6.違うとわかっていても
────あぁ、なんてことだ。違うんだ。
この少女は妻ではない。
苦楽を共にした伴侶はもういないんだ……
頭ではわかっている。
だが、心がどうにも煩くて仕方がない。
「どう、しました?」
こちらを気遣い、覗き込むように距離を近づける少女。
嫌でも目に入ってしまうその顔貌。
綺麗だと思ったし、可愛らしいと感じた。
和風により、右肩にそよぐ金色のサイドテールは曙光のように煌いて。
柔らかくこちらを見据える碧眼の中に、確固たる信念が内在するのが覗える。
凛々しくも慈愛に満ちたその表情は、上品にも、レムールの異変を確かに案じていた。
なんとか、本当にギリギリ、想いをあふれさせずに済んだレムールは取り繕う様に話を紡ぐ。
「すみません、取り乱してしまって……
貴女が大切な人に良く似ていたもので……」
そう、ギリギリ保てたのは’’似ていた’’からだった。
髪や目の色、顔のパーツも少し違う。
だが、切に面影を重ねるほど、似ていたのだ。
「大切な人なんですね」
「えぇ、とても。
彼女の為なら、出来ないことなんてないくらいに」
少女はレムールの心情を汲み取り詮索をせず、それでいて丁寧に再度勧誘した。
「……それで、わたしのことばっかりで本当に申し訳ないのですが、先ほどの依頼は引き受けてくださいますでしょうか」
ここで断れば、先刻の『声』が頭痛と共にやってくることは自明の理であり、レムールに断る選択肢はなかった。
そうでなくとも、元々レムールにとって、本当に困っている人を助けることは常識だったのだ。
「わかりました。ここで会ったのも何かの縁ですから。
引き受けましょう」
心から嬉しそうに、わぁっと可憐な笑顔を見せる少女。
「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!
断られたらどうしようかと……」
慌ただしく感情をまき散らす彼女は突然ハッとして、
「自己紹介、まだでしたね。わたしの名前は──
リステラです。よろしくお願いします!」
今度は予測し、心の準備をしていたおかげで、数秒黙りこくるだけで済んだレムール。
深呼吸し、壁を作り、笑顔を塗り、応える。
「レムールです。こちらこそ、よろしくお願いしますね」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
先の事案から十数分経ち、水辺で焚火を囲み、休息をとっていた二人。
お互い、信頼の証として武装を解除し、身軽になっていた。
少女は外套を脱ぎ、回避することに特化した黒い服装を見せた。
簡素な造りだが丈夫であろうその服の裾には、花や星などの小さく華美な装飾が散りばめられている。
横に置かれた盾も含めてみると、まるで『家出をした貴族の娘』のようだ。
何か事情があるのだろう。現段階では深入り不要と判断したレムールは、当たり障りのない共通の話題を提供した。
つまり、ここに来るまでの経緯を互いに教えあった。
「え! 貴方もあの遺跡を目指していたんですか?」
「そうなんですよ。ということは、貴女も?」
「はい。一目見た時からとても強く、駆られるように……何故か、あそこに行かなければならない気がしたんです」
そう答える彼女の顔には陰りが生じたが、そのままそれを隠そうと明るさを取り繕った。
「あ、あはは!
すみませんこんな話しちゃって。
気味悪い、ですよね。忘れて下さい!」
自嘲と羞恥が入り混じった笑顔のまま、両手を振る。
そんな、誰の目にも明らかな空元気を見かねたレムールは、彼女に望まれたであろう言葉を伝えた。
「『自分は他の人とズレている』そう感じるのでは?
疎外感を持って、さぞお辛かったでしょう。
でも、貴女は気味悪くなんかありませんよ」
「……え?」
「自分で決め、自分で行動する。
それができる人はなかなかいません。
素晴らしいじゃないですか」
「そ、そう、ですか?」
「えぇ。すごく素敵だと思いますよ」
リステラは肯定を受け安心感を取り戻したのか、手で口元を隠し、軽やかに微笑んだ。
「ふふっ。……不思議ですね。
あなたの言葉はとても心地いいです。
ずっと聞いていたくなりますよ」
本人にその気がなくとも、相手を魅了するほどの蠱惑的な笑顔を、レムールは正面から受け止め、遠くを見て避けた。
そしてこちらも爽やかさを売りに、立場を明確にする言葉を口にする。
「雇い主である貴女の望みなら、
いくらでも話し相手になりますよ」
「…………ありがとうございます。
それだけでも、貴方を雇った甲斐がありました」
少女は含みをもって礼を伝え、今度はレムールが質問を受けた。
「それで、貴方はどうして遺跡へ?」
レムールは薪を焚べながら、何でもないように答える。
「知り合いの勧めです。
『遺跡に行ったらいいことがあるぞ』
と言われまして。
その口車に乗ったわけです」
レムールは、自身のこれまでを簡潔にかいつまんで伝えた。
しかし、何の足しにもならない情報をリステラは頷きと相槌を打ちながら興味深そうに聞いてくれた。
その直後、「では!」と、おもむろに立ち上がった。
「お互いの目標は決まっているわけですし。
その『いいこと』を探しに、早速遺跡へ行ってみましょうか」
他者と言葉を交わし、自然に囲まれた空間で、心身ともに回復した様子のリステラは、座るレムールに手を差し出した。
木漏れ日を背に、眩いばかりの少女の手を、レムールは離さないように掴み、立ち上がった。
「今のわたしには強力な仲間がいるので、
怖いものはありませんっ」
ピースサインを閉じたり開いたり、
それをにこやかに行う彼女を見て、
‘’爽やかで活発な子‘’という所感を得る。
そしてそれもまさしく、彼の妻とは違っていた。
(……本当に不思議だ。
何故、こんなにも懐かしく感じるんだろう)
それぞれに装備を整え、
前途洋々と遺跡に向かい歩き始めた。
数歩歩いたところで突然、前を行くリステラが歩みを止め、振り返る。
「……そういえば、詳しい契約内容決めていませんでした……ゴメンナサイ」
ペコリ、と頭を下げた彼女の朗らかさに絆されて、レムールは僅かばかり、心からの笑みを見せた。
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雇用契約書
使用者(以下甲) リステラと
労働者(以下乙) レムール・インバースとの間に、次の通り、雇用契約を締結した。
第1条
甲は乙を次のとおりの労働条件により雇用し、乙は甲の指揮並びに就業規則等の諸規則を遵守し、
誠実に勤務することを約した。
雇用期間:本契約については期間を定めない
業 務:護衛
第2条
乙の勤務時間は、次のとおりとする。
勤務時間:始業時刻 0時 0分
終業時刻 23時 59分 休憩 1時間
第3条
乙は無休
第4条
甲より乙に支払う賃金は、次に定めるとおりとする。
1.基 本 給:日額金貨10バロスとする。
2.諸 手 当:別途給与規定の定めるところにより支給する。
3.支払方法:毎日7時より通貨をもって支給する。
第5条
本契約の成立を証するため、本書2通を作成し、署名および血印のうえ、各自1通を保有する。
――――――――――――――――――――
契約書を作るにあたって、リステラは賃金の欄だけを先に記入した。
その後、完成した契約書を見たリステラは首と手を激しく横に振っていた。
『ダメダメ、ダメです!
これじゃわたし、悪徳雇用主になっちゃいますよ!』
その通り、とてつもなく黒い内容の契約書ができたが、レムールの本意込みの合意の上、強い意志があったため、問題なし。
レムールが何とか押し通し、締結に至った。
もらった書類を眺めながらレムールは、その基本給の高さを実感していた。
(これ、どう見ても臣下並みの給料だよな)
契約書に記載された給与は、一国の大臣に勝るとも劣らないほどの額だった。
それだけの価値を見出していたリステラにとっては、妥当な給金であったが、実際のところ、アイゼへの案内料で支出の増えたレムールからすれば僥倖だった。
自分を高く買ってらえたことに対して感謝こそすれ、特別揺れ動く感情を持ち合わせていないレムール。
彼は淡々と事実だけを認識し、もらった書類を綺麗に折りたたんだ末、懐のポーチへと丁寧に収めた。
同様に書類を保管したリステラと目が合うと、お互いに、はにかみを見せる。
「これで晴れて、契約できましたね!
えぇと……余計な手間、取らせちゃいました。
すみません」
「そんな、気にしないでください。
契約書まで作っていただけるなんて、思っていませんでした」
「え? 契約に書類って必須なんじゃ……?」
「いえ、こういうのはだいたい口約束が多いかと……
契約書もほとんど作られないので反故にされることもありますしね」
それを聞いた瞬間、リステラは眼と口を大きく開き、驚きを隠さないでいた。
「うっそ!? えぇ~、わたしって世間知らずすぎ?」
惜しげもなく百面相を披露し、ころころと変わる表情は、その愛嬌を存分にまき散らしていた。
そして、やや砕けた物言いに、彼女の素の片鱗を見たレムールは、微笑みを見せながらも毅然として宥めた。
「ははっ。
そういった一般人の歩き方も、お教えいたしますよ」
「……お願い、しますね?」
黄金の前髪を揺らす宝石のような上目遣いを、レムールは努めて視界に入れず、遺跡を目指した。
直視はできない。してはいけない。しようものなら、心に入り込まれることは必至だった。
(それは、ダメだ)




