#7 — 愚かなる天才
冥府アカデミーの朝、廊下に響く生徒たちの足音が静寂を切り裂いていく。リュウは重い足取りで教室へと向かっていた。前を行くのは、相変わらず冷静な零と、どこか楽しげな恵子だ。
「あれ、あいつでしょ……昨日、魔法を爆発させたっていう」
すれ違いざま、女子生徒の一人がひそひそと囁く。
「本当に情けないわね。よく平気な顔をしてここにいられるわ」
リュウは深く溜め息をつき、項垂れた。
「……なぁ、なんで俺の有名度は悪い方向にばかり爆上がりしてるんだ?」
「あんたの自業自得よ」零が冷たく、突き放すように言い放つ。
「相変わらずだな。言葉のナイフが鋭すぎるだろ……」
隣で恵子がクスクスと笑い、場を和ませるように口を開いた。「いいじゃない、リュウ。おかげで学園中の有名人だよ?」
「ああ、『学園のピエロ』としてな」
「へぇ、それだって立派な実績だよ!」
「恵子、なんでお前が誇らしげなんだよ!」
教室に入ると、いつものように凛が窓際の席に座っていた。表情はなく、氷のような静謐さを纏っている。
リュウたちが入室した際、彼女の視線がわずかに動いてリュウを捉えたが、すぐに手元の魔導書へと戻された。
やがて、教壇の扉が開く。座学の講師が、重々しい音を立てて羊皮紙の束を机に置いた。
「今日は、高等魔法構造論とチャクラの循環について講義を行う」
その言葉に、生徒たちの間から露骨な溜め息が漏れる。机に突っ伏す者もいる中、リュウだけはなぜか背筋を伸ばしていた。
講師が黒板に複雑な魔法陣の構成図を描き始める。
「魔導師の質が高ければ高いほど、チャクラの循環経路は安定する。核と経路の同調こそが肝要だ。だが、もしこの均衡が崩れれば……」
「……『逆流』を引き起こす。エネルギー分配の不一致により、魔法が術者自身を撃ち抜く暴発現象ですね」
リュウが反射的に言葉を繋いだ。
教室が、水を打ったように静まり返る。
講師が手を止め、リュウを凝視した。零は隣で驚いたように目を見開き、無関心を装っていた凛さえも、読む手を止めて顔を上げた。
講師が目を細め、リュウを値踏みするように見つめる。「……正解だ。ならば説明してみろ。その不均衡を引き起こす『主因』は何だ?」
リュウは事も無げに答えた。
「一般的には、術者の核が無理な出力を抑えきれないほど脆弱な場合です。ですが、極めて稀なケースとして――術者の核があまりにも巨大すぎて、通常の魔力経路ではその奔流を受け止めきれない、という例外もあります」
生徒たちは呆気に取られた。先ほどまでの蔑みの視線が、困惑と驚愕へと塗り替えられていく。
講師は腕を組み、挑発するように問いを重ねる。
「面白い。では、黄泉――『冥府』と精神チャクラの異常流動の相関関係を述べてみろ」
リュウは黒板の魔法陣を見つめ、一拍置いてから口を開いた。
「古文書によれば、人のチャクラは現世と黄泉を隔てる境界と密接に繋がっています。死霊系魔法を操る者が、負の感情や霊的残留物、精神的な歪みに極端に過敏なのはそのためです」
リュウは一度言葉を切り、さらに続けた。
「暗黒時代の文献が裏付けています。魂の共鳴が黄泉に近づけば近づくほど、この世に現れる魔法の形は崩れ、不安定になるのだと」
静寂。
恵子は目を丸くし、信じられないものを見るような顔でリュウを見つめた。
「ちょっと……リュウ……。あんた、そんな難解な理屈、全部理解してるの?」
リュウは照れくさそうに頬を掻いた。「まあ、昔から実技より本を読んでる方が好きだったからさ」
「……今の理論的理解、この学園の優等生の半分を凌駕しているわ」零が低く呟いた。
「あはは。残念ながら、頭と体が全然連携してくれないんだけどな」リュウは自嘲気味に笑った。
教室に再びざわめきが広がる。
「嘘でしょ……」「考え込む暇もなく答えたわよ」「あんなに頭がいいのに、なんで昨日の実技はあんなに酷かったの?」
凛がゆっくりと本を閉じた。
その瞳は、先ほどよりも鋭く、深くリュウを観察している。
凛の論理では、これほどの知性を持つ者が、魔法の制御をこれほどまでに外すなど、有り得ないことだった。
[冥府アカデミー —— 長老評議会室]
円卓を囲む数人の長老たちが、散乱する報告書に目を落としていた。
「この二週間、霊的活動が急激に活発化している」
「封印の間から、いくつかの黄泉の遺物が消失したとの報告も上がっているわ」
「禁忌の儀式の紋章が各地で確認され始めている……」
一人の長老が顔を上げた。
「どうやら……イザナミが動き始めたようだな」
最上席に座る宗厳は、静かに、だが剣のように鋭い眼差しで問いかけた。
「公然とした動きはあるか?」
「まだです。しかし信奉者たちの活動は無視できません。死神学院側も、霊域境界の警戒レベルを最高段階に引き上げるとの通達を出してきました」
ソウゲンは窓の外、遠くの景色を見つめた。
「大規模な侵攻の幕開け、か……」
その呟きは、重く空気の中に溶けていった。
隣の長老が、険しい表情でソウゲンを見つめる。
「ソウゲン様……この一連の異変、例の少年の来訪と関係があるのでしょうか?」
ソウゲンは長い沈黙の後、短く答えた。
「……分からん」
[冥府アカデミー —— 黒の湖畔]
リュウは芝生の上に胡坐をかき、静かな黒の湖に向かって小石を投げていた。
水面を石が跳ねる音が響く。
「ここは思ったより平和なんだな」
「当然だよ。この湖は冥府の生徒たちがストレスから逃げるためのお気に入りの場所なんだから」
恵子が隣で気楽にお菓子を頬張っている。
背後には、湖面を見つめる零。そして少し離れた古びた桜の木の下には、本を手にした凛が座っていた。
リュウは振り返り、零を見上げた。「なぁ、零」
「何よ」零はそっけなく応じる。
「さっきの授業、お前も結構食いついてたよな」
零は目を細めた。「それはこっちの台詞よ」
「え?」
「実技で自爆しかけたようなバカの頭に、あんな知識が詰まってるとは思わなかったわ」
恵子が豪快に笑い出した。リュウはドラマチックに傷ついた顔をしてみせる。
「頼むから、あの爆発の記憶を消してくれよ! 俺のプライドはもうズタズタなんだ!」
「ごめんリュウ、でもあれは伝説すぎて忘れられないよ!」恵子が涙を拭きながら笑う。
零はふいっと顔を伏せた。
その瞬間、彼女の口元に、ごく微かな……本当に微かな笑みが浮かんだ。
だが、リュウの目はそれを見逃さなかった。
気付かれたことを悟り、零は即座に顔を背ける。「……何見てるのよ、バカ」
「待て……今、笑ったろ!?」リュウの指が彼女を指す。
「笑ってないわ。見間違いよ」
「いや絶対笑った! 見たぞ! 恵子、見たよな!?」
「笑ってないって言ってるでしょ、この間抜け!」
赤くなる零と、笑い転げる恵子。
凛は遠くから、その光景を静かに見つめていた。
[深夜 —— 宗厳の私室]
ソウゲンは大きな窓の前に立ち、星のない夜空を見つめていた。圧し掛かるような静寂の中、忌まわしい過去の記憶が蘇る。
血のように赤い空。
焼き尽くされる人々の悲鳴。
灰へと帰す建造物の残骸。
その破壊の中心に、スサノオは立っていた。
そのシルエットだけで、人類がいかに脆く無力であるかを悟らせる圧倒的な絶望。
背後には黄泉の門が開き、数百万の死霊が溢れ出していた。
世界が終焉の淵に立たされた、あの日。
ソウゲンは瞳を閉じ、拳を強く握りしめた。
「……あの悪夢を、二度と繰り返させはせん」
決意の呟きが、暗闇に消えた。




