3.変態の襲来
(これからどうするかな……)
王子一行と別れてから、レムールは頬杖をついて身の振り方を考えていた。
王子巡歴に参加することで西の大帝国に取り入り、宝物庫や禁書庫への出入りを計画していたが、頓挫してしまった。
強引に攻め込むこともできようが、それでは物色する時間も確保できない。
それに極力会いたくない人物もいた。
「あの咀嚼音、苦手なんだよな」
いくつも思索して得た結論、
『ここで考えていても埒が明かない』
目下の目標を決めるためにも、情報を集めに行こうと席を立つと、同時に声をかけられた。
「どこにいくんだい、兄ちゃんよぉ。
ここで俺と話をしようや」
浮かれた声で近づいてくる典型的な不逞の輩。
奇をてらったかのように髪を立たせ、ゴテゴテとしたアクセサリーを身体中に巻き付けている。
横柄にも礼を失したその態度で、一人になったレムールにたかりに来たのだろう。
「話聞いてたけどよぉ。お前、弱いんだろ?
だから仲間に捨てられたんだろ?」
(……いや、聞いていないな。
でもなるほど、周りからはそう見えていたのか。)
「あんな良いとこの坊ちゃんがいたんだ。
だったら、雑魚のお前でもいくらかの金は持ってるはずってもんだ。
ちょっと貸してくれよ、なぁいいだろ?」
後ろで瞥見しながら嘲笑っている二人。見た目も似ている。彼らも仲間の様だ。
(ま、だからどうしたって話なんだが)
レムールは男を歯牙にもかけず、たった一言「失礼」と伝え、立ち去ろうと出口へ向かう。
当然、体毛の濃い腕が逃がすはずもなく、レムールの肩をしっかりとつかんだ。
「オラァ! 俺は冒険者の中でも三等級だぞ!
強いんだぞ! そこいらの奴とは違うんだ!
黙ってないでなんとか言えよ!」
だが、その手が掴めたのは一瞬だった。
怒気があったわけではない。
手間に感じたわけでもない。
ただ無心で、息をするように、
肩に乗ったものを払っただけだった。
その直後。
男は膝から崩れ落ち、脱力の上、中腰状態になった。
そしてうわごとをつぶやく。ひたすら。
「あ、ぁぁっあぉぁ……やめ、て……うおぉおぉお!……っ! あ、きら、ない……あ、おぁ……しぬ、しぬシヌ、シヌしぬしぬシぬしぬしヌシぬ」
水平のみの眼球運動をしながら痙攣し、服に涎の跡を広げる男。
床に水たまりをいくつも作り、しまいには泡まで吹かしだした。
尋常ではない様子に気付いた仲間が慌てて出てくる。
そして失禁する男を抱きかかえて、レムールを問いただす。
「お前! いったい何をした!?」
それに対し飄々と答えるレムール。
「別に何も、特別なことはしていませんよ。急につかまれて怖かったもので、少し闇魔法を使わせていただきました」
「闇魔法!?
これが……こんなモノが闇魔法なわけあるか!
こいつは暗いのが怖いってだけで闇魔法の対策を完璧にしていたんだぞ?」
介抱しつつ狼狽する青年に近寄り、片膝をついてレムールはそっと告げる。
「大丈夫ですよ。直に目が覚めます。起きたら彼に伝えてください。『二度と私の心を読むな』と」
恐怖で固まる青年たちや、その様子を見守っていた周囲を横目に、静かにゆっくりと立ち上がり、何事もなかったかのようにレムールはギルドを後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
街の時計台が指す時刻は七時五十七分。あと三分で時報の鐘が鳴る。
音を待たずしてあくせく働く苦労人が増え、数刻よりさらに活気を増した大通り。
ギルドへの道を戻るレムールの歩幅は、行きの道より小さい。
それは、次の目的地を思索しているからだけではないだろう。
「どこに行けばいいんだろうな……」
溜息をこぼしながら歩くレムールは唐突に、少しこもったような声に止められた。
内心で溜息をさらに増やすが、初対面であるため、笑顔を貼り付け壁を作り振り返る。
「へい!! そこの歩くにーちゃん!
調子はどうだい?」
壁は瞬時に崩された。
爆発的な声量と騒がしい動き、そして物理的な距離の詰められ方に圧倒された。
しかし圧倒されたのはその人のパーソナルスペースの狭さだけではなかった。
いやそれ以前に、
────人か?
危うく哲学の門戸を叩くところだった。
そう思うのも無理はない。声の主は丸い被り物をしていた。
黒い球体にいくつもの均等な穴が空いており、その穴からは薄く小さな光がゆっくり明滅している。
それはまるでプラネタリウム投影機の恒星球のようであった。
しかしながら服装は、どこにでもいる平民のようなチュニックと別段風変りではなかった。
それも、肩から下が千切れてボロボロだという点に目を瞑れば、だが。
何もかもが奇抜で奇怪だった。
先ほどのファッション輩とは違い、’本物’がここにはいた。
そして思ったのは、
(変態だ……)
この一点に尽きる。
だが、偏見も差別も好奇の眼差しも持たないレムールは、それ以外の感想を持たず、至って普通に応対した。
「えっと……何か御用でしょうか?」
球体を被る変態は、いたって普通の対応に驚いたのか、僅かな間を空けてからすぐに声を張った。
「はっはは! そうだな、お前はそういうやつだわな!
いやなに、用ったって簡単なこと。レムール、君の助けをさせてほしい」
初対面で自分の名前を聞き、反射的に拳を握るレムール。
警戒を強めながら続きを促した。
「…………助け?」
「そう、助け。あるいは支え。君、さっきため息ついてたろう。それを見て俺の助けがいると確信した!」
「いえ、必要ないです。それでは良い一日を」
鼻が曲がりそうな程に胡散臭い人物への対応として、逃げることが最善だと理解しているレムールは、きっぱりと断りを入れてその場から立ち去ろうとする。
しかし、逃げられなかった。
しかも、完全につかまってしまった。
たったの一言で。
「────リステア」
「ッ!!」
心臓が痛い、脈が速い。鼓動が激しくなるのを感じた。
恍惚、敬愛、恐怖、驚嘆、悲嘆、嫌悪、激怒、警戒。
薄れていたはずの感情が閾値を超え、爆発した。
全身の血が沸騰し、神経が走り、筋がこわばるのを感じる。
(何故? 何故こいつが俺の妻の名前を知っている?)
他人の口から直接聞く名前がレムールを激しく揺さぶる。
それもそのはず、レムールは妻の死後、誰にも彼女のことは話していなかった。
彼女の名前を知るものはレムール以外にいるはずがないのだ。
それを、得体のしれない奴が知っていた。
この事実だけでレムールは男の口を封じる覚悟をした。
しかし、行動に移す一歩手前、不意に理性が働いた。
自分に向けてその名を出したということは、何か理由があるのだろう。
鋭い胸痛と引き換えに冷静さを取り戻し、やっとの思いで捻りだす。
「…………なぜ、その名前を?」
その問いの返事は、握手だった。どうやらまともに答える気はないらしい。
差し伸べられた右手に右手を合わせたレムールは、彼もまた壮絶な人生を送ってきたのだと、掌から感じ取った。
それにより彼に対する不信感は、灰の一粒ほど減少した。
握手に満足したのか覆面は、陽気な声で自己紹介をする。
「俺の名前はアイゼ。アイゼ・アイジンガ―!
よろしくな、同類!」
「言っておくが、俺はあんたに気を許していない。
……が、まぁ礼儀だ。挨拶ぐらいは返すよ。よろしく」
レムールは口調が素に戻ったことを自覚しながらも、気に留めることなく右手を離し、疑問を口にした。
「それで、助けるって具体的には?」
「ここで話せってのか? せっかちさんめ。
場所は取ってある。ついてきてくれ」
そう言うと、アイゼは振り返り歩き始めた。
こちらが付いてくることを前提とした歩みの速さだった。
『妻と再会する』という目的には遠く及ばず、停滞していたレムールに差し伸べられたのは、そこにあるのかもわからない透明な船だった。
それに乗ることで何が起こるかもわからない。
それでも乗らなければ先に進めない。妻と再会する為には止まってなんかいられない。
(上等だ)
レムールはアイゼに追いつき、肩を並べて歩く。
「俺の信条に反しない限り、なんだってやる」
「ははっ! 契約成立だな!
安心してくれ、お前の信条は汚さないさ」
明滅が強くなった球体を上に傾け、愉快そうな声を出してアイゼは笑った。
そして次に神妙な声で──
「あ、報酬は都度現金でよろしく」
「……金とるのかよ」




