19.五災司
今回の扉を進んだ先は、ここを遺跡と思い出させるような粛然とした広い空間だった。
天井は高く、崩れかけた石梁が幾重にも重なり、そこから垂れた蔦が薄暗い空間に影を落としている。
壁一面には摩耗したレリーフが刻まれていて、かつて意味を持っていたであろう紋様は、長い年月に削られ判別できない。
床は巨大な石板で敷き詰められ、ひび割れの隙間から砂と苔が覗いている。
どこからともなく差し込む淡い光が、宙に舞う埃を照らし、広い室内に静かな時間の流れを浮かび上がらせていた。
足音だけが不自然に響き、この場所が人の営みから切り離されて久しいことを否応なく思い知らせる。
「随分と寂しい場所だ──」
続く言葉は言い終わらないうちに、後ろから激しくぶつかってきた人物に遮られた。
死角からの衝撃で危うく舌を噛みそうになったが、幸いにも舌は再生するから問題はない。
しかしぶつかってきた当人は鼻を押さえていた。
「レムール!」
鼻声で呼ばれたため、自分の名前が微妙にわかりづらかった。
彼女はそんなものは瑣末なことだと言わんばかりにこちらを抱きしめた。
「よかった、無事だったのね。
本当に、よかった……
あなたまでお母様たちと同じになってしまったら……」
捲し立てるような早々とした言葉たちで、いかにリステラが必死であるかをレムールは察した。
随分と急いだのだろう、気づけば彼女の指が震えており、肩で息もしていた。
レムールはそっとリステラの腕を外し、振り返り、後ろに2歩下がってから微笑んだ。
「大丈夫だよ。まずは深呼吸をして」
「え、えぇ……
スゥ──ハァ」
「うん。
それじゃあ、リステラの方こそ怪我とかない?
逸れた後に何があったか知りたいんだけど、教えてくれるかな」
言われるがままにリステラは数回深呼吸を行い、肩でしていた呼吸は平静を取り戻した。
「……もう平気。私も無事よ。
取り乱してごめんなさい。
でもあなた、私に心配かけすぎじゃないかしら」
そう口ではいいつつも、彼女の顔は穏やかな微笑みを見せていた。心底安堵したような表情だった。
レムールは妻と似た彼女の笑顔に罪悪感を感じずにはいられない。
胸の奥に揺らめく、ほんのわずかな違和感を飲み込み、レムールは先に何があったかを話し始める。
ついで彼女の番となり、レムールと逸れてからのことを教えてくれた。
「あなたと同時に扉を潜ったはずなのに、あなたの姿はどこにもなかったわ。
……あったのは真っ黒な暗闇と、
そこに浮かぶ私の両親の姿」
リステラは少し俯き、やや声が小さくなりながらも続けた。
「追いかけても追いかけても追いつけなくて、
お母様たちはどんどん離れていって。
もう諦めてしまおうとも思ったわ。
でも────そこからは覚えてないの。
気がついたらこの空間に居た。
そしてあなたを見つけたってわけ」
話の終いに笑顔を見せたリステラは一つ嘘をついていた。
『覚えていない』はずがない。
正確には言えなかったのだ。
(言えるわけないでしょ。
出会って間もない異性が、暗闇の中で助けてくれたなんて。
それがすごく嬉しかったなんて。
私はそんなにチョロくないはずよ)
訝しまれるにも関わらず、リステラは首を横にブンブンと振ってその考えと気持ちを払拭しようとした。
「いずれにせよ、再開できたようでなによりだな!」
リステラは驚いた。瞬時に音源から距離を取り、声の主を探す。明らかにレムールや自分の声ではない、爽やかで活力に満ちた声質だった。
そしてその人物はレムールの隣にいた。
「誰!」
(いつからそこに! そもそも何者なの!
……まさか、また私を追ってきて……)
真っ当な疑問を浮かべている間に、あろうことがレムールは当該の人物と歓談をしていた。
「……先輩、何度も言いますが話の流れがわからないなら入って来ない方がいいですよ」
「む、そうか?……そうだな。
……すまない」
先輩と呼ばれた人物はしょんぼりとした態度を見せた。
しかしそれも束の間、さらにリステラを驚愕させるような言葉を口走らせた。
「いやしかし、レムールにもついに伴侶ができるとはな!
オレは嬉しいよ!
それで、挙式はいつなんだ?」
「なっ! なっな、なななにをいっているのかしら!?
まだプロポーズもされていないのだけれど!」
プロポーズどころか付き合ってもいないんじゃないか……とレムールは思うが、事態がさらに複雑になる気配がするので言わないでおく。
ため息を吐きながら、先輩と呼ぶ人物の紹介をした。
「リステラ、こちらの方を紹介するよ。
アウレリア帝国の五災司第二席・選別執行官ヴェインだ。
僕が帝国にいた頃、何かと面倒を見てくれていた先輩だよ」
ヴェインと呼ばれた人物の、軽く整えられた髪が、風に揺れる。
色は黒に近いが、光を受けるとわずかに柔らかさを帯びて見えた。
眉はやや吊り上がっているものの、目元は穏やかだ。
垂れ気味の瞳は人当たりがよく、初対面の相手に警戒心を抱かせない。
ヴェインは、帝国軍の正規兵とは明らかに異なる装いをしていた。
黒を基調とした外套は装飾を極端に排しており、金属や宝飾といった威圧的な意匠はほとんど見当たらない。代わりに、動きを妨げないよう身体の線に沿って仕立てられた軽装が、彼の戦闘特化の性質を雄弁に物語っていた。
両手には革と魔導素材を編み込んだグローブが嵌められており、その指節に短い刃状の拳具が装着されている。
拳を固めるための構造でありながら、指の可動域は広く、殴打だけでなく、掴み、砕き、その場にある物すべてを武器に変えるためのものだと一目で分かる。
腰回りには鞘も刃もない。
彼にとって武器とは、持ち歩くものではなく、奪い、使い、捨てるものだからだ。
そして左胸──心臓の位置に、ただ一つだけ異質な意匠が刻まれていた。
黒地の菱形。その中央を貫く、一本の細い縦線。
左右には、線に届くことのない歪んだ影。
五災司の紋章。
階級も、席次も示さない。
示すのはただ一つ──この男が、帝国の思想そのものを実行する存在であるという事実だけだ。
ヴェインはそれを隠そうともしなかった。
むしろ誇示するように、堂々と晒している。
自分が“選ぶ側”であると、疑いすら抱いていない証のように。
「五災司のことは知っているかな?
帝国の法と秩序に重きを置く、選りすぐりの治安維持部隊だよ」
「レムールは五災司の一人ではないものの同僚でな、よく共に飯を食ったもんだ!」
「強引に、ですけどね」
「はははっ! そういうな!
お前を誘うの苦労したんだからな?
毎日城の資料室に篭って調べ物があるからって8割方断られてたしな!」
親愛を示すように肩に手を組もうとし、キッパリと断られたヴェインを見て、リステラは羨ましく思っていた。
(気の置けない仲なのかしら……
当然だけど、私の知らない一面もたくさんあるのよね……)
そう思うこと自体が、レムールへと好意を抱き始めている証左なのだが、経験のないリステラにはまだ程遠い縁のことだった。
「先輩、こちらはリステラ。今の俺の雇用主です
巡歴から外されて路頭に迷うのを助けてくださいました」
「初めまして。えぇっと……
彼とはこれからいい関係を築けたらなと思っています。
どうぞよろしくお願いします」
そう紹介され、挨拶を済ましたリステラの視線は、ヴェインの左胸へと吸い込まれていた。
(あの紋章……どこかでみたような……)
リステラの胸中に渦巻く、得体の知れない何か。
それが良いものではないことは彼女にもわかる。
ふと視線をヴェインの顔に戻すと、屈託のない笑顔は剥がれ、驚嘆もしくは落胆したような表情が張り付いていた。
「雇用契約したのか……?
オレら以外の奴と……」
リステラへと視線を流し、続けて、
「失礼ながらレディ、出自は?」
「はい、シュテルネ──」
耳をつんざくような激しい金属音が飛び散った。
言い終わる前に、ヴェインの拳が、風を裂いていた。
鈍い光を帯びた拳具が、一直線にレムールの顔面を狙って振り抜かれたのだと気づく。
反射的に掲げた杖が、拳を受け止める。
──重い。




