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第150話 過剰な看病

 昼飯を食べてから微睡(まどろ)みつつ安静にしていたのだが、風邪を引いているからか飲み物が欲しくなった。

 体を起こそうと思ったものの、細く白い腕が湊の動きを止める。


「駄目ですよ、じっとしていてください」

「喉が渇いたんだ、お茶を飲むくらい良いだろ?」

「でしたら、湊さんが動くよりも言う事があると思うんですが?」


 意地でも湊を布団から出したくないようで、にんまりと笑む愛梨が催促(さいそく)してくる。

 水を取りに行く程度自分でやれるのだが、ここは「甘えれば良い」と言っていた愛梨にお願いすべきだろう。むしろ頼まなければ彼女は怒りそうだ。


「……お茶、取って来てくれないか?」

「はい!」

 

 あまりにも些細な事でお願いしたにも関わらず、弾んだ声を出した愛梨が冷蔵庫からお茶を持ってくる。

 それどころかコップに注ぐ事すらやっているのだが、おそらく口出ししても無駄だ。

 奉仕される嬉しさと、ここまでお世話されるという恥ずかしさを感じつつ体を起こそうとすると、彼女が慌てて側に来た。


「大丈夫ですか!? 起きれますか!?」

「これくらい大丈夫だから、というかさっきまで起きてたし、寝ながらお茶なんて飲めないだろ」

「……確かにそうですね。でも口移しなら出来ると思います」

「えぇ……」


 まさかの提案が愛梨の口から発せられた事で、思わず呆れた声が出てしまった。

 彼女の瞳が真剣そのものの色を帯びているので、あのまま寝ていたら本気でやっていたはずだ。

 流石にやりすぎだと苦笑しつつ、体を起こしてコップを受け取る。


「いいから。お茶、ありがとな」

「……はい」


 奉仕出来ずにしょんぼりと肩を落とす愛梨を微笑ましく思うが、落ち込んでいる彼女はあまり見たくない。

 ある程度願いを叶えてあげるべきだろうと、再び布団に入りつつ声を掛ける。


「なら愛梨、また手を握ってくれないか?」

「……っ! 任せてください!」


 満面の笑みを浮かべる愛梨がすぐに湊の手を握ってくる。

 それからまた安静にしつつも、起きようとする(たび)に静止の声を掛けられ続けた。


「じっとしていてくださいって言いましたよね? どうして起きてるんですか?」

「トイレに行きたくて」

「倒れたりしませんか? 一人で行けますか?」

「トイレなんてすぐそこだろうが。付いて来るなよ?」

「……分かりました」


 愛梨は本気でトイレにまで一緒に来るつもりだったようで、不満そうに唇を尖らせる。

 あまりにも過剰なのだが、それが心配から来ているのが分かっているので怒りはしない。

 とはいえ彼女の熱心な看病のお陰か、夜飯時になる頃には高熱も微熱程度まで下がった。

 この調子であれば、明日には完治しているだろう。体が丈夫で良かったと心から思う。

 大分体が軽くなったのでもう看病の必要は無いのだが、愛梨はそれでも世話を焼いて来る。


「はい、あーん」

「いや、もう食べられるんだが……」

「あーん!」

「……あーん」


 何が何でも飯を食べさせようとしてくるし、昼からもそうだがずっと横に居る。

 普段であれば読書やゲームをしているはずなのに、それすらせずに湊に付きっ切りだ。


「なあ愛梨、自分の時間を過ごして良いんだぞ?」

「これが私の過ごし方なんです。私の時間を私がどう使おうと良いじゃないですか」

「……そんなにじっと見つめられると、落ち着かないんだが」

「でしたら膝枕しましょうか? どうせさっきまで寝ていて眠くないんでしょう?」


 あれこれと文句を言っても(こた)えないどころか、湊の状態を見抜いた上で提案してきた。

 アイスブルーの瞳が期待で輝いている時点で、どう考えても愛梨がやりたいだけな気がする。

 だが他にやる事も無いし、枕が極上の物に変わるだけだ。頭を撫でられているのは何も変わらないと結論付けた。


「お願いします」

「ふふー、では遠慮なく。……最近は素直になってくれる事が多いですが、単に私が甘やかしてるだけですし、それ以外となると貴方からは(ほとん)ど甘えないでしょう?」

「……まあ、そうだな」


 柔らかな太股の感触を楽しんでいると、愛梨がしみじみと呟いた。

 確かに湊から甘える事は(ほとん)ど無いのだが、代わりに何かあれば彼女は全力で湊を溶かしにかかる。

 実際仲直りしてからがそうだったし、今も同じだ。髪を梳くような指使いに、柔らかな太股。そして甘い花の匂いとなれば、絶対に溺れてしまう。

 欲望に素直になって甘える事はあったものの、それらは全て愛梨から行動してくれた結果だ。

 完全に把握されているのでそっぽを向きながら肯定すると、ふわりと嬉しそうに笑われた。


「でしたら、こういう日くらいはさせてくださいな」

「ああ。……看病してくれて、ありがとな」

「いいえ。これくらいお礼を言われる事じゃありませんよ。貴方を支えるのが私の生きがいなんですから」


 まさか生きがいとまで言われるとは思わなかった。

 一段と重くなった気がする愛梨の愛情に苦笑する。


「生きがいって……。まあいいか、頼んだ」

「えぇ、任されました。あ、そうだ、この調子だと明日には治るでしょうし、後で体を拭かせてください」

「はいよ」


 前回は湊が拭いたから、そのお返しがしたいのだろう。

 明日には体調が戻ると湊も思うので、ここがチャンスと見たようだ。

 別に見られて困る物ではないし、愛梨には全て見られているので、困る事でもない。

 許可をすると、頭上の美しい顔が鮮やかに綻んだ。





「力加減はどうですか?」

「ん、ばっちりだ」


 暫く膝枕を楽しんだ後、約束通り愛梨に体を拭かれている。

 マッサージの経験を元にしたのか力加減は最初から最適であり、非常に心地良い。

 完全に身を委ねていると、どうやら背中を拭き終えたらしく、手が止まった。

 

(ずっとされていたかったなぁ……)


 名残惜しく思うが、これはあくまで看病だという事を忘れてはならない。

 体の前面を拭く為にタオルを受け取らなければと愛梨の方を振り返ったのだが、至近距離に彼女の顔があった。


「……え?」

「はい、じゃあ次は前ですねー」


 あれよあれよという間に愛梨に後ろから抱き着かれ、前を拭く為に白い腕が這い周る。

 拭きたいというのであればそう言ってくれるだけで許可したのだが、この体勢はおかしい。


「愛梨、拭いてくれるのは嬉しいけど、あんまり綺麗じゃないからくっつくのは駄目だ」

「そんなの構いませんよ。むしろ、湊さんの匂いが濃くなって安心出来ます。すぅ……」


 汗ばんだ湊の肌に愛梨が顔を近づけ、息を吸った。

 彼女が明確な言葉にした事は一度も無いが、湊の匂いが好きなのは知っている。

 だが、ここまで露骨にされると流石に恥ずかしい。


「嗅ぐなって。単に汗くさいだけだろうが」

「……本当に、良い匂いです」


 静止も聞かず、愛梨があちこち匂いを嗅いできた。

 体を拭くという作業も忘れてしまったらしく、完全に手が止まっている。


「愛梨ー、帰ってきてくれー」

「はぇっ!? あ、す、すみません……」


 このままではまた体調が悪化しそうなので少し大きめに声を掛けると、愛梨が素っ頓狂な声を出して我に返った。

 すぐに手の動きを再開するが、湊の匂いを嗅ぐのは止めていない。しかも間近の顔は頬まで赤いし、瞳が潤んでいる。


「はぁ……、はぁ……。ん、ぅ……」


 息も少し荒く艶かしいので、ここは空気を変える為にからかうべきだ。万が一があると怖い。

 前を拭き終わり、着替えてから声を掛ける。


「愛梨がそうやって匂いを嗅ぐなら、俺もやって良いよな?」

「良いですよ? どうぞ」

「待った、そうじゃない」

「え?」


 当然のように愛梨が抱き着こうとしてくるので、手でそれを制した。

 彼女はきょとんと首を傾げたが、条件を同じにしなければならないだろう。


「もう愛梨は風呂に入った後だろうが。後日――そうだな、学校から帰ってきてすぐが良いかな」

「え゛、それは……」


 これまで、愛梨が学校から帰ってきてすぐに甘えた事はほぼ無い。

 帰ってくるとまず家事を行い、風呂から上がって湊が髪を乾かすまでは割と真面目だ。

 湊のバイトがある日は先に晩飯を用意してくれるものの、食べ終えてからすぐに風呂に入る。そして、上がるまでは接触しない。

 その理由は分かっているので無理強いは駄目だと接触しなかったが、今回の仕返しとしてちょうどいいだろう。

 愛梨が今まで聞いた事の無い声を出して固まるので、追い打ちを掛ける。


「俺が愛梨の匂いが好きだって知ってるよな? その上でさっきのような事をしたんだから、やり返される覚悟はあるよなぁ?」

「いえ、でも、汗くさいですし……」

「そう言って止まらなかったのは誰だ?」


 最近はバイトが深夜までだったのでご無沙汰だが、体を重ねた時にお互いに汗を掻いているのだから今更ではある。

 だがそれとこれとは別問題のようで、逃げ道を封じると愛梨が耳まで真っ赤にして縮こまった。


「……私、です」

「さーて、月曜日が楽しみだなぁ」

「うぅ、えっちぃ……」

「それ、愛梨にも跳ね返ってるからな?」


 二人共倒錯的な趣味を持っているのだから、愛梨の羞恥に染まった責めの言葉はお互いにダメージが行く。

 しかし、ここまで来れば開き直れるのでじっとりとした目を愛梨向けた。

 恥ずかしさが限界に来たのか、彼女は顔を上げてキッと湊を見つめてくる。


「そうです! 湊さんの汗ばんだ匂いが大好きなんです! 洗濯物を洗う前に匂いを嗅ぐくらいに大好きなんです!」

「……いやぁ、そこまでだったかぁ」


 愛梨に洗濯を任せているのでチャンスは確かにあるのだが、まさかそこまでとは思わなかった。

 湊が思わず引いた態度を取ってしまった事で我に返ったのか、彼女がおろおろと慌てだす。


「違うんです! いや、違わなくて! あの、えっと、その、とにかく! それくらい好きなんです!」

「分かった分かった、とりあえず落ち着け。横になって良いか?」

「……はい」


 一度愛梨を落ち着かせ、布団に横になる。ドタバタで自分でも忘れそうになったが、今の湊は病人だ。体調を悪化させたくはない。

 とはいえ愛梨が先程の件を不安に思わないように、愛情は変わらないと示す為に、強引に彼女の膝に頭を乗せる。


「二人共いい趣味してるよなぁ。お互い様なんだから、気にすんな」

「……ありがとうございます。あの、いっそお願いしちゃいますが、今日添い寝して良いですか?」


 ある程度冷静になったのか、単に自棄(やけ)になったのかは分からないが、あまり好ましくないお願いをされた。

 いろいろと問題のある発言に、思わず顔が曇ってしまう。


「風邪が移るぞ?」

「でしたら、今度は湊さんが看病してください。そもそも体調は万全なので、移らないと思います。……それに、もし駄目だったら私は床で寝る事になるんですが」

「む、それは嫌だなぁ」


 男の湊は床でも構わないが、いくら風邪を引いているからといって、恋人を床で寝かせたくはない。

 となれば、微熱にまで下がっているので添い寝くらいなら許すべきだと思う。

 だが、なんのかんのと理由を付けてはいるものの、本心は別にあるはずだ。


「分かった、良いぞ。でも俺の質問に応えてくれ」

「何でしょう?」

「汗ばんだ俺の匂いを嗅ぎたいってのが一番の理由だろうが」

「……そうです」


 やはり予想は当たっており、ぷいとそっぽを向いた愛梨の頬が赤く染まっている。

 正直なところ、彼女が構わないと言っている以上、汗ばんでいても気にする必要など無い。

 しかし愛梨が添い寝をするのだから、湊にも権利はある。


「じゃあ今度愛梨が風邪を引いたら、俺が添い寝するからな。覚悟しろ」

「……嫌だと言ったら?」

「そうだなぁ……。毎日風呂に入る前の愛梨の匂いを嗅ごうかな」

「添い寝でお願いします」


 即答で応えたあたり、よほど恥ずかしいようだ。

 それくらい大した事無いと思うのだが、逆の立場を考えると相当恥ずかしいので、これ以上突っ込みはしない。


「まあ、月曜日が楽しみなのは変わらんがな」

「そこは変わらないんですね……。でしたら、遠慮せずに今日の湊さんを堪能しておきます」


 完全に開き直った愛梨が真面目な顔で告げる。

 その言葉通り、寝る時に抱き締められて思う存分匂いを嗅がれた。

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