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#4 — 冥府アカデミー、最初の魔法実技

リュウは跳ね起きるように目を覚ました。呼吸が荒い。

焦点の定まらない瞳で寮の天井を見つめ、崩れかけていた意識を現実の縁へと引き戻そうと必死に抗う。


「……また、あの夢か」


独り言が、喉の奥から漏れ出した。

耳の奥には、今もなお鉄の鎖が擦れ合う音が残響として響いている。そして、底なしの闇から自分を凝視していた、あの燃えるような一対の紅い瞳も。


リュウはベッドの端に腰を下ろし、震える手で顔を乱暴に拭った。


「くそ……なんで、あんな夢ばかり見るんだ」


その時、木製の扉を叩く激しい音がリュウの思考を断ち切った。


「起きなさい、バカ! 初日から遅刻するつもり? 教室中の嫌われ者になりたくなければ、さっさと準備することね」

扉の向こうから、レイの刺すような声が飛んでくる。


リュウは汗で湿った毛布を跳ね除け、深く溜息をついた。

「……ああ。おはよう、零」

届かないとは分かっていても、彼はそう呟くしかなかった。


数分後、リュウは零の背中を追うように冥府めいふアカデミーのメイン廊下を歩いていた。この死の学園での最初の日が、正式に幕を開ける。黒石造りの校舎には、古い羊皮紙や魔導具を手にした女子生徒たちが行き交い、その空気はどこまでも重苦しく、圧迫感に満ちていた。


そして、予想通り――あの視線が再び彼を標的にする。

周囲の者たちは、まるで新たな獲物を吟味する捕食者の群れのようにリュウを凝視していた。


『あれが死神学院から来た男?』

『どうしてうちのアカデミーに入る許可が出たのかしら』

『弱そうね。見てるだけで吐き気がするわ』

その囁きは、隠そうともせずリュウの耳に届く。

リュウは引き攣った笑みを浮かべ、零の足跡をなぞるように歩幅を速めた。


「なぁ、零。この建物にいる全員が、俺の首をはねたがってる気がするんだが……」

「そう思っているからでしょうね」

零は一度も振り返らずに、冗談ともつかない冷酷な返答を投げた。


二人の足が、死の象徴が刻まれた重厚な双開きの扉の前で止まる。零は躊躇なくその扉を押し開けた。


瞬間、教室内の喧騒が嘘のように消え失せた。数十人の女子生徒が一斉に、足を踏み入れたリュウを射抜く。室内の空気が急激に重くなり、重力が数倍に膨れ上がったかのような錯覚に陥る。


「本当に、私たちのクラスに来たの……?」

「上層部は正気を失ったに違いないわ」


リュウは唾を飲み込み、肌を刺すような不快感を無視しようと努めた。中段の席に、恵子ケイコの姿を見つける。彼女だけは、今の状況など全く気にしていないかのように、元気よく手を振っていた。


少なくとも、この場所に一人くらいは正常な感性を持つ者がいて救われた。

しかし、リュウの視線は窓際の席へと吸い寄せられた。凛・アオイ(リン・アオイ)だ。彼女は頬杖をついたまま、微動だにせずリュウを睨みつけていた。その瞳は零よりも鋭く、より禍々しい。


リュウは慌てて視線を逸らした。

やがて、担任の教官が入室してきた。紫色の髪をタイトにまとめ、細縁の眼鏡をかけた長身の女性だ。その姿からは、一切の妥協を許さない厳格さが滲み出ている。


「全員、察しているようだが」教官は淡々とした口調で告げ、視線をリュウへ投げた。「今日から、死神学院より男子生徒を一人受け入れることになった」


「前へ出て自己紹介をしなさい。今すぐに」


リュウは教壇の前に立った。言いようのない不安と焦燥が、再び体を支配する。

「は……初めまして。リュウ・セイロウです。よろしくお願いします」

その声は、自分でも情けなくなるほど小さかった。


「何よ、その震えた声。怯えたネズミかしら?」

一人の生徒が放った嘲笑が、教室内を冷ややかな笑いで満たした。


「す……少し緊張していて」

「怯えているだけでしょう。無様ね」

凛が窓際から冷たく言い放つ。恵子だけが、リュウの慌てぶりに一人で爆笑していた。


教官は呆れたようにこめかみを押さえた。「静かに。リュウ、席は水野の隣だ。座れ」

リュウは残りの自尊心が削り取られる前に、逃げるように自分の席へと向かった。


昼近く、全生徒が魔法演習場へと集められた。広大な円形の広間は黒石の床で覆われ、その表面には数十の古代魔法陣が恒久的に刻まれている。


「本日は魔法実技の基礎試験を行う。各自の魔力の制御能力と、属性の安定度を示してもらう」

インストラクターの声がホールに響き渡った。


それを聞いた瞬間、リュウを嫌な予感が襲った。実技試験――それは、彼の学園生活において常に最大の壁だった。


「始める。凛・アオイ、前へ」


凛は静かな足取りで演習場の中央へと進み出た。途端に、周囲の温度が劇的に下がる。


「始めなさい」


長い詠唱など必要なかった。凛の体から、圧倒的な密度を誇る氷属性の魔力が爆発した。周囲に青黒い魔法陣が幾重にも展開される。

床から巨大な『黒氷こくひょう』の塊が突き出し、すべての標的を一瞬にして凍結、粉砕した。


静まり返った場内に、まばらな、しかし確かな称賛の拍手が広がる。リュウは呆然とその光景を見つめていた。

「……あんなの、本当に人間か?」


「凛は特別だからね、リュウ」隣で恵子が小さく笑う。


「次、黒雪 零」


零が前に出る。その表情は相変わらず鉄面皮だ。凛の力が暴力的で爆発的だとすれば、零の魔力は――静寂。だが、より深淵に近い。

零の足元に漆黒の魔法陣が刻まれる。立ち上る『黒霧こくむ』が標的を包み込むと、音もなく、それらは跡形もなく消滅した。


「……くそ。俺、本当に場違いなところに来ちまったみたいだな」

リュウが漏らした独り言に、戻ってきた零が冷たく応じる。

「今さら自覚したところで、もう遅いわよ」


「一日くらい、俺のメンタルを放っておいてくれないか?」

リュウの愚痴に、今度は恵子が声を上げて笑った。


一方、静寂に包まれた執務室の中で、宗厳ソウゲンは独り沈黙していた。

彼の手には、一枚の古ぼけた写真がある。そこには、長い黒髪の女性が、二人の赤ん坊を慈しむように抱いて微笑む姿が写っていた。零と凛だ。


宗厳の眼差しが、暗い記憶の中に沈んでいく。

「……時は、あまりにも残酷に過ぎ去るな」


脳裏を掠めるのは、血塗られた記憶。引き裂かれた赤い空。絶望の叫び。そして、無理やり抉じ開けられた黄泉の門。

その崩壊の中心で、闇の嵐の中から立ち上がった巨大な影――『スサノオ』。生者と死者の境界を蹂躙しようとした災厄の化身。彼の妻は、娘たちを守るためにその身を犠牲にした。


宗厳の手が、写真の端を強く握りしめる。

「結局のところ……あの欠片フラグメントは、再び目覚める道を探し当てるというのか」


宗厳は窓の外へと視線を向けた。その先には、リュウが立つ魔法演習場のドームがあった。


演習場の空気が、リュウにとって耐えがたいものへと変わる。


「最後の一人……リュウ・セイロウ」


心臓が跳ね上がる。教室内中の視線が、再び彼に集中した。嘲笑、蔑み、そして冷ややかな好奇心。

リュウは鉛のように重い足取りで、フォーメーションの中央へと進み出た。


「属性は何でも構わん。基礎魔法を展開しろ」


魔法陣の中心で、リュウは立ち尽くした。周囲から漏れる溜息が、耳に痛い。

リュウは唾を飲み込み、「……分かった」と短く答えた。


彼は右手を前に掲げ、体内のチャクラの流れを意識した。死神学院で数年間にわたり叩き込まれた通り、一点に集中させる。

周囲のエネルギーを引き寄せようとした、その瞬間。


室内の空気が、異様な変質を見せた。

重苦しく、悍ましく、そして圧倒的な「何か」が、リュウの周囲で渦を巻き始める。


零の瞳が、鋭く見開かれた。

彼女は感じ取っていた。リュウ自身のチャクラよりも遥かに深く、昏い『何か』が蠢き始めているのを。


それは、決して人間が扱ってよい領域のものではなかった。


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