#5 — 落ちこぼれは、どこまでいっても落ちこぼれ
演習場内の空気が、にわかに変質した。
リュウの周囲に漂う大気が、以前よりも重く沈み込む。まるで重力の中心が彼一点に強制的に引き寄せられたかのようだ。足元に展開された魔法陣が微かに震え、周囲のチャクラの流れが不規則な波形を描き始める。
チャクラの感知能力に長けた生徒たちが、即座にその異変に気づいた。
「……ねぇ、今の感じた?」一人の生徒が顔を青くして囁く。
「ええ……チャクラの質が、さっきまでと違う」
零の瞳が鋭く細められた。彼女の視線は、今や黒い霧のような薄暗いオーラに包まれ始めたリュウの右手に釘付けになっていた。そのオーラはどろりと深く、凍てつくように冷たく、そして……悍ましい。
一瞬の出来事だったが、普段は冷笑を浮かべている凛でさえも、眉を潜めてその光景を注視していた。
インストラクターが即座に身構え、鋭い声を飛ばす。「リュウ! チャクラの流れを制御しろ!」
「えっ!? お、俺だってさっきからやってるんだよ、先生!」
リュウの声に焦燥が混じる。
手のひらに集まる魔力は、もはや制御不能なほどに荒れ狂っていた。まるで彼の中に潜む「何か」が反乱を起こし、彼の意志に抗って暴走しているかのような感覚。
――キィィィン……。
手のひらの上に小さな魔法陣が形成されるが、それを取り巻く黒いオーラはさらに密度を増していく。喧騒に包まれていた演習場は、今や息の詰まるような静寂に支配されていた。隣にいた恵子さえも、生唾を飲み込んでその様子を見守る。
「……まさか、何かとんでもない魔法を出すつもり?」
零は瞬きもせずリュウを凝視し続けていた。彼女は確かに感じていたのだ。目の前の少年の内側から漏れ出す、あの正体不明の圧倒的なプレッシャーを。
そして、誰もが緊張のあまり息を止めた、その瞬間――。
「初級火炎魔法……出ろぉぉ!」
リュウが願いを込めるように叫んだ。
――シュッ。
リュウの手のひらに現れたのは、あまりにも貧弱で、今にも消えそうな小さな火種だった。
一秒。演習場を静寂が包む。
二秒。その火種がぶるぶると震え出し――。
――ドォォォォォン!!!
凄まじい爆発音が演習場全体を揺るがした。
「あべしっ!? クソ……ッ!」
爆風に煽られ、リュウの体は派手に後方へと吹き飛んだ。天井にまで届きそうな真っ黒な爆煙が視界を覆い尽くす。
再び、辺りは静寂に包まれた。
やがて、黒煙の中から顔も髪も煤だらけになったリュウが、咳き込みながら這い出してきた。
「……げほっ、ごほっ! お、落ち着け……。少なくとも今回は、いつもより二秒は長く持ったぞ……」
リュウは自嘲気味な笑みを浮かべ、力なく呟いた。
直後――。
「ぷっ……あーっははははは!!!」
恵子の笑い声が静寂を切り裂いた。彼女は腹を抱え、涙を流しながらその場に崩れ落ちる。それを合図にしたかのように、他の生徒たちからも嘲笑が沸き起こった。
「ちょっと、マジで!? ただの自爆じゃない!」
「信じられない……。禁忌魔法でも出すのかと思って損したわ!」
「バカね! 心臓に悪いわよ!」
零の表情は、緊張から一転して元の冷淡なものへと戻っていた。彼女は溜息をつき、呆れたように視線を逸らす。
「……期待した私がバカだったわ」
凛はさらに忌々しげに鼻を鳴らした。「……ゴミね」
リュウはわざとらしく傷ついた表情で顔を上げた。「おい、なんでみんなして笑うんだよ! 爆発したのは俺なんだぞ!?」
「貴様の存在そのものが、魔法アカデミーの面汚しだからよ」
凛が氷のように冷たい言葉を投げつける。
「……お嬢さん、口が悪いな」
インストラクターは深くこめかみを指で押さえ、重い溜息を吐き出した。「リュウ・セイロウ……今回の実技試験の評価は、この学院の歴史上、最低の数字だ」
「光栄ですね。混迷を極める俺の人生において、唯一安定している要素だ」
リュウはそう軽口を叩きながら立ち上がった。
――ボカッ!
恵子が丸めた羊皮紙でリュウの頭を軽く叩く。「あはは、君、最高に面白いよ!」
[一方、死神学院――]
魔法理論の講義が、いつものように淡々と進んでいた。教室の後方、窓際の席に座る小倉 コーダ(オグラ・コーダ)は、講義に集中する様子もなく、頬杖をついて外の景色を眺めていた。
「……なんだか、嫌な予感がするんだよな」コーダがぽつりと呟く。
「嫌な予感?」隣の席の生徒が聞き返した。
「リュウの奴だよ。今頃、冥府の恐ろしい女どもに囲まれてるんだろ?」
コーダは深く溜息をついた。
「あいつのことだ。初日から派手にやらかしてるに違いない」
[死神学院・魔法演習場]
――ドォォォォン!!
強固な素材で作られた数十の標的が、一瞬にして木端微塵に粉砕された。砕け散った破片が周囲に降り注ぐ。
演習場の中央には、一馬 レン(カズマ・レン)が静かに佇んでいた。手には黒い魔剣が握られ、その全身を安定した、しかし圧倒的な密度の紺青色のチャクラが包み込んでいる。
「……流石だな」
「カズマ様の精度、相変わらずバケモノだわ」
「学年ナンバーワンの実力は伊達じゃないな」
カズマは剣を一振りし、残ったエネルギーを払った。
インストラクターが満足げに頷く。「見事だ。完璧なチャクラコントロールだな。破壊力、精密さ、共に申し分ない。流石だぞ、カズマ」
カズマは無表情に剣を鞘に収めると、演習場を後にした。しかし、歩みを進める途中で、ふと一人の顔を思い浮かべる。
「……リュウ」
カズマは小さく舌打ちをした。あのバカがいなくなって、学院内が妙に静かになった気がする。癪ではあるが、あいつは常にこの場所を賑やかにさせていた。
「……くだらん」
カズマは低く呟き、歩き続けた。
冥府アカデミーでの過酷な(主に精神的に)実技試験を終え、リュウはすっかり意気消沈していた。
「なぁ、なんでさっきの爆発、いつもよりデカかったんだろうな?」
廊下を歩きながら、リュウが力なくこぼす。
「貴様が救いようのないバカだからよ」零は前を見たまま即答した。
「おいおい、零。お前、人のプライドをズタズタにするのが趣味なのか?」
「いいえ、純粋な反射よ」
隣を歩く恵子がまたクスクスと笑い声を上げる。やがて三人は、冥府アカデミーの巨大な食堂へと足を踏み入れた。室内には食欲をそそる芳醇な香りが満ちている。
だが、リュウが一歩踏み込むと、周囲の空気が一変した。
食事をしていた生徒たちの視線が、再び彼に集中する。リュウは自分が、あるべきではない生態系に迷い込んだ違和感そのものであることを再認識させられた。
恵子がリュウと零を空いている席へと引っ張っていく。「ねぇリュウ、これ見てよ!」
恵子がテーブルの中央にあるトレイを指差した。
「黄泉の深部で捕獲されたっていう、海獣のステーキだよ!」
リュウは皿の上の肉を疑わしげに見つめた。「……なんで肉が紫色なんだ?」
「調理法を一つ間違えると、即座に命を落とすほどの猛毒が含まれているからだよ!」
リュウの背筋に冷たいものが走る。「……急に死神学院の、味はしないけど安全な飯が恋しくなってきたよ」
恵子はそれを冗談だと思って笑い飛ばした。零は既に静かに食事を始めており、周囲の視線などどこ吹く風といった様子だ。
その時、三人の生徒が席を立ち、彼らのテーブルの前で立ち止まった。
先頭に立つのは、肩までの金髪ショートカットの少女――如月 ナオミ(キサラギ・ナオミ)。その左右には、取り巻きの橘 ヒナ(タチバナ・ヒナ)と白石 イズミ(シライシ・イズミ)が控えている。彼女たちは、まるで虫ケラでも見るような目でリュウを見下ろした。
「……よくもまあ、面の皮厚くこの食堂で飯が食えるわね」
ナオミが冷酷な声を放つ。
スープを口に運ぼうとしていたリュウは、困惑したように瞬きをした。「……あー。ここ、君たちの予約席だったか?」
「よく回る口ね」ヒナがナオミの隣で嘲笑を浮かべる。
「ここは女子専用のアカデミーなのよ。貴方みたいな男がここに居るだけで、視界が汚れるわ」
イズミもまた、蔑みの視線を投げた。「どうして上層部が貴方のような無能の入学を許したのか、未だに理解に苦しむわ。滑稽だと思わない?」
リュウは小さく溜息をつき、スプーンを置いた。「……参ったな。転入してまだ一日目だってのに、もう熱烈なファンに囲まれちまうなんて」
「――このゴミがっ!」
ナオミが怒りに任せ、両手をテーブルに叩きつけた。
――バンッ!!
その衝撃音に、食堂内の喧騒が止まる。
ナオミの体から冷たいチャクラが溢れ出し、テーブルの上の水が瞬時に凍りついた。
それまで黙っていた零が、ゆっくりと顔を上げた。その双眸には、刺すような殺気が宿っている。
「……そこまでよ」
ナオミは顔を向け、不機嫌そうに舌打ちをした。「貴方に話してるんじゃないわ、零。引っ込んでなさい」
「食事を邪魔されていると言っているの。……その騒がしい口を閉じなさい」
零は真っ直ぐにナオミを射抜く。
「いつから、そんな弱っちい男の肩を持つようになったのよ?」
ナオミの声が荒らげる。
一触即発。零の制服の下から漆黒のチャクラが漏れ出し、薄い霧のように彼女を包み込んだ。
ナオミの目も鋭く据わり、指先に魔法陣が展開される。
「本気でやるつもり? そのゴミのために」
「必要ならば」
零は一切の躊躇なく言い放った。
状況の悪化を見かね、恵子が慌てて立ち上がる。「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてよ! ここは食堂だよ!? 罰則食らっちゃうよ!」
しかし、二人の耳にその声は届かない。互いに衝突するチャクラのプレッシャーが食堂内を満たし、周囲の生徒たちは慌てて席を立ち、距離を取り始めた。
ナオミの指先に青白い氷の魔法陣が回り、零もまた迎撃の構えをとる。
離れた席で、凛・アオイは頬杖をついたまま、その騒動を眺めていた。
「……全く。どいつもこいつも、救いようのない連中ね」
凛は退屈そうに、独り言を漏らした。




