2.理不尽な追放
春、清和の朝。
七時を過ぎたころ、幾らかの肌寒さを感じながら、レムールは大通りを歩いていた。
商人たちの溌溂とした声を聞きながら、ハダルの朝食を嚙み千切る。
溢れ出る肉汁をそのままに、新鮮な野菜のシャキッとした食感を楽しみながら舌鼓が止まらない。
出来立て故の湯気や温かさもあり、五臓六腑に染み渡るのを感じた。
毎日食べているが、まだまだ飽きることはないだろう。
一口、また一口と大口を開けて頬張る。
レムールは食道の入り口に食物を溜め込んで、一息に飲み込むのが好きだった。
(この癖、やめないといけないよなぁ……)
ものの数分で綺麗に平らげ、
空になった紙をくしゃくしゃに丸め、手の中で灰にした。
完食の過程で指と服に付着した脂を水魔法にて除去したレムールは、歩みを止めることなくあたりを見渡す。
今となっては見慣れたものだが、実に多くの人種がそれぞれの耳や尾、足を揺らしながら雑踏を形成していた。
舗装道路を走る荷車でさえ、他の国では見ないような珍種の家畜が使われていることこそ、この王国が先進していることに他ならない。
(さすが、『偉国』と呼ばれるだけのことはあるな)
自分のいる空間が、否が応でも異世界であることを認識し、勤務先のギルドへ向かう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「レムールお前! 何だったんださっきのは!」
怒号。
ギルドに入って早々に激しい感情と言葉を浴びてしまうレムール。
怒り狂い、鼻息を荒くしてこちらに向かってくる声。
発声源は王子の取り巻きであり仲間の一人、ゴンザレス。ゴリラの如き体格と筋肉量の脳筋。
過去にも何度も、何かと文句やクレーム、不平不満をレムールにのみぶつけてきたが、今回のように理不尽ではなかった。
やれ「飯の量が少ない」だの「風呂に入るのは俺から」だの「筋トレグッズを経費で落としてください」だの。
少なくとも理由なく難癖をつけることはなかったはずだ。
まったくもって意味が分からないがレムールは仮面を崩さない。
突き出した両手を上下に揺らし、なるべく丁寧に誠実に返答した。
「どうか落ち着いて。何があったんです?」
すかさず横から金切声。
「すっとぼけてんじゃないわよ! あんたのせいでねぇ! 2時間かけた髪の毛がくずれちゃったじゃないの!」
素人目には十分整っている紫の前髪を、何度も触りながらにじり寄ってくるとんがり帽子。
自称美魔女のヒステリック姉さん、アルナ。
こいつもか。もう本当にわけがわからない。
ゴンザレスと同様、彼女もことあるごとにレムールに対し因縁をつけてきていた。
やれ「カロリーが高い」だの「高級石鹸の減りが早い」だの「新しい魔導書買ってください」だの
……今になって考えると、割と理不尽に怒られていないだろうか。
一瞬そう思ったが、すぐに振り払い、冷静に対応をする。
努力も虚しくヒートアップする魔女と野獣のお祭り騒ぎに、ギルドの職員やほかの客も迷惑そうな顔をしていた。
必死にレムールがこの場を収めようとするも、対する二人は一向に落ち着く素振りを見せない。
いよいよもって収拾がつかなくなる一歩手前、トイレから一人の少年が出てきた。
────美しい。
レムールを除いた、この場にいる全員の純粋な感想。
肩まで届く天色の髪は風にそよぎ、それでいて透明感に満ちる瞳は堂々としていた。
ロングコートを羽織る黒いゴシック調の服装と、雪のように儚く白い肌。
この対比には一種の興奮さえ覚えるほど、美と若さが象徴されていた。
彼を知らない人が一目見たら、その美性に息をするのも忘れるはずだ。
所作も相まり性別を超え、それほどまでに麗しく、魅力的だった。
『おそらく彼は、神々の酒宴の席にて、栄誉ある御酌を担い続けられるだろう』
「って、お国の貴族が言ってたもんな……」
レムールは誰に聞かれることもなく一人呟いた。
色気にあてられ、激しかった喧噪は静まり返る。
群衆と同じように見惚れていたゴンザレスは「ハッ!」と気づき、慌てて声を掛けた。
「メ、メリク王子、こっちだ!
レムールの野郎が来てるぞ」
聞くや否や、一瞬、凛々しい顔を緩ませるもすぐに戻し、小走りで近づいてくるメリク王子。
咳ばらいをし、
「おはようレムール。しっかり眠れたかい?」
「おはようございます、王子。昨夜も快眠でした」
嘘と笑顔で当たり障りのない挨拶を済ませ、さっきよりも激しい怒りを湛えてこちらを睨む二人について尋ねる。
「ところで、ゴンザレスさんとアルナさんは何故こんなに怒っていらっしゃのでしょうか」
「あー……。おそらく、さっきのレムールの行動に腹を立ててるんだろうね。
ほら、僕たちがついてすぐだったかな。レムールがここにきて僕らのおでこをつっついたでしょ?
多分あれだよ」
(つついた……オレが? 来る前に?)
色々な可能性が浮かんでは消え、消えては浮かぶが、ゆっくり考える間もなく次の情報が与えられた。
「つつかれるとき、レムールはこう言ってたんだよ。
『君たちに祝福を。どうか生きて、彼を助けて』って。
なんかね、すごく思いつめた表情で、泣き出しそうな目もしてたんだけど、覚えてない?」
覚えているわけがない。事実、その時レムールは大通りを歩いていた。
空間転移を用いればできないこともないが、リスクを負ってまでやる理由がない。
それらを伝えるとメリクは手を顎に当てて何かを考る。
少しの逡巡の後、
「うん、わかった。ゴンたちには僕から言っておくよ。
レムールのこと、信じるね。
まぁ額をつつかれても特に不調はないし、何も変わらないし、嬉しかったし。
問題はないってことで、よろしく!」
メリクは綺麗な手で軽快にレムールの肩を叩き、そのままひらひらと手を振った。
華奢な見た目に豪快な性格が合わさり、気持ちのいい懐の広さを見せつけられる。
「ありがとうございます。では本日も────」
レムールは特定の部分を故意に聞き逃し、普段通りの仕事をこなそうと動いたのだが、
「お前はクビだァ!」
「あんたはクビよォ!」
レムールは仕事を失ってしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「なぁに俺のメリク王子に触れてんだアン!?」
「私の方がメリク王子のこと慕ってんのよオォン!?」
先刻よりも少し近く、鼻と鼻と鼻がぶつかりそうな距離でレムールは激しい剣幕を見せられる。
こうなってしまっては手の施しようがない。
目を閉じて諦念しかけた時、涼しくも感情のこもった声が助け船となった。
「待て、レムールは僕の大事な人だ。勝手は許さないぞ」
両腕を下げ拳を握り、殺人的な視線で睨むメリクは見ての通り本気でお怒りだ。
全身から滲み出る水色の魔力が、チリチリと火の粉のように宙に舞う。
頑強な筋肉も厚顔の精神もたじろぐほどの迫力。
ゴンザレスとアルナは数歩下がり、しかし負けじと冷や汗を飛ばしながら応戦した。
「お、王子! 確かにこいつはすげぇやつだけどなぁ。
……だけどなぁ! いつまでもおんぶにだっこされてちゃ、俺ら成長できんでしょう!」
「そうよ! ここでこいつと別れた方が、私たち、そして何よりあなたのためになるのではないかしら!」
「それは、そうだけど……」
さっきの凄みはどこへやら。
瞬時に正論でぶん殴られ、言葉を失うメリク王子をレムールはただ眺めていた。
特に行動を起こすでも発言をするでもない。
レムールにとっては我が身のこと故、どうでもよかったのだ。
「メリク、俺たちのやっている【王子巡歴】の目的はなんだ?」
その問いにメリクが答える前に、
「『帝国を出て世界に触れ、見識を深めるとともに、実戦経験を通して将来民の上に立つものとしての覚悟を得ること』でしょう。
これに加えて王子。あなたは固有スキルの発現もしないといけないじゃないの」
アルナがすかさず答えた。
ぐうの音も出ないほどに言葉で組み伏せられたメリクはついに俯いてしまう。
それでも諦められない様子で、なんとか訴え出した。
「でも……でも! 一緒に旅をしてきたじゃないか!
こんな簡単に見限れないよ。僕は、寂しいよ……」
しかしそれは、なんの道理も理屈もない感情論だった。
涙ながらに訴えるメリクをなだめる様に包むように、ゴンザレスは言葉を掛けた。
「わかってくれ、王子。俺らだってもちろん辛いさ。でも、仕方ないんだ」
「そうね、私たちは強くならないといけないのだから……」
それまで黙っていたレムールが口を開く。
「それで、本音は?」
「王子と仲がいいレムールが嫌いだ」
「王子と仲がいいレムールを刺したい」
真顔で胸中を吐露するが、
一人言動が穏やかじゃないヒステリーが居た。
──今まで本当によく無事でいられたな。
「やっぱり自己満足じゃないか! ならこの解雇は不当なものだ、認められない!」
涙を払拭し、今度は怒髪天の様相でメリクは訴えた。
だか、それに対してゴンザレスは至極神妙な表情で答えた。
「それに、それにだ、王子。
こいつは何かを秘めている。隠しているんだ。
本音を言わない奴に、どうして背中を預けられる?
後ろから刺されるなんて、俺はごめんだ」
ズバリ言い寄られてしまった。
だがそれでもレムールは何も言わない。
仕方が無い、という風にゴンザレスは続ける。
「選べ。お前の抱えているもの全てを吐き出すか、
それとも、このまま本当に去るか。
……なぁ、俺たちはそんなに信頼できなかったか?」
今後にかかわる2択を迫られ、レムールは考えるそぶりを見せた。
導き出した答えは、
「今まで本当にお世話になりました」
「……そうかよ。
王子、アルナ、荷物をまとめよう」
ゴンザレスは寂しそうな顔を一瞬だけ覗かせたが、直ぐに落胆へと変わった。
そして振り返り、戸惑う2人を促し出発の支度を始め出した。
その背中に向けレムールは言うべき言葉をかけた。
「僕に隠し事があるのは事実です。ですが、あなた方を信頼していないわけではありません。
今更ですが、僕は仲間だと思っていました」
準備を終え立ち上がった一行へと伝えたが、振り返って出された言葉は冷ややかなものだった。
「ごめんな。
それを信じられるほど、お前に対する信頼は無くなったんだ。
さっきのでな」
しかし、この二人の王子に対する感情は本物だ。それを認識できたレムールは袂を分かつことにした。
自身の目的には達せなかったが、そう望まれたなら仕方がない。
レムールは無意識下で自分と彼らを天秤にかけ、自分だ側を選んだのだ。
ふぅっと溜息をつき、余計な軋轢を生まないよう努めて、脱退の流れに乗った。
「お二人がメリク王子のこと、お慕いなさっていることはわかりました。
……僕は陰ながら、応援させていただきますね」
精一杯の笑顔を装って最後に、
「今までありがとうございました。どうかお気を付けて、また会いましょう」
と別れを告げ、レムールは一人、ギルド内酒場の円卓に残った。
ギルドを出る最後まで、涙を溜めるメリクは印象的だった。




