28.箱入り娘の緊張
「まずは宿を探そう。
僕が世話になってる宿屋に、空きがないか聞いてみるね」
レムールの言葉に、リステラは小さく頷いた。
フードを深くかぶり直す。
視界の端が少し暗くなる。
人の視線が気になる。
通りを歩くたびに、誰かと目が合う気がした。
気のせいだと分かっている。
それでも、足取りは自然と慎重になる。
横を歩くレムールは、何も言わない。
振り返ることもない。
けれど、歩幅だけはわずかに合わせていた。
置いていかれない距離。
それが妙に、安心をくれる。
通りをいくつか抜ける。
人の流れが少し落ち着いたところで、木造の建物が見えた。
「ここだ」
短く告げ、扉を開く。
鈴の音。
中に入った瞬間、リステラはわずかに目を見開いた。
大衆酒場も古びた宿屋も、
彼女は初めて目の当たりにした。
椅子が埋まり、空気が温かい。
「いらっしゃい——おや」
カウンターの奥から顔を出した男が、こちらを見る。
その視線が、一瞬だけ止まった。
リステラに。
心臓が、跳ねる。
見抜かれた。
そう思った。
喉が乾く。
指先が強ばる。
逃げ道を探そうとして——
「……やりますね、レムールさん」
予想と違う声だった。
「ついにいい人ができたんですね?」
「は?」
間の抜けた声が出る。
リステラではなく、レムールから。
店主——ハダルは、にやりと笑った。
「隠さなくていいですよ。いやぁ、安心しました。
あなた、ずっと一人だったので」
「違いますよ」
「違うんですか?」
「違いますね」
即答だった。
だが、ハダルは気にした様子もない。
勝手に納得したように頷く。
リステラは、ぽかんとしたまま立ち尽くしていた。
今の反応。
違う。
あれは、気づいた顔じゃない。
純粋に——勘違いしている。
「……あ」
胸元に手を当てる。
触れたのは、小さなネックレス。
トリードから渡されたもの。
あのときの言葉が、頭をよぎる。
“『貴方』であると認識されなくなります"
リステラは、ゆっくりと息を吐いた。
強張っていた体が、少し緩む。
「で、今日はいかがしました?」
「部屋を一つ借りたいんだけど、空いてますかね?」
「一つですか……もうしわけない。
もう埋まってしまいました」
ハダルは肩をすくめた。
「久しぶりに続々とお客さんがいらっしゃって。
なんでも、うまそうな飯があるから、だとか」
「そうですか……
でもお客さんが多いのは喜ばしいことですね」
レムールは造った笑顔で言葉を返す。
「まことに申し訳ない。
他の宿を探すか、レムールさんと同じ部屋に宿泊されるかしか……」
隣で、リステラが目を見開いた。
言葉を発するまもなく、レムールが返事をした。
「では、僕の部屋に泊まらせてもらいますね」
リステラはさらに目を見開いた。
こいつは貞操観念なんてものがないのか、と。
「だ、ダメよ! 同じ部屋なんて!」
「でも今から宿を探そうにも遅くなるし、
一人で君を離れた場所に居させるわけにもいかないだろう?」
「ふぅむ……最近、この辺りに通り魔も出てきてるみたいですし、私としても同部屋をお勧めします」
それから間も無く、レムールとハダルは宿泊手続きに入った。
(こ、この人いけないわ!
わたしを部屋に連れ込もうとしてる!
淡々と話を進めてるけど、きっと、頭の中はわたしで一杯ね……
流されないようにしないと!)
そして話がまとまり、鍵を受け取った二人は階段へ向かう。
足音がやけに響いた。
部屋の前。
扉が開く。
中は簡素だった。
ベッドと、最低限の家具。
余計なものはない。
レムールがわりと長く借りているにしては、
生活感に欠けているという印象をリステラは受けた。
扉が閉まる音。
その瞬間、空気が変わる。
外界と切り離されたような感覚。
リステラはその場に立ったまま、動けなかった。
視線が泳ぐ。
どこを見ればいいのか分からない。
沈黙が落ちる。
数秒。
それを破ったのは、レムールだった。
「とりあえず、座ったら?」
淡々とした声。
「風呂も空いてるはずだから、お先にどうぞ」
「え、あ……うん」
少し遅れて頷く。
助かった、と思った。
この空気の中で、何かを続けるのは無理だった。
「僕は後でいくよ」
短く付け足す。
それ以上は何も言わない。
リステラは小さく一礼して、部屋を出た。
廊下の空気を吸って、ようやく息が整う。
(……びっくりした)
胸を押さえる。
「絶対に何かされるかと思った……」
けれど同時に、理解もしていた。
(ちゃんと、線は引いてる)
だからこそ、安心してしまう。
それが少しだけ悔しかった。




