味を感じないとはこのこと
小早川さんとはあれから顔を合わせていない。
自分から連絡をする勇気も無いし、理由もわからないのに謝るのも変だし、もし見当違いだったら恥ずかしいだけだし……そんな風に考えて時間は過ぎていった。
他愛のない会話をする仲でも無いし、気軽に連絡なんてできるわけがない。
それなのに何で泣いていたんだろう?
やっぱりメンヘラなのだろうか。あの小早川さんが? 少々頭に血がのぼりやすい気質な気はするけど、人にやたらと依存するとか攻撃的になるとかそんな風には見えないけどなぁ。
とりあえず本人と会えば何かわかるかもしれない。そう思いこのところ毎日大学に行っては学食を利用していた。気は乗らないが就職課に用事があるような気もしていたし。
この前渋々就職課で話を聞いたところ、企業のインターンは既に大学3年生の春から始まっていたらしく、俺は大きく遅れをとっていた。何もしてねぇ……。就活もまともにできていなかった。そろそろ志望動機の書き方でも教わろうかななんてのんきに思っていたのだが、3年から就活は始まっていたのだ。俺、2回も3年生を過ごしているのに。
「何もかも遅いんだよなぁ……」
世の中は俺が思っているよりも速く過ぎているらしい。忙しないことで。みんな生き急ぎすぎだろ。
トレーには照りのあるてりやきソースがかかっているハンバーグとキャベツが添えられているメインの皿。そして味噌汁とご飯がある。顔見知りになった食堂のおばちゃんが小鉢もおまけしてくれた。今日の昼飯の気分はハンバーグかなと日替わりのそれにしたが食事をいざ目の前にするとイマイチ気分が乗らなかった。
食欲がわかないと言うのだろうか。あまり良い状態じゃあないな。
何か全てがめんどくせぇな……禁煙してたけどまた吸おうかな。校内でタバコは売ってないんだよな。
ぼんやりと食堂の入り口を眺めていたところ、赤縁眼鏡の見知った顔が入って来るのを見つけた。オーバーサイズの少しゆるっとしたズボンを履き、淡い赤色のトレーナーを着ている。普段のどこにでもいるような学生の格好をしていたが、内面からにじみ出る可憐さは別格だった。
小早川さんだ。
そしてそのすぐ後ろには高峰がいる。
まさか今日会えるとは思っていなかったため、適当なシワシワなトレーナーを着ている俺。どうする? こんな格好だけど挨拶してみるか? そして数秒前に全てがどうでも良く思えていたことにほんの少しの引け目を感じた。
急に手のひらに汗をかき始め、動悸もしてきた気がする。
「あ、今井先輩」
俺の動悸をよそに高峰が声を掛けてきた。
「これから昼ですか?」
「う、うん。そんなとこ」
高峰ナイスだ……と思うよりも、どんな顔をして小早川さんに向き会えば良いのかわからず不安になってきた。
後ろにいる小早川さんを見やると特に怒っているとかそういう様子もなく黙ってその場に立っている。それも怖いというか何というか。感情がわからない。
「先輩は……それは日替わりですか?」
「そう。ハンバーグが食べたい気分で」
高峰はしばらく考えてから視線を俺に寄越してきた。
「我々も買いに行っても良いですか? 荷物はここに置いておきます」
「ああ、良いよ」
ふと、小早川さんの背負っている黒いリュックを見るとそこには何もついていなかった。ペンギンのキーホルダーももちろんついていない。俺との思い出はどこかへ葬り去ってしまったのか……。
胃がキュッと締め付けられた気がする。物を食べても食道を通るのか怪しい気がする。胃に落ちる前にどこか途中でつっかえて、むせて。何かそこにしこりのように居座っているような。
食欲が無いとはこの感覚のことを言うのか。俺は目の前にあるハンバーグを食えるのだろうか。
こげ茶色の照りのついたソースが表面を覆っている。その横に申し訳程度に添えてあるレタスにもソースがついている。箸を持ち、ハンバーグからレタスを少し離したところで2人よりも先に食べているのは感じが悪いかなと思った。箸は味噌汁の椀の上に揃えて置いた。
食堂奥の受渡口に並んでいる2人を見ると、高峰は麺の並びにいて小早川さんは定食の受渡口でおばちゃんから食事を受け取っていた。
あそこにいるってことは俺と同じてりやきハンバーグ定食にしたってことか。まぁ何を食べようがその人の勝手だが、ほっとしたのはなぜだろうか。胸につかえている何かも一瞬だけ消えた気がした。
箸や飲み物を取ると小早川さんは給水コーナー横で立っている。食事を受け取る高峰を待っているのか。
そうか………2人は仲が良いんだな。高峰はあんな感じなのに。あんな感じの男なのに! 俺が女性だったら高峰は申し訳ないがノーサンキューだし、会話が成立する気もしないが。
同学年っていうのは俺が思っている以上に2人の人間の距離を近付けるものなんだな。知らなかった。年齢というのは友人関係において重要なものなのか。そうか……。
2人は何か会話をしながら俺の方に歩いてきている。
2人の姿を見ていると消えたと思っていた喉の奥のつかえがまたできた気がした。
「お待たせしました」
高峰は俺の前にうどんの乗ったトレーを置くとグレーのバッグを横の席に置いて座った。高峰の横に小早川さんが座った。やはり注文したメニューは俺と同じてりやきハンバーグ定食だった。
しかし……斜め向かいの席にいるとはいえ、距離が近いな。何を話したら良いんだ。
「いただきます」
小早川さんは恭しく両手を合わせてから静かに箸を持った。
「い、いただきます」
俺も小早川さんに習い、1人の時にはしない食事前の挨拶をした。
箸を持ち、ソースのついたハンバーグをひと口サイズに切って口に運ぶ。甘じょっぱい味が口の中に広がるが、口が動かせなかった。
やっぱり食欲がないんだ、俺は。
「あー……俺、課題やり忘れたんでカフェテラス行って食べて来ます」
唐突に高峰が声を発した。
今、何て? 口の中のハンバーグを慌てて飲み込んだ。高峰がいないと小早川さんと2人きりなんて無理だよ。
「え? カフェテラス? 何で?」
「あ、あっちだったらコンセントあるし、やりながら食べれますので」
高峰は椅子に置いたバッグを持ち上げ肩にかけると、トレーごとうどんを持って食堂から出て行ってしまった。




