピックで金メダルを狙う選手を一人指導している。もちろんエカチェリーナ=アニシナだ」
コーチが何人もの弟子を持つことは普通だ。
だが、同じ種目の一流選手を何人も同時に教えることはありえない。巨人と阪神のコーチが同一人物なんてことはありえないのと一緒だ。
「二人三脚で次の五輪を狙うつもりで、その結束は固い。キミが指導を青いでも百パーセント断られる」
「じゃぁ、どうすればいいんですか」
万事休すじゃないか。
「キミのお父さんも自分のことばかり考えているわけじゃないんだ。慣れ親しんだアメリカに残りたいという娘の願いを、なるべくなら叶えてあげたいとは思っているんだ。実は彼は妥協点を一つ見出している」
「つまり?」
「そこで、一つ良い解決策がある。というか、実はコレはキミの父が提案した妥協案なんだが」
「父が提案した?」
「簡単なことだよ。────私が<・・>キミのコーチになれば良い」
納得半分。疑問半分。
「コーチも男ですよね?」
その質問を予想していたんだろう。彼はすぐに、力強く断言した。
「私も、キミのお父さんも、絶対に<・・・>過ちはないと信じている」
しばし見つめあう。嘘をついている気配はない。だが逆に、そこまで強く断言されると裏があるのではと疑ってしまう。
「絶対に、ですか?」
「絶対に、だ」
「失礼ですが、コーチは未婚ですよね?」
「そうだな」
「お付き合いしている人は?」
「今は<・・>スケートが恋人だ」
父がそこまで信用する意味がわからない。ぶっちゃけコーチはイケメンだ。美男美女の多いスケート界。顔面がレベル4の現役選手たちと比べても遜色ない。
そんな彼と一つ屋根のしたで暮らすことを、お父さんが自ら提案するなんて、何か〝裏〟があるとしか思えない。
「納得できなさそうだから、一応話しておくと、俺は一生で好きな人は一人だけなんだ。だからほかの人に手を出したりすることは絶対ない。それを君のお父さんはよく知ってるから俺に君を任せる気になったんだろう」
それを聞いて一応は納得した。もちろん、詳細を聞いたわけではないから、本当に納得できたわけではない。
多分お父さんとこの人の間の秘密なんだろう。だとしたら私が聞くことではない。
「で、話を戻そう。俺がコーチになれば、君はアメリカに残ることができる。問題は――――」
一瞬の間。私の頭にコーチの言葉が蘇る。
「――――祐樹が、俺の生徒にふさわしいかどうかだ」
私は生徒を選ぶ。────彼の言葉。
鉄鉱石を金にすることは出来ない。私が金鉱石なのかを見極める。
「どうかな? 裕樹は僕の生徒になりたいか?」
「────はい」
「では条件は一つ」
一呼吸。
課せられた任務は────
「今年の世界選手権で女王になれ」




