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宴の夜に舞い降りる。  作者: 津森太壱。
【腕に抱いた確かな温度。】
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04 : やわらかな頬。





 目覚めた子どもに、イザヤが勝手に名前をつけた。


「キサ」


 それは違和感なく、子どもの名になった。

 そして。

 笑わない、泣かない、怒らない、なにをしても反応しないキサが、ただ一つ、イザヤの黒っぽい赤髪には反応する。


「なんだ、キサ。おれの頭、そんなに気になるか? 確かに珍しいけど、おまえと一緒だぞ?」


 引っ張られれば痛いだろうに、イザヤはキサの好きなように髪に触れさせ、笑顔を向ける。

 食事のときには膝に乗せ、外に出るときは手を繋ぎ、歩き疲れれば抱き上げ、眠るときには一緒の寝台に入る。まるで歳の離れた兄弟か、親子かのように、イザヤはキサを可愛がった。

 そんな日々が続いたあるとき、イザヤが害獣駆除に出た。帰りは二日か三日後になるというので、キサがいるからと最初は渋っていたが、カジュ村に近いと聞くとすぐさま双剣に手を伸ばしていた。


「待って、イザヤ」

「ん、なに?」

「ギルはどうしたの?」


 イザヤが出かける前、ヒョウジュは姿を見せないギルの行方を訊ねた。するとイザヤは、今気づいたとばかりに吃驚していた。


「忘れてた!」

「え……」

「途中ではぐれてそのまま…っ…迎えに行ってくる!」


 本気でギルのことを忘れていたらしい。ついでに拾ってくると言って、大慌てでイザヤは出かけていった。

 とはいえ、おそらくは放っておいてもギルは単独で帰ってこられるだろう。しかし、その場合はものすごく機嫌が悪いに違いない。そうなる前に、やはり迎えに行くべきである。


 だが、しかし。


「ひよ、帰ったぞ」


 と、ギルが、イザヤが出かけて一時間も経たないうちに帰ってきた。置いていかれて拗ねているかと思ったが、そんな様子は見られなかった。


「え? 今行った? あー……寄り道してたからなぁ」

「どこに行っていたの?」

「ちょっと向こうの大陸まで」


 まるで散歩をしてきたかのごとく、ギルの調子は軽い。しかしその行き先は海の向こう大陸という、随分と遠い大地だ。


「おれ、魔だから。穢れにあたると、故郷に戻りたくなるっぽい」

「ギルの故郷は向こう大陸なの?」

「ぽいね。まあ、魔の棲息地は、向こう大陸だから。イーサも、本当はそうなんじゃないか?」

「コウガ族が、ということ?」

「うん。深い蒼の瞳は、向こう大陸にいっぱいいるんだ」


 この辺りでは珍しい瞳の色も、大陸を超えれば珍しくもないと、ギルは言う。ヒョウジュの白い髪が、リョクリョウ国を出ただけで目立たなくなる理由と同じだ。

 世界には、たくさんの人々がいる。たくさんの種族が、生きている。


「それなら、滅んだとされるコウガ族は、向こう大陸にまだ……」


 生き残っているのかもしれない。キサが、今こうして生きているように、かの種族は滅んでなどいないのかもしれない。


「……ひよ、その子ども」

「え? ああ、キサよ」


 ふと気づけば、キサが真ん丸の蒼い双眸にギルを捉えながら、少し警戒しつつヒョウジュの足に絡みついていた。


 キサは、徐々にイザヤに心を開きながら、同じ速度でヒョウジュのそばにくるようになっていて、このところはヒョウジュの後ろに隠れて外を窺うことを憶えた。まだ言葉を発しないし、表情が変化することもないが、ヒョウジュもイザヤも、そんなことは気にせずキサの相手をしている。もともとヒョウジュも、そんなに表情が豊かではないのだ。キサの相手は苦ではないし、むしろキサがこの真っ白な髪を気味悪がっていないだろうかと、そちらのほうが心配だ。だがその心配も、こうしてくっついてきてくれるところを見れば、要らぬもののようである。


 ヒョウジュは膝を折って目線をキサに合わせ、怖くない、と教えるように肩を支えながらギルをキサに紹介する。


「ギルギディッツ、という魔犬よ。わたしたちはギルと呼んでいるの。だいじょうぶ、ギルは怖くないわ」


 幼いキサには、ギルはとても大きな獣だろう。ヒョウジュだってその背には乗れるくらいなのだ、すぐには恐怖心を消せない。だが、ギルのほうはとてもキサに興味を持っていて、ヒョウジュの後ろに隠れるキサを追いかけた。


「おまえ、イーサと同じ匂いがする……頭が同じ色……ああ、目も同じだ……うん? イーサの子どもか? ひよ、いつのまに産んだ?」

「違うわよ、ギル。まだ、ここにいるわ」

「あ、ほんとだ……あれ?」

「イザヤに、そんなに似ているの?」

「イーサのほうがやさぐれてるけど……似てる」


 じっと、ギルはキサを見つめる。灰色の瞳に見つめられたキサのほうはふるふると震え始めて、ついにはぴったりとヒョウジュにしがみついた。


「あら、あら……なんだかすごく嬉しいわ。なにかしら、この子、可愛いわ」

「……おれは複雑だ」

「キサ? ギルは怖くないわよ?」

「おれは立派な犬だぞ、き、き……えと、んと……キーサ?」

「キサよ。イザヤが言うには『漢字』という言葉で、砂に記すという意味になるそうなの」

「かんじ?」

「どう書いていたかしら……イザヤが書ける文字よ」

「ああ、あの変な絵」

「文字よ」

「イーサは変な絵しか書けない……キーサはちゃんと覚えろよ? あとでいろいろと大変だし、面倒だからな」


 そういえば、とヒョウジュは閃く。

 キサは声を発しないが、言葉は理解している節がある。文字を覚えることができれば、筆談ができるかもしれない。


「ギル、ありがとう。その手があったわ」

「は?」

「キサ、文字を教えるわ。もしかしたら憶えているかもしれないけれど、文字を書く練習をわたしとしましょう?」

「……ああ、なるほど」


 識字力があるかはともかく、なくても教えればいいだけのことだ。できることならキサの声を聞きたいが、故意に話そうとしていないわけではないと、キサを診た医師は言っていたので、キサの声は時間に癒してもらうほかない。だがそれでは、キサの想いを半分も理解してやれないことになる。文字が書ければ、その分だけ想いを聞くことができるだろう。


「おれが教えてもいいけど、怖がられてるし……こんな反応は久しぶりだな」

「ギルは大きいもの」

「おれ、そんなに大きいか? おれより大きい奴、いっぱいいるんだけどな」


 キサに怖がられている、というより警戒されていることが不納得な様子のギルは、その立派な尾をぺそりと萎れさせ、悲壮感を漂わせる。大きい身体でしょぼくれる姿は、ヒョウジュには可愛らしく見えたが、キサにはそれでも大きな獣だ。ヒョウジュの後ろから離れない。


「……おれ、イーサのとこに行く」

「そう?」

「走れば追いつくし。……怖がられるし」


 ちょっとどころかかなり寂しい、とその背で語りながら、ギルはイザヤを追いかけて再び出かけていった。

 ギルのその姿が見えなくなってから、ヒョウジュは立ちあがるついでにキサも腕に抱いて、背筋を正した。


「キサ、だいじょうぶよ。ギルはイザヤの黒犬なの。ずっとずっと、イザヤを護ってくれている、わたしたちの大事な家族。これからはキサの家族でもあるわ。だから、今度逢ったときは、抱きしめて? ギルはとっても柔らかいのよ」


 震えていたキサは、そのときはもうその症状もなく、こくりと首を傾げてギルが消えた方角を見やった。その口が、ぎる、と動いたのを、ヒョウジュは見逃さない。

 反応の薄いキサは、やはり、本当は、喋りたいのだと思う。どこかに置き忘れた感情も、イザヤのように豊かだと思う。

 いつかその声が聞けるように、いつかその笑顔が見られるように。

 イザヤが思っているだろうことを、ヒョウジュもまた祈り、キサの頬を撫でた。


「わたしたちがいるからね、キサ」


 赤みが差すようになったキサの頬は柔らかだった。







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