第151話 暴走する愛梨
「ただいま」
「ただいまです」
風邪が完治して一週間の始めの月曜日、バイトは店長の方から「今日まではゆっくり休んで欲しい」と言われたので、愛梨と一緒に買い物を終えて帰ってきた。
本来ならばお互いに家事を始めるのだが、先日の仕返しをしていない。
買い込んだ物を冷蔵庫に入れ、すぐに彼女を後ろから抱き締めた。
「さーて愛梨、覚悟はいいか?」
「あ、あの、やっぱり止めません? 私、今日は体育があったんで汗掻いてるんです」
愛梨がこの後に及んで言い訳をしてきたが、その内容は全く止める理由にならない。
それに本気で嫌なら抵抗するはずなのだが、腕の中の小さい体は居心地悪そうにそわそわしているだけだ。
一層抱き締める力を強め、耳元で囁く。
「俺の時は一日中布団の中に居た事で汗を掻いた体の匂いを嗅がれたんだ。それが理由になると思うなよ?」
「で、でも……」
「あと、ぶっちゃけ愛梨の汗の匂いは興奮する」
愛梨を求めた時に何度も嗅いでいるし、それが嫌だと一度も思った事はない。
どうせバレているのだからと正直に告げると、彼女の体がびくりと震え、白い頬が一瞬で赤に染まった。
「……へんたい」
「お前が言うな。という訳で、行くぞ?」
お互い様なのだから、そんな言葉になど動じない。
綺麗なうなじに顔を埋めようとすると、焦った声が聞こえてくる。
「でしたら、せめて体勢を変えませんか?」
「後ろからは嫌なのか? 正直向かい合った方が恥ずかしいと思うぞ?」
「いいんです! そうしたいんです!」
「……まあ、愛梨が良いなら構わないけどさ」
向かい合わせになると、何をしているかが愛梨に全て伝わってしまう。行為を見せつけて恥ずかしがらせるのも悪くないが、流石にやりすぎだ。
せめてもの気遣いのつもりで後ろからしようと思ったのだが、構わないらしい。
なので体勢を変えて望み通りに向き合うと、愛梨の顔は耳まで真っ赤になっている。
「じゃあ改めて、行くからな?」
「はい、覚悟は決めました! どんとこいです!」
仕返しではあるものの、ガチガチに身を固くされていては気分が乗らない。
緊張を少しでも解すために、包み込むように抱き締めてゆっくりと頭を撫でる。
「はぁ……」
焦らず撫で続けていると、愛梨が大きく溜息を吐いて力を抜いた。
緊張が取れた事を確認し、まずは先程出来なかったシミ一つないうなじに顔を埋める。
汗を掻いた事で体育後に制汗剤を使ったのだろう。愛梨の匂いに爽やかな匂いが混じり、これはこれで素晴らしい。
「んっ……」
湊の息がくすぐったいのか、愛梨が艶かしい声を漏らしてむずがるように身を捩る。
それを無視して次は襟を広げ、鎖骨へ顔を埋めた。
こちらも制汗剤の匂いがほんのりとするが、甘い花の匂いが圧倒的に濃ゆい。
(これ、我慢出来なくなりそうだなぁ)
これでもかと愛しい少女を感じるので、すぐにでも押し倒したくなってしまった。
だが流石にそれはマナー違反だし、愛梨も嫌がるだろう。
欲望を抑えつつ湊を虜にする匂いを堪能していると、愛梨が体を擦り付けてきている事に気が付いた。
それに、いつの間にか湊の制服が乱れている。
「愛梨?」
当然だが湊がそんな事をする理由などない。となれば犯人は目の前の少女だ。
なんのつもりだと問い掛けても反応はなく、一層体を押し付けてくる。
愛梨の吐息から判断すると、どうやら湊の胸元の匂いを嗅いでいるようだ。
「いいにおい……。しあわせぇ……」
「……え?」
想像も出来なかった蕩けた声が耳に届き、呆けた声が出てしまった。
その間にも愛梨は匂いを嗅いでいる。
ここに来て、ようやく先程の彼女の行動の意図が分かった。
(こいつ、俺の匂いを嗅ぐためにこの体勢にしたな!?)
おそらく、どうせ嗅がれるならばと自棄になったようだ。
その結果、愛梨の方が夢中になってしまったのだろう。
嫌がられないのは嬉しいものの、ここまで熱心に嗅がれると流石に恥ずかしさが勝った。
「はい、終わりだ。ありがとうな」
「……ふぇ?」
これ以上はまずいと引き剝がしたのだが、愛梨の頬は熱っぽく赤みがかかっており、瞳は潤んでいつつも虚ろで何も映してはいない。
とはいえ、離れたのでこれで落ち着くはずだと一安心していると、彼女が再び体を近づけてきた。
「もっと、もっと……」
「いや待て、落ち着け愛梨」
細い肩を掴んで動きを止めると、愛梨がどろどろに溶けた目で湊を見上げてくる。
「どうしてですか? 貴方が匂いを嗅ぐって言ったんですよ? だったら、私が嗅いでもいいはずです」
「もう十分だから、な?」
「いや」
言い聞かせようとしたがそれも虚しく、再び愛梨がするりと胸の中に滑り込んできた。
肩を掴んでいたはずなのに、持ち前の運動神経で力を逸らしたらしい。
そんな所を頑張らなくてもいいだろうと思っていると、アイスブルーの瞳が至近距離まで近づいてきた。
「ね、ね? いいでしょう? 私の匂いを嗅いで良いですから、貴方の匂いを嗅がせてください」
「ストップ、愛梨、ストップ!」
「やー、です。あぁ、ほんとうに、いいにおい……」
もはや愛梨の暴走は止まらず、ぐいぐいと体を押し付けてくる。
「ちょ、ま……。うわ!」
その圧に押されて後ずさりすると、畳んでいる布団に脚を引っ掻けて倒れ込んでしまった。
咄嗟に愛梨を抱き締めたので彼女に痛みはないだろうし、幸い湊も頭を壁にぶつかる事は無かった。
だが、それでも愛梨は止まらない。
「あぁ、ずっと、ずっと、かいでいたいなぁ……」
スイッチの入った愛梨は本来の要件も忘れ、湊の上に乗ってひたすらに匂いを堪能する。
こんなに求められたら我慢など出来る訳が無いものの、お互いにシャワーを浴びていない事が最後の砦として湊の理性を守ってくれているのが有難い。
そのままじっとしていると、愛梨がゆっくりと離れた。
「ほら、もう十分満足した――」
「もう、むり。がまん、できません」
湊の声を無視し、愛梨がゆっくりと身に着けている物を取っていく。
その顔はとっくに理性を失っていた。
「ぜんぶ、どうでも、いいです。あなたを、ください」
「本当に良いのか!? 風呂に入る前だと嫌だろう? な?」
肌色がどんどん増えていく中、最後の切り札を使った。
だが、愛梨は妖艶な笑みを浮かべて湊を見下ろす。
「このまえの、あなたのにおいで、げんかい、だったんです。ずっと、ずっと、おさえていたのに……」
最後に体を重ねたのがバレンタインデーの時なので、それから愛梨はずっと我慢していたようだ。
その上で先日汗ばんだ湊の匂いを嗅いだのだから、襲いそうになったらしい。
とはいえあの時は湊が風邪を引いていたので、必死に抑え込む事に成功していた。
だが今回は何も縛りが無いので、理性が消し飛んだのだろう。
ゆっくりと愛梨が湊の首元に顔を埋める。
「これ、たまりません。すきぃ……」
耳元で甘ったるい声を出され、体を擦り付けられる。
普通立場が逆なのではないかと思いつつも、愛梨が止まらないのであればもはやどうしようもない。
「どうしてこうなった……。男女逆じゃな――んむ!?」
なけなしの抵抗も、愛しい少女の唇に塞がれた。




