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#17 — 静寂の裏側

[冥府女学院 — 地下隔離室]


冷気のみが支配する空間に、鉄鎖が擦れ合う微かな音が響く。


リュウは石床の寝台に身を横たえ、ただ無言で壁に背を預けていた。全身の肌には、昨夜の霊圧の暴走が刻んだ無数の微細な傷口から、凝固した黒血がこびりついている。周囲の石壁に埋め込まれた呪詛の術式は、今も断続的に淡い光を明滅させ、彼の臓腑に燻る残滓を強引に縛り付けていた。


「……黄泉よみの、モノ」


脳裏を侵食するように、昨夜のソウゲンの言葉が幾度も反響する。消去を拒む不快な残響だ。リュウは拳を固く握り締めた。皮膚の裏側に、あの悍ましい感触が未だにまとわりついている。純度の高い漆黒。獣の咆哮。そして、己の胸を引き裂き、内側からすべてを抉り出そうとしたあの圧倒的な斥力。


――ドクンッ。


心臓が、鋭い痛みを伴って拍動した。


リュウは反射的に胸元の衣服を掴み、息を詰まらせる。視界が歪むほどの熱量が肺を焼いたが、その苦痛は引き潮のように急速に引き下がり、代わりに燻るような焦燥感を残していった。


「……クソが」


――ガシャァンッ!


防壁を揺るがし、十センチもの厚みを持つ鉄扉が傲然と開かれた。


食糧の包みと禁忌の魔導書を両腕に抱えたケイコが、先頭を切って足を踏み入れる。その背後、鋼鉄の枠に背を預けたレイが、一瞬たりとも動かさぬ冷徹な視線をリュウへと突き刺していた。気配を殺したリンとアヤネがそれに続き、退路を完全に遮断するように並ぶ。


「食事を持ってきたわ」ケイコが沈黙を切り裂くように声を絞り出した。


リュウは口角を歪め、自嘲気味に笑う。「隔離囚人の割には、至れり尽くせりだな」


「あんたが尋問の前に餓死したら、死体の片付けをするのは私たちの役目よ」レイが言い放つ。その声音にはいかなる感情も排されていたが、双眸はリュウのわずかな筋肉の弛緩をも見逃さぬよう、その五体を冷酷に観察していた。


部屋の隅で、アヤネの肩が硬直している。彼女の探知神経が、狂ったように警戒信号を乱打していた。


「……まだ、澱んでいる。あの『気配』が、この部屋に満ちているわ」アヤネの声が小刻みに震える。


リュウが視線を向けた。「気配……? 何の気配だ」


アヤネは視線を落とし、リュウの濁った黒瞳から逃れるように顔を背けた。

「……いいえ。何でもないわ」


ケイコがすかさずアヤネの脇腹を小突いて遮る。「変なことを言い出すのはやめなさい!」


「事実よ、ケイコ」背後からリンが割り込む。その冷淡な声には一切の抑揚がない。「この領域の霊的構造は未だ再生していない。あの時、リュウの肉体を侵食した闇の波動が、未だに空間の底に沈殿しているわ」


リュウは胸元の手を離し、真っ直ぐにリンを見つめた。「リン。つまり私の身体は、まだあの力に汚染されたままということか?」


レイが一歩前へ踏み出す。「親父ソウゲンからの命令よ。私たちはあんたを監視し続ける。そして……長老会の最終決定が下るまで、あんたはこの地下から一歩も出ることは許されない」


「最高だな。名実ともに檻の中の化け物というわけか」リュウが苦く笑う。


「自覚がないの? あんたは昨夜、一棟の寮を完全に『消失』させたのよ」レイの眼光がリュウを射抜く。「長老会からその首を撥ねられなかっただけでも、奇跡だと思いなさい」


リュウは言葉を失い、ただ沈黙した。


【太陽神学園 — 隔離区域】


数百人の呪術工作員が瓦礫の山を飛び交い、崩落した建造物の修復呪術を激しく詠唱していた。だが、東側の区域だけは依然として隔離壁で封鎖されている。昨夜の戦闘が残した霊的エネルギーの歪みが強烈すぎて、即座の浄化を拒絶しているのだ。


地下最深部に位置する隔離室。

エイジは床に厳重に固定された鉄椅子の鉄枷に拘束されていた。両腕は霊力を強制遮断する鋼鉄の拘束具で覆われ、剥き出しの胸部には心音とエネルギーの暴走を監視する十数本の呪力ケーブルが直接縫い付けられている。


――ピッ、ピッ、ピッ。


計測器の電子音が不規則に乱れる。エイジの呼吸が荒くなるたび、波形グラフィックが鋭く跳ね上がった。それと同期するように、彼の胸に刻まれた刻印の亀裂が淡く明滅し、制服の繊維を焼き焦がすほどの熱を放ち始める。


「……チッ。クソが」


エイジは頭を垂れ、拘束された掌の中に顔を埋めた。脳裏では、あの戦闘の光景が無限に反転を繰り返している。灼き尽くされたミサエの顔、噴き上げる黒霧、そして、視界に入るすべての存在を圧殺せよと囁く全能 of 破壊衝動。


――カチャリ。


監視室の重厚なハッチが滑り開いた。吉本ヨシが、豪奢な法衣を纏った二人の太陽神の長老を引き連れて入室する。彼らが持ち込んだ威圧感が、室内の空気を物理的に圧縮した。


「エイジ・ブンタ」ヨシの静かな声が、電子音のノイズを圧殺する。「これより、お前の身柄は当学園の最高警戒監視下に置かれる」


エイジは乾いた喉を鳴らし、自嘲気味に鼻で笑った。「執行猶予付きの死刑宣告、といったところですか」


「事実、それと何ら変わりはない」


刹那、完全な静寂が満ちる。


ヨシは、エイジの目の前の鉄製デスクに一枚の写真を滑らせた。原型を留めぬほどに破壊され、中心部に深さ三メートルの黒焦げたクレーターを残した学園正門の無残な姿だ。


「お前の肉体は完全に制御を失った。その器の底に眠るモノが再び現世に這い出せば、次は取り返しがつかん」


エイジの瞳から、急速に光が失われていく。

「……俺は、化け物ですか」


背後に控える二人の長老が息を呑んだ。ヨシはわずかに沈黙し、エイジの濁った眼窩を見据えた。


「……まだ、断言はできん」


【イザナミ学園】


無数の治癒呪文が刻まれた石の祭壇の上に、ミサエは横たわっていた。エイジの雷撃を浴びた両腕の漆黒の火傷痕からは未だ微かに煙が立ち昇り、肉の再生を拒絶している。


部屋の隅、ダイゴは石柱に背を預け、腕を組んだまま完全に目を閉じていた。その傍らで、嘉識カシキジンが指先を動かし、空間に浮遊する霊的投影スクリーンを操作している。


「太陽神側は、あの器の封印を強引に再構築したようだ」ジンの声が冷たく響く。


「ですが、土台はすでにひび割れていますわ」祭壇の上でミサエが身を震わせた。彼女は激しく咳き込み、床に黒い血塊を吐き捨てながらも、狂気じみた笑みを浮かべる。「奴らは……ただ、破滅の時間を先延ばしにしているに過ぎません」


突如、部屋の中央に黒霧の渦が巻き起こり、濃密な闇の玉座へと収束していく。そこに鎮座するマサシイサムの眼光は、深淵のごとき威圧感で室内の蝋燭の火を強制的に平伏させた。


ヴェッセルどもの共鳴接続は、すでに再ロックされた」


イサムは視線を転じ、最も静寂に沈む部屋の最奥の闇を見据えた。


藤田不動ふじた・ふどうが、静かに椅子に腰掛けている。ミサエやハンターたちとは異なり、彼の肌には塵一つの汚れすら存在しない。周囲の黒霧は自律した生命体のごとく滑らかに蠢き、主を慕う猟犬のように彼の指先を愛撫していた。


「不動」イサムがその名を呼ぶ。


不動はゆっくりと顔を上げ、月光の中にその薄汚い笑みを晒した。


「他の器どもを、その巣穴から引き摺り出す時が来た」


不動の口角が吊り上がり、異様な狂気が相貌に完成する。

「……あの『核心の破片コア・フラグメント』を宿す器も、含まれているのですか?」


イサムは静かに目を閉じ、冷徹な肯定の笑みを浮かべた。

「あぁ。邪魔をする者は、誰一人残さず屠れ」


【死神学園】


冷徹な夜風が吹き荒れ、静まり返った学園の広場の落葉を巻き上げていく。


コーダは自動販売機の前に立ち尽くし、ただ暗雲の立ち込める夜空を睨みつけていた。数時間前から、胸部が異常に圧迫されている。心臓が不規則なビートを刻み、まるで数百キロの彼方から何かが胸の扉を叩いているかのような錯覚。


悍ましい予感。最悪の悪寒だ。飲料缶を握る彼の指先が、無意識のうちに小刻みに震えていた。


――コツ、コツ。


背後の闇から、硬い足音が近づいてくる。


「コーダ」


コーダは即座に反転し、野生的な警戒態勢を取った。そこに立っていたのは、表情を完全に失った死神学園のシニア教官だった。


「学園長がお前を呼んでいる。今すぐ中央評議室へ向かえ」


「……あ? こんな夜中に何の用だよ」


「私の口からは言えん。迅速に行動しろ」


教官の冷淡な背中に従い、コーダは重い足取りで中央評議室へと歩みを進めた。アルミ缶は彼の握力によって無残にねじ切れ、中身の液体が地面にしみ込んでいく。


【冥府女学院 — 中央会議室】


ソウゲンは円状に並ぶ高座の前に直立し、十数人の長老たちの冷徹な視線を一身に浴びていた。中心部には、国家交流戦のシンボルマークを模した魔導投影が、淡い青光を放ちながら虚空で緩慢に回転している。


「『全国霊的交流戦フェスティバル』の開催まで、もはや数日を残すのみだ」白髪の長老が、重苦しい空気を切り裂くように口を開いた。


「我が学園を襲ったあの未曾有の暴走を経てなお、我らはあの戦いに臨むというのか? ソウゲン、あの少年リュウを……まさか出場させるつもりではあるまいな」別の影から尋問の声が飛ぶ。


ソウゲンは沈黙した。彼は回転を続ける青い紋章を見つめ、昨夜、己の屍鬼封印の鎖が千切れる寸前まで追い込まれたあの恐怖を反芻していた。


しかし、彼は深く息を吸い込み、その背筋を傲然と伸ばした。


「祭典は予定通り進行させる。我が冥府も当然参戦する。それに……我々はまだ、学園を代表する最終選抜の陣容を確定させてはいない」


低く、不穏な喧噪が長老たちの間で波打つ。しかしソウゲンは微動だにせず、その表情は絶対的な冬の凍土のごとく冷徹に据え置かれていた。

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