#10 — 五柱 (ごちゅう) の陣形
「ハァ、ハァッ……!」
リュウは弾かれたように跳ね起きた。ベッドから転げ落ちんばかりの勢いで、荒い呼吸を繰り返す。肺がひどく圧迫され、まるで先ほどの悪夢に周囲の酸素をすべて奪い去られたかのようだった。
鮮血に染まった空、亀裂の走った『黄泉の門』、そして瓦礫の山の中で嘲笑う赤眼の影――。そのすべてが、いまだ脳裏に焼き付いて離れない。
リュウは焦った様子で服を捲りあげ、己の胸元を凝視した。
そこには、何もなかった。
完全に目が覚める直前まで確かに刻まれていたはずの、漆黒の手形。それは最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消え去っていた。
今のは一体何だったのか。ただの夢でないことだけは確かだ。リュウは激しく脈打つ頭を抱え込んだ。
「……あの影は、一体何なんだ」
絞り出すような呟きが漏れる。
あの影の夢を見るのは、一度や二度ではない。そして目覚めるたびに、体内のチャクラは制御を失って暴れ出し、感情が不安定になっていく。自分の中に、何かが――得体の知れない「何か」が、今まさに目覚めようとしているのを感じていた。
コン、コン。
「リュウ、あと五分以内に動かないなら、本当に置いていくわよ」
扉の向こうから、零の抑揚のない声が響いた。
リュウは大きく息を吐き出す。「……ああ、起きてる。今行くよ」
*****
その日の教室は、始業のベルが鳴る前からいつになく騒がしかった。生徒たちはあちこちで小さな塊を作り、上気した声で議論を戦わせている。
「霊力交流祭まで、あと二週間だろ?」
「ああ。隣のクラスはもう代表選抜を始めたらしいぜ」
「クソッ、ならうちらのクラスも今日あたりか」
リュウが席につくやいなや、恵子がひょいと顔を出し、彼女らしい快活な笑みを浮かべた。
「リュウ! どう、覚悟は決まった?」
リュウは気だるげに視線を返す。「覚悟って……実技試験か何かか?」
「違うってば! 今日は祭典に向けたチーム選抜があるのよ!」
恵子が気合を入れるように拳を握る。リュウは対照的に、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
窓際に座っていた零が、静かに本を閉じた。「その予感だけは信じていいわよ、リュウ」
その時、教室の扉が重々しく開かれた。教官が数本の大きな巻物を抱え、威圧感を漂わせながら入ってくる。
「静粛に。今日から代表選抜を開始する!」
張り詰めた声が教室に響き渡り、騒音は一瞬で静まり返った。生徒たちの間に緊張が走り、互いに牽制し合うような視線が交錯する。
「ルールは明快だ。各クラスから選出されるのは、精鋭五名の一チームのみ。その後、クラス対抗の模擬戦を行い、このアカデミーの看板を背負うに相応しい者を決定する」
教官は教壇へ向かうと、魔導粘着の術で黒板に大きな巻物を貼り付けた。
「いいか。この選抜で見ているのは、単なる魔力の強さではない。求められるのは、チームとしての『結束力』だ」
巻物の上に魔導インクが浮かび上がり、五つの選抜カテゴリーが表示される。
1.攻性戦闘
2.防性援護
3.結界・探知(バリア&ディテクション)
4.戦術分析
5.領域制圧
リュウは片眉を上げた。「……思ってたより、ずっと面倒そうだな」
「当然よ」零が淡々と応じる。「ただの力自慢の祭典じゃない。これは『霊的戦争』のシミュレーションなんだから」
教官が鋭い眼光で生徒たちを射抜く。「今年、貴様らが相手にするのは全国の強豪校だ。流派の異なる未知の術式とも対峙することになる。……故に、まずは貴様らの『脳』のキャパシティから測定させてもらう」
選抜は、高等魔導理論と霊的構造分析の筆記試験から始まった。
「時間は三十分。持てる知識をすべて振り絞れ。……始め!」
一斉に筆を走らせる音が教室を支配する。しかし、わずか十分が経過した頃だった。
「……終わった」
リュウの場違いなほど軽い声に、教室中の視線が集まった。彼は筆を置くと、背伸びをしながら椅子にもたれかかる。
「どうせ適当に埋めただけだろ」
「解答用紙に落書きでもしてたんじゃないか?」
周囲から冷やかしの声が漏れる中、教官がリュウの席へ歩み寄り、解答用紙を一行ずつなぞるように確認していく。――刹那、その表情が劇的にこわばった。
「リュウ……。貴様、全問正解だ。それも、完璧な模範解答以上の解説だ」
悲鳴のような驚愕の声が上がり、恵子は口をあんぐりと開け、零はまるで未知の生物を見るかのように目を細めてリュウを凝視した。
「え、マジで……?」
「教官、冗談ですよね!?」
教官は無言で首を振り、手元の紙から目を離せずにいた。
リュウは気まずそうに頬を掻く。「はは……。実技はからっきしだけど、こういう理論や構造の話なら、すぐ頭に入るんだよね」
筆記試験が終わり、いよいよ専門職の発表とフォーメーションの構築が行われた。
「数ヶ月間の実技訓練、そして今の理論値に基づき、我がクラスの代表候補を選出する」
「『攻性戦闘』――黒雪 零。前へ」
零は静かに立ち上がると、刺すような冷気を纏いながら教壇の前に立った。
「二番目、『領域制圧』――蒼 凛」
凛が小さく頷き、零の隣へと並ぶ。リュウは首を傾げた。「領域制圧? それ、どういう意味だ?」
恵子が身を乗り出し、耳元で囁く。「希少なタイプよ。あまり動かずに、周囲の重力や元素を操作して、一瞬で広範囲の敵を殲滅しちゃうの。たった一人でね」
「……恐ろしすぎる」リュウは生唾を飲み込んだ。
「『防性援護』――水野 恵子」
恵子が弾けるような笑みと共に前へ躍り出る。
「えっ! お前、ヒーラーだったのか!?」
瞬きもせず見つめるリュウに、恵子はニカッと白い歯を見せた。
教官が咳払いをする。「よし。次に『結界・探知』――結衣 彩音」
中段の席から、長い黒髪の少女がしなやかに立ち上がった。彼女が放つ空気はあまりに静謐で、さざ波一つない湖面のようだった。リュウはその姿をじっと見つめる。
「そして最後の一人。チームの頭脳となる『戦術分析』は……」教官が言葉を切り、ペンで机を軽く叩く。
生徒たちが息を呑む。タクティカル・アナリシスは、チームの勝敗を左右する心臓部だ。
「――リュウ・セイロー」
教室内が、静止した。
「「「はぁぁぁぁぁ!?」」」
不満と抗議の声が爆発する。
「待ってください教官! なんでリュウなんですか!?」
「あいつを入れたら、うちらのクラスは一回戦負けですよ!」
リュウ自身も自分の顔を指差し、誰よりも困惑していた。「……教官。それ、名前を読み間違えてませんか?」
「静まれ!」教官の怒号が教室を黙らせた。彼は鋭い視線を生徒たちに向ける。「零、凛、恵子、彩音。彼女たちは皆、類まれな強さを持っている。だが、その力を最大限に活かすためには、敵の弱点を瞬時に見抜く『脳』が必要だ。そしてこのクラスで、リュウの分析能力に並ぶ者は一人もいない」
論理的な説明に、ぐうの音も出ない教室。
零がリュウを横目で見た。「いい気にならないで。実技選抜はこれからなんだから。もし足手まといになったら、その時は私が直々に叩き出してあげるわ」
リュウはぐったりと机に突っ伏した。「最悪だ……。今度こそ本当に死ぬかもしれない」
恵子が小さく笑う中、彩音だけは無言でリュウを見つめ続けていた。彼女の探知能力は、リュウのチャクラ構造が異常なほど乱れていながらも、その深淵に「巨大すぎる何か」が潜んでいることを察知していた。
*****
暗がりに包まれた三階の回廊。夜風に長い黒髪をなびかせ、一人の女が立っていた。冥府アカデミーのシニア教官。その瞳は鋭く、底冷えするような冷徹さを湛えている。
彼女が手をかざすと、音もなく紫色の小さな魔導陣が浮かび上がった。
「やはり……あの子なのね。リュウ・セイロー」
紅い唇が、薄く弧を描く。彼女の任務はアカデミー内部の監視と情報収集だったが、リュウの登場によって、その優先順位は劇的に塗り替えられた。
彼女はリュウのいる寮の方向を見据えた。
「自分の中に何が眠っているのか、あの子はまだ気づいていない。けれど、このまま『共鳴』が続けば……その身体に施された封印は、予定よりも早く解けることになるでしょう」
シュッ、と。
彼女が指を鳴らすと、魔導の書簡は音もなく燃え上がり、夜の森の闇へと消えていった。




