25.学院のすゝめ
「……行きましょうか」
レムールは小さく頷き、歩き出す。
遺跡の外は、拍子抜けするほど穏やかな空気に満ちていた。
崩壊しかけた内部とは対照的に、空は高く、風は柔らかい。
鳥の鳴き声が、どこか遠くで響いている。
その中で——
ツヅミが、ふわりと宙へ浮いた。
小さな白い羽が、陽の光を受けて淡く輝く。
翼を広げた瞬間、その内側にわずかな煌めきが走った。
ほんの一瞬だけ、夜空のような光が滲む。
だが、それはすぐに消える。
何事もなかったかのように、ツヅミはレムールたちの頭上を旋回した。
「……ついてきてくれるのかな」
レムールの呟きに、ツヅミは小さく鳴いた。
肯定のようにも、ただの鳴き声のようにも聞こえる曖昧な音。
リステラが、そっと微笑む。
「ふふ。いいわね。可愛いわ、あなた」
その声は、どこか安心したようでもあった。
レムールはそれ以上何も言わなかった。
ただ一度だけ、空を見上げる。
白い鳥は、そこにいた。
まるで最初からそうだったかのように。
やがて二人と一匹は、階段を下り終える。
するとそこには、一台の馬車が停まっていた。
アインの手配した馬車とはこれだろう。
御者台に座るのは、一人の女性。
「ようやく来なすったねぇ、待ってたよ」
帽子を深くかぶり、顔の上半分は影に隠れている。
だが、背筋は真っ直ぐに伸び、腰の位置も一切ぶれていない。
無駄のない姿勢は、長年鍛えられた者のそれだった。
風が吹く。
帽子のつばがわずかに揺れ、覗いたのは白に近い銀の髪。
年齢を感じさせない滑らかな肌に対して、その髪だけが静かに歳月を物語っている。
手綱を握る指は細い。
だが節は硬く、剣を握ってきた者の手だと分かる。
そして何より——
そこに“隙”がなかった。
ただ座っているだけで、
周囲の空気がわずかに張り詰めている。
「……迎えですか?」
リステラの問いに、女性は軽く肩をすくめる。
「まあ、そんなところ」
声は落ち着いているが、どこか含みがある。
「あんたたち、シュテルネーアに戻るんだろう?」
レムールは一瞬だけ視線を細めたが、すぐに頷いた。
「ええ」
「なら乗って。相当揺れるけど、
忍耐力はあるほう?」
レムールは数秒だけ沈黙し、女性を観察する。
手綱の握り方。体の軸。視線の置き方。纏う魔力。
(……素人じゃない)
そう判断するには十分だった。
だが、敵意は感じない。
むしろ試されているような感覚。
「いくら揺れても大丈夫ですよ。
忍耐力は人並みにはありますので」
レムールはいつも通り、
表情を柔らかく、
声のトーンを少しあげ、
好感を得ようとする。
御者は少し笑みを見せた。
その笑みもまた、崩れない。
感情で動く人間のそれではなく、
意図して作られた“余裕”だった。
レムールたちはそれぞれ会釈をし、
馬車へ乗り込む。
ツヅミもいつの間にか、
レムールの肩へと停まっていた。
会釈のつもりだろう、一声鳴いた。
「出すよ」
座るのを確認した女性が手綱を軽く引く。
馬がゆっくりと歩き出し、やがて速度を上げる。
車輪の音が、規則的に響き始めた。
しばらくは、誰も話さなかった。
ただ風の音と、馬の足音だけが続く。
「……で?」
不意に、女性が口を開いた。
「何を見てきたんだい?」
問いは軽い。
だが、その奥には明確な意図があった。
レムールは視線を外へ向けたまま答える。
「遺跡です」
「それは見れば分かる」
即答だった。
「中身の話」
リステラが少しだけ身を固くする。
だがレムールは変わらない。
「戦いの痕跡がありましたよ。
けっこう激しかったみたいです」
「誰と誰?」
「分かっているのは一人だけです」
わずかな間。
「シリウス」
手綱が、ほんのわずかに揺れた。
女性の反応はそれだけだった。
だが、それで十分だった。
(……知っているな)
レムールは確信する。
女性は小さく息を吐いた。
「なるほどね」
それ以上は聞いてこなかった。
だが——
空気が、少しだけ変わった。
値踏みが、一段階進んだ感覚。
しばらくして、女性はぽつりと呟く。
「……あんたたちさ。
学院、興味ある?」
リステラが瞬きをする。
「学院……?」
「国立剣技魔導学院」
さらりと言う。
「才能あるやつは、だいたいそこ通る」
軽い口調。
だがその言葉には、重みがあった。
「見た感じ、悪くない」
ほんの少しだけ、振り返る。
帽子の影の奥から、視線がこちらを射抜く。
「試してみる価値はあると思うけど?
あんたたち二人にとって、必要なものがあるかもしれないね」
レムールはすぐには答えなかった。
ただ静かに、前を見据える。
馬車は進む。
シュテルネーアの街が、ゆっくりと近づいてくる。




