23.第二の案内人
崩れた天井。
砕けた石柱。
まだ砂埃がゆっくりと舞っている。
アインはレムールたちのそばにしゃがみ込み、
ほっとしたように肩を落とした。
「よかった……本当に間に合って」
レムールは息を整えながら、アインを見た。
「……どうしてここが分かったんですか?」
トリードは少しだけ首を傾ける。
「渡したでしょう。生存用の道具」
リステラが、あっと声を上げた。
「そうだ! あの袋!」
トリードは頷く。
「位置を送る装置が入っている。
それと、簡易的なバイタルモニター。
異常な変動が出たら、こちらに通知が来る」
タージが肩をすくめた。
「つまり、死にかけたら助けに来るってわけだ」
アインが苦笑する。
「言い方が雑すぎない?」
トリードはそれ以上説明しなかった。
代わりに、カリアの飛ばされた方を見据える。
「……この遺跡、まだ奥があるな」
タージも同じ方向を見た。
瓦礫の奥に、
ぽっかりと空間が開いている。
崩れた壁の向こう。
そこから淡い光が差していた。
アインが首を伸ばす。
「なんだろう……」
トリードが先に歩き出す。
「いこう」
足元の瓦礫を踏み越え、
崩れた石の隙間を抜ける。
そして──
視界が、開けた。
やがて通路の先に、円形の空間が現れた。
天井は崩れ、そこから一筋の光が落ちている。
その中心に“それ”はあった。
最初に気づいたのはタージだった。
「……待て」
低い声。
全員が足を止める。
光の中に、白い影が二つ。
一つは人。
もう一つは——
レムールの視線が、自然と引き寄せられる。
石の台座。
その上に横たわる、両脚だけの遺体。
切断面は不自然なほど滑らかで、
まるで最初からそういう形であったかのようだった。
装束は朽ちているはずなのに、
どこか神聖さを残している。
そして——
その両脚に、しがみつくようにして
一人の少女がいた。
白い髪。
白いワンピース。
細い腕で、まるで守るように
股関節から下の、
ちぎれた両足を抱き抱えている。
小さく、丸まるように。
「……なんだ、あれは」
トリードの声が、わずかに低くなる。
少女は動かない。
ただ、静かにそこにいる。
レムールはゆっくりと近づいた。
瓦礫を踏む音が、やけに大きく響く。
「……大丈夫か」
声をかける。
その瞬間、少女の指が、わずかに動いた。
ぎゅ、と。
抱きしめる力が、少しだけ強くなる。
そして——
ゆっくりと顔が上がる。
白い髪の隙間から、瞳が現れる。
夜空のような、深い光。
少女はレムールを見る。
じっと。
恐れも、警戒もない。
ただ、確かめるように。
そして、小さく呟いた。
「……あ」
それは、理解の音だった。
少女は首を傾げる。
まるで記憶を探るように。
「あなた……」
少しだけ、間があく。
そして。
「……レムール?」
トリードが目を細める。
「知り合いか」
「いや……違う」
レムールは答えるが、
胸の奥が、わずかにざわついていた。
少女はもう一度、抱かれる両足に頬を寄せる。
安心するように。
守るように。
「でも」
小さな声。
「ここで、会えるって」
天井から差し込む光を見上げる。
「星が、言ってた」
その言葉だけが、
静まり返った遺跡の中に、やわらかく落ちた。
少女の視線が、わずかに揺れた。
何かを探すように。
そして。
ゆっくりと、レムールの後ろへと向く。
リステラと、目が合う。
空気が変わる。
少女の瞳が、わずかに見開かれる。
「……あ」
今度のそれは、さっきとは違う。
理解ではなく確信の音。
少女は立ち上がることも忘れて、
シリウスの両足を抱えたまま、呟く。
「やっと……見つけた」
リステラは息を呑む。
「……え?」
少女はゆっくりと微笑む。
とても静かに。
「あなたが」
少しだけ首を傾げる。
懐かしむように。
「ヒーリクス」
その名が落ちた瞬間——
リステラの胸の奥が、強く脈打った。
「っ……!」
息が詰まる。
知らないはずの名前。
けれど、拒絶できない。
どこかで、確かに“知っている”。
頭の奥が、かすかに熱を帯びる。
遠い記憶が、指先に触れそうで触れない。
「……わたし、は……」
言葉が続かない。
少女はそんなリステラを、ただ静かに見つめている。
優しく。
確かめるように。
やがて、ふっと小さく微笑んだ。
「大丈夫」
その一言には、不思議な安心感があった。
少女はそっと、抱えていた両足から手を離す。
だが完全には離れず、片手だけを残す。
まるで役目を忘れていないかのように。
もう片方の手を、ゆっくりとリステラへ差し出した。
「思い出さなくてもいい」
光の中で、白い指先がかすかに揺れる。
「いずれ、星が導くから」
レムールはそのやり取りを、黙って見ていた。
胸の奥に、言いようのない感覚が残る。
置いていかれているような、
けれど確かに繋がっているような、曖昧な感覚。
「……君は、何者?」
低く問うのはタージだった。
警戒は解いていない。
少女はゆっくりと視線をそちらへ向ける。
だが、その瞳の静けさは変わらない。
「わたしは——」
一瞬だけ、言葉を探すように間が空く。
そして、静かに告げた。
「星眼の巫女」
花弁が、ふわりと揺れる。
どこからともなく吹いた風が、彼女の白い髪をなぞった。
「星を見る者」
そのまま、もう一度リステラを見る。
柔らかく、まっすぐに。
「そして」
わずかに微笑む。
「あなたを、導く者」
その言葉と同時に——
少女の体が、遺体と共に淡い光に包まれた。
レムールが目を細める。
「……っ?」
光は静かに広がり、輪郭を溶かしていく。
白い髪がほどけ、形を失い、
やがて一つの流れへと変わる。
次の瞬間。
そこにいたのは——
一羽の、小さな白い鳥だった。
手のひらほどの大きさが、
花の上に軽やかに降り立つ。
夜空のような瞳が、こちらを見上げる。
「……鳥?」
アインが思わず呟く。
白い鳥は、小さく首を傾げた。
そして、ひと声、静かに鳴いた。
その音は、ただの鳴き声ではなかった。
耳に届いた瞬間、
胸の奥にまで落ちてくるような、不思議な響き。
白い鳥は、ゆっくりと翼を広げる。
内側で、光が巡った。
細かな粒が、静かに流れている。
まるで——夜の空気を閉じ込めたかのように。
アインが思わず息を呑む。
「……綺麗……」
タージは目を細めたまま、低く呟く。
「ただの変化じゃねえな」
トリードは一歩だけ前に出る。
剣は抜かない。だが、視線は鋭いままだ。
「答えろ」
見据え、問う。
「敵か」
白い鳥は、首を傾げる。
しばらくの沈黙。
そして——
「違う」
小さな声。
けれど、確かに言葉だった。
空気が、ぴたりと止まる。
アインが目を見開く。
「え、今……」
タージが小さく息を吐いた。
「喋ったな」
トリードの視線が、わずかに細くなる。
「アインくん! 今のを聞いたか!
あの鳥喋るぞ! 間違いない、アレは魔女だ!
オイ! お前! 名前を名乗れ!」
トリードの代わりに声を上げたのは、
アインの懐からひょっこり出てきたルピエーだった。
「ちょっとルピエーさんは黙っててください!」
あわや、またアインと口論になるかと思いきや、
アインの懐から飛び出てきた人形の手に、強引に引き戻されていった。
白い鳥は、何事もなかったかのように、
ゆっくりとリステラの方へ向き直る。
そして、短く言った。
「ツヅミ」
その名が落ちる。
リステラの肩に、ふわりと降り立つ。
羽ばたきは驚くほど軽い。
くちばしが、そっと頬の近くで止まる。
触れはしない。
ただ——確かめるように。
「……やっぱり」
小さな声。
リステラは、わずかに息を詰める。
「ヒーリクス」
もう一度、その名を呼ぶ。
再度、胸の奥が、強く脈打つ。
「っ……」
リステラの手が無意識に胸元を押さえる。
熱が、奥から広がる。
ツヅミはそれ以上何も言わない。
代わりに、翼がわずかに開く。
内側の光が、ゆっくりと流れた。
その動きに合わせるように——
遺跡の奥。
花の揺れが、ほんのわずかに変わる。
タージがすぐに気づく。
「……風向きが変わったな」
アインも振り返る。
「さっきまで、こんな流れじゃなかったよね」
トリードは短く言う。
「導いているのか」
ツヅミは答えない。
ただ——
翼の星が、ひとつ、すっと流れた。
その軌跡は、まるで道筋のように。
レムールはそれを見て、わずかに目を細める。
「……案内役、ってことか」
ツヅミは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「導く」
トリードはしばらく沈黙し、
やがて剣から手を離した。
「……いいでしょう」
短く息を吐く。
「利用させてもらいましょう!」
ようやく、緊張していたトリードの面が割れ、
明るい本来のトリードの口調となった。
タージが小さく笑う。
「素直じゃねえな」
アインがぱっと顔を明るくする。
「なかなかいい報告書ができるんじゃね?」
レムールは苦笑するように息を吐いた。
「……雰囲気が和らいできたね」
「えぇ、本当に。
私はこの空気が好きだわ」
その言葉に、
ツヅミは何も返さない。
ただ——
翼の中の星が、静かに瞬いた。




