17.焼け焦げた臭い
「……………………」
どこまでも果てしない、深い暗い闇。
わずかな光さえ届かない深淵に、レムールは揺蕩っていた。
指先も足先も唇も、僅かにさえ動かせない中、思考は微かに働いていた。
(ここは……どこだ……)
目を開け、周囲を観察しようと試みるも瞼が鉛のように重い。
何度か力を入れて、動かせる部分を探すが体は応えてくれなかった。
まるで時間が止まったようだ。
思考がまとまらない。
体も動かせない。
どこにもいけない。
そうであるならば、もうこのまま眠ってしまおうかとも考えた。
そのほうが楽だ。
苦痛も絶望も感じることなく、ただ漂い流れに身を任せるだけで、それだけでいい。
怠惰であることのなんと幸せなことか。
……しかし、なぜかそれは許せないと感じた。
(…………なにか、しなければならないことが……あったような……)
誰に怒られることはなく、誰にも応援されることもないはずなのに、どこか居心地の悪さがあった。
(…………しなければ、いけない……おれの、したいことがあるような……)
深い闇の濁流に思考が浮き沈みしながらも、どこか忘れられない気持ちが電気信号のように走る。
摩耗したはずの『未練』が、無意識にレムールを突き動かしていた。
(────────)
それでも思考がまとまらない。考え続けることができない。
だからこそ、頭が動かないのであれば心が働き出す。
わからないことはわからないまま、今は自分が思った通りに感じたように足掻こうと思う。
(あきらめ、きれないんだよな……)
再度、指先に力を入れようとした矢先、鈴の音が聞こえた。
(きいたことあるような……優しい音……)
いや、違う。これは声だ。
鈴の音の様に綺麗な声だ。
『まけないで』
この奈落の中で、光と同義の彼女が笑った。
気のせいかもしれないが、彼女が微笑んだ様に感じた。
(そうだ。俺は……キミと、再会するためにここまできたんだ。
まだ、立ち止まれない)
今度は心を強く持って。
不思議と心の奥の片隅から、徐々に熱が広がる。
彼女の声を聞き、わずかに震えながら口が動いた。
「あ、りがとう、リステア」
再び手に力を入れ、強張らせ、固く握り締める。
それと同時に、彼のいた暗闇が光に包まれ、気づけば雲の上にいた。
頬で裂く風を感じ、落下中だと気づく。
「落ちているのか!
リステラはどこだ……!」
すでに夜の帳が下りた宙空を鵜の目鷹の目で観察するが見つけられない。
「ちっ。埒が開かない。
魔力探知を使う!」
目を閉じ、宣言通り魔力探知の魔法を使う。
レムールを中心とし、透明な波紋が辺りへ広がる。
空気中に溢れ漂う魔素を、咽頭などの魔力受容器官でより摂取しやすくし、感じやすくするための魔法。
熟達すれば、魔素が取り込んでいる周囲の情報から即時に、視覚や聴覚よりも鋭敏に環境を感知できるものである。
「………………」
目を閉じたまま、感知できる範囲を広げていく。
薄々と感じてはいたが、リステラが発する魔力は特別だ。
気品に富んだ温かみのある魔力。
見つけさえすれば捕捉は簡単なはず。
空から落ちていることも忘れるほどに、深く広く集中する。
そして────見つけた。
「そこか!」
東の方向に反応を捉えた。
伴う代償を恐れず即座に時空魔法を発動させた。
瞳の歯車が右回転する。
点と点をつないで、空間転移を数回繰り返して、ようやく意識がない様子のリステラを視認できた。
空間転移で座標を間違えると、リステラを吹き飛ばしかねない。
近づき、あとは手を取って抱き寄せなければ。
「意識を失っているようだけど、
その方が都合がいいか」
凍てつく星空の中、雲を突き破りながら墜ちていくリステラにめがけて手を伸ばす、が届かない。
──もうすこし、
手が触れる。
──ほんのわずか、
掴み損ねる。
──あとちょっと
もう一度手を伸ばして──
掴んだ。
安堵した。
組むように握った、その手を離さないように掴み直し、自身の方へと手繰り寄せようとした。
ジュッ
リステラが目の前から消えた。
奇妙な音と握った手を残して。
「……………………は?」
何が起こった?
消えた?
一度、自分のいる座標を固定し静止した状態で落ち着いて、しかし早急に考えてみる。
頭が理解を拒むが、押さえつけてでも状況を把握するしかない。努めて冷静さを保ち、改めて確認する。
リステラが蒸発した。
間違いない。
下から放たれた光によって、焼けこげたニオイを撒き散らせながら霧散した。
レムールの手は、『リステラが付属していた手』を握りしめたままだった。
(このままじゃ浮かばれないよな……)
目の前に、水平に広がる波紋を発生させ、大切なものを入れておく別空間を開いた。
何度も見てきた死後硬直のように、冷たく固まっていく彼女の手を両手で丁寧に扱い、波紋の先へと仕舞った。
「すまない。後で、必ず弔うから。
いまは前に進ませてもらうよ」
僅かに発生した悲しみの後に来た、
小さな怒りを飲み込み、握り拳を作った。
……鈍麻になったはずの感情が少しでも動かされるのは、彼女が妻に似ているからだろうか。
考えても答えの出るはずない問答を鼻で笑い、握った拳に力を入れる。
彼女を救えなかった自分の不甲斐なさを棚に上げて、光が放たれた方向──遥か下を睨みつけた。
周囲の森を薙ぎ倒しながら、地を這う巨大な黒い影がある。おそらくアレが光源だろう。
二射、三射を放たないのはどんな理由だろうか。
いや、どんな理由があったとしても、圧倒的な力でねじ伏せればいい。それができる力を持っている。
ちっぽけな代償なんてくれてやるよ。だから、
「時空を繰る力を寄越せ」




