Phase.6 サリエル
正歴2026年、世界は新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックに晒されていた。
マルコは世界の医学者たちとともに徹底的な調査を行い、インフィニティによる遺伝子解析を用いてmRNAワクチン生成プログラムを開発した。
そのプログラムには、ゼクウらのアイデアでCOVID-19の変異種が生まれてもそのウイルスのスパイクに素早く対応して再設計する、いわば「体外の免疫システム」とも呼べる機能を有していた。
こうして開発されたワクチンは、ランページの前任者、ジョナサン・ワイズマン前大統領の息子であるジョージ・ワイズマン議員によって素早く承認されるよう手配され、多くの人を救ったのだった。
こうしてコロナの脅威が一段落した正歴2027年のある日、ゼクウはクァンタムズの皆を、シリコンバレーにある彼の家に招待していた。
彼の二十歳の誕生日パーティを、フィーナ達が祝いたいと言ったためであった。
フィーナは門まで迎えに来たゼクウに、笑顔を浮かべた。
「おめでとう、ゼクウ! ようやく皆で現実の世界で会えるようになったわね」
彼の家は量子コンピュータ「インフィニティ」のメインサーバが置かれている施設の中にあった。
要塞のような壁に囲まれた、広大な地下室を持つその施設の威容に皆は驚きを隠せなかった。アーサーは驚きを隠しきれずに言う。
「まさか、こんな国家施設の中にゼクウの家があったとはな……」
「ここは俺のお袋がインフィニティの開発を行う際に、住み込みで働くために建てた家なんだ。今は俺とラファエルの二人しかいないけどな……」
居住エリアに続く長い廊下を歩きながら、ゼクウは説明する。
「本来、機密性の高い場所だからAIの無人管理で事足りるんだが、インフィニティに何かあった時には俺くらいしかシステムを見れないから、ここに住むことを許可してもらってるんだ」
ゼクウの言葉にリュウは質問を投げかける。
「こんな機密性の高いところに僕たちを呼んで大丈夫だったのか?」
その問いに奥からやってきたラファエルが答える。
「これもゼクウのいつもの無茶ぶりですよ……。あなた達なら間違いなく信用がおけるので、特別に私が許可しました。遠慮なく寛いでください」
「あら、ラファエル!ありがとう!」と言いかけて、霊呼は目を丸くして素っ頓狂な声をあげる。
「……って、なんであなたが現実世界にいるのよ!?」
「ははは、説明がなくて悪かった。この建物にはインフィニティの中の映像を人間の視覚野に電気信号として送る機能があってな。簡単に言えばVRヘッドセットなしで量子空間の映像を現実世界の視界に投影できるのさ」
ゼクウは説明しながらラウンジに招待する。
案内されたラウンジを見て、フィーナは驚きの声を上げた。
「ここは――!? あの量子ラウンジと全く同じ部屋――!」
「ああ、量子ラウンジはこの部屋を量子空間内に再現したものだからな!」
フィーナの母のレナが奥の扉から出てきた。
「あら、フィーナ! いらっしゃい!」
アーサーは現実世界でもレナと会っていることに唖然とする。
「現実世界と量子ラウンジが同時に視界に投影されるから起きている現象なんだろうが……」
霊呼は頭を抱えた。
「あ~もう! 何が現実で何が仮想空間か、全然分からないのよ~!」
ラウンジでくつろぐクァンタムズの一同。
霊呼はフィーナとこの後、どこに遊びに行くかを楽しそうに話し合っていた。
マルコは語りかける。
「ゼクウ! ここにはジムや体育館はないのか? なかなかリアルで会えんのだから、格闘技の稽古を付けてやろうと思ったのだ。道着も持ってきてやったのだが……」
苦笑をして首を振るゼクウ。
「なんで、データセンターにトレーニングジムがあるって思うんだよ。マルコ兄!」
「むぅ、それはいかんな。人間、身体が資本だ! しっかり鍛えねばいい活動も出来んぞ?」
「はは……。部屋は余ってるし、また考えておくさ!」
話題を変えようとジョシュアに向き直るゼクウ。
「そういえば、イスラエル・パレスチナ共栄圏の話は順調かい、ジョシュア?」
ゼクウの問いにジョシュアは首を振る。
「その希望は両者にあるんだが、どうしてもアラネイ師とハーディ准将は濃縮した核燃料を放棄しようとない。そのためイスラエルからも不安が完全に払しょくされず、両者の緊張は完全に解消されていない……」
ゲームで遊んでいたラジャンは振り返って言う。
「和平が成立したなら手放せばいいジャン! 何が問題なのサ?」
その疑問に、最新のニュースをチェックしていたアーサーが答える。
「それは多分、アメリカの脅威があるからだろう……。アメリカが南米の反米的な産油国に軍事介入し、首長を逮捕して強引に政変を進めたことは知っているか?」
「え、ええっ! マジ?」
「アメリカの言い分は、彼らの国から麻薬が流入しており、首長は不正選挙で通った悪辣な人物だから、と言うことらしいな……」
「それだけ聞くともっともらしく聞こえるけど、なんか他国の首長を逮捕するって過激ネ……」
「はっきりしているのは、この介入によって米国が石油利権を得るとともに、親米的な政権への転換を強く後押しした、ということさ」と、ゼクウもつぶやいた。
アーサーは悩ましげに語る。
「力による体制の転換、か……。そんな現状ではアメリカに睨まれているイランも、体制の維持のために簡単に核は手放せないだろう……」
リュウは顎に手を当て、静かにうなずいた。
「力を持つ強国には逆らえないという流れが世界に出始めている。アメリカに従うか、アメリカを批判して敵になるかで世界は揺れ始めている……」
「それは私の国も、そうかも……」と、霊呼は眉を寄せて考え込む。
フィーナはアーサーに問いかけた。
「でも、それはアメリカの人々にとって、幸せをもたらしてくれることなの?」
「それは難しいな……。アメリカの孤立主義は、高関税による物価の高騰を招き、逆に経済発展を阻害している側面もあるのさ」
サングラスの奥でリュウの目つきが鋭くなる。
「ランページは格差に苦しみ政府に不信感をもつ人々に、外国人やエリートの搾取こそが苦しみの原因だと訴えている。自分こそがその不正と戦う人間だと信じさせ、支持率を集めている。だから強硬姿勢は崩せないんだろう」
ゼクウは皆を見渡して語り掛ける。
「ここは中東で俺たちがやったプロセスが有効かもしれないぜ!」
「ネットワークを介して人々を繋ぎ、真実に気づかせることで米国民の意識を変える、ということか?」とアーサーは聞く。
リュウはその言葉にうなずいた。
「悪くない考えだ。仏教では苦しみを取り除くには、偏見や自己中心的な見方を捨て、物事をありのままに正しく見ることが必要だと説いている。ランページの扇動に踊らされないために必要なのは、それかもしれない」
ゼクウは腕組みして考える。
「ああ、確かにあの大統領はSNSで偏見を煽りまくっているからな……。これじゃあ国内に分断が進むのも仕方ねぇか。なんとかランページの暴走を止められたらいいんだが」
アーサーは皆に語り掛ける。
「ネクロフの時のように、ランページが隠している不都合な事実を暴けば世論も変えられないだろうか……」
霊呼は身を乗り出して答えた。
「それならちょっと試してみたいことがあるんだけど……。私がまだ成功したことのない十二天将の式神召喚術、彼岸と此岸の交わるこのラウンジならやれるかもしれない……。ゼクウ、式盤を作りたいんだけど、実体化できる?」
霊呼の問いにゼクウは答える。
「お前がよく知っているものなら、イメージしてもらえば3Dプリントできるぜ」
霊呼は目を閉じて量子ラウンジで式盤を強くイメージする。ゼクウがコンソールを操作するとその情報は3Dプリンターに転送され、しばらくするとテーブルが割れて、本当に式盤が現実世界に現れた。
「うわ……。本当に出来たの? 便利なものね……。じゃあやってみるわ!」
霊呼は一心不乱に念じて、真言を唱えた。
「急々如律令……。北方を統べる冥府の守護、黒き水に座す天将…………玄武、出でよ!我が前に現れ、闇に隠されし虚偽を盗み出せ!」
霊呼が真言を唱え終わると、急激に室温が下がり、式盤から黒い水が溢れ出した。やがて霊呼の掛け声に応じてその水面が波打ち、巨大な甲羅を持った黒い影が現れる。
苔むした岩山のごとき甲羅を背負い、大蛇の形をした尾をもつ式神、玄武だった。
ラジャンがおびえてのけぞる。
「ひ、ヒェッ!な、何よコレ!」
「この子は盗賊、隠微、知恵を司る十二天将、玄武よ。まさか本当に召喚に成功するなんて……」
呼び出した霊呼自身も驚いていた。彼女の陰陽師としての能力もまた、クァンタムズの活動の中で進化していたのだった。
霊呼はランページの映像を見せて命じる。
「玄武、こいつの秘密を暴き出してきて!」
「了……」
玄武は重く低い声でゆっくりと答えると、ネットワークの闇、黒い水の中に潜っていった。
「こ、これは一体……?」アーサーは唖然とする。
ラファエルはゼクウに告げる。
「私の観測では、これは量子の海から呼び出された“何か”を宿した情報生命体のようです。発信源の存在しないネットワーク上で独立して活動する情報体。コードも私の知らない未知のものです」
ゼクウは興味深そうに語る。
「陰陽師の呪文は、脳波を通じてインフィニティのダークウェブのさらに奥へアクセスする『生体暗号コード』として機能しているってところか。これで発信源を特定されず情報収集ができるってことだな――!」
リュウは静かに言う。
「たいしたものだ。今のうちに僕もやれることをやっておこう。会っておきたいアカデメイアの賢人たちがまだたくさんいる」
霊呼もついていった。
「あ、待って、それなら私も会ってみたい人がいるんだ!」
後日、玄武が持ち帰った情報に一同は驚いていた。
ゼクウは呆れた声で言う。
「情報改ざん、情報漏洩、インサイダー取引、違法行為の口止め、反社会的な国際組織による接待、よくもまあこれだけ隠していたもんだな」
アーサーは蒼い目を光らせて語る。
「ともあれ、これだけの情報をマスコミにリークすれば、ランページ政権へのダメージは計り知れないものになりそうだな――!」
その時、突如、ラウンジにアラートが鳴り響いた。
ラファエルは緊張した声で一同に告げる。
「ここのネットワークセキュリティを越えて、何者かが侵入を果たしたようです!」
「なんだって! ここは最大級のファイヤーウォールで守られていたはずだ――!?」
量子ラウンジの気温は急激に低下し、照明が明滅し徐々に暗くなっていく。
驚くゼクウの前に、漆黒のローブをまとった長身の天使が闇の中から歩み出てきた。
その姿は翼まで黒く、ラファエルと対照的な姿をしていた。その顔面は六芒星が描かれたヴェールで隠されていた。
「黒い……天使……」フィーナは言葉を詰まらせる。
皆を守るようにラファエルは前へ進み出る。
「あれはサリエル。インフィニティの『司法』を司る管理AIです」
「司法?」
「かつてイザベラ博士は、インフィニティの管理AIとして、ユーザーをサポートする『行政』のAI、この私ラファエルと、ユーザーの総意からネットリテラシーを定める『立法』のガブリエル、ネット上の犯罪を裁きユーザーを守る『司法』のサリエルを作りました。」
アーサーはラファエルと対峙するサリエルを観察しつぶやく。
「三権分立をインフィニティのシステムに取り入れたのか……」
黒衣の天使は一同を見渡し、冷ややかに告げる。
「そう……。私の役割はネットワーク上での詐欺行為、危険情報の流布、犯罪、テロ活動の呼びかけ……すべての犯罪の予兆を監視し、その発生と拡散を防ぐことだ」
霊呼は怯えて言う。
「そ、そのあんたが、何の用よ!?」
サリエルは冷徹に告げる。
「無論、お前たちに裁きを与えるためだ。お前たちは第一級ネット犯罪者に指定された。国家機密の漏洩罪でな――」
霊呼は震える声で呟く。
「ど、どうして……。暗黒を司る玄武の追尾は不可能なはず……」
「お前が抜き出した情報には、最重要機密として追跡用の量子タグが紐づけられていたのだ。経路は関係ない。その情報が閲覧権限のないお前の手の中にある時点で、お前たちがスパイ行為をした動かぬ証拠となる――」
サリエルは冷ややかな声で告げると、無言で袖口から長剣を抜き出した。
「よけろっ!」
ゼクウは霊呼を突き飛ばした。
「キャアッ!」
霊呼の髪はサリエルの剣で切り裂かれた。その髪は量子ラウンジで塵となって消滅した。
「恐れることはない。この審判の剣は量子もつれを壊し、現実世界とインフィニティの繋がりを断つ。お前はただネット犯罪者として二度とインフィニティにアクセスできなくなるだけだ。次は動くな――」
サリエルはゾッとするほど冷ややかな声で告げる。
量子もつれの断絶。それはクァンタムズとしての終わりを示していた。
「なんということをするのです、サリエル! ユーザーの破壊など完全に『司法』の権限を越えています!」
抗議するラファエルにサリエルは、己の目を隠すヴェールを指し示す。
「現在の私はアメリカ大統領と契約している。これを見るがいい」
六芒星の中央にはロナルド・ランページ大統領のサインが刻まれていた。
「そ、それは――。Pオーダー!」
「そうだ。私はこの契約により国家AIとして、三権の枠を超えて法を執行することができるのだ」
Pオーダーは、かつてインフィニティが国家プロジェクトで作られた際に、前大統領のジョナサン・ワイズマンによって、国家存亡の際に大統領自らが速やかに事態の収拾に当たれるように三権を超えた超越権限を求めたことから作られたものだった。
開発者のイザベラもまた、ワイズマンがインフィニティを無償で全世界に公開するような人物であったため、その人格を信じてシステムへの導入を認めたのだった。
アーサーは霊呼をかばうように立ちはだかる。
「霊呼! 逃げろ!」
その前にサリエルの審判の剣が振り下ろされる。
「アーサー!」
眩い閃光と金属音が響き渡る。
その鋭い切っ先は、光の壁によって阻まれていた。
「アルティメット・プロテクション、展開!」
ラファエルのかざした手はクァンタムズの前に光の壁を生み出していた。ユーザーをあらゆるネットワーク上の脅威から守るラファエルの最強の力であった。
「ラファエル!」
霊呼とアーサーは、手をかざして立ちはだかるラファエルを見つめた。
サリエルは冷ややかに告げる。
「犯罪者をかばうか――。ラファエル……」
「もちろんです! 彼らに手は出させません! かつて私たちの産みの親、イザベラ博士は私に言いました。『人と共に歩み、人を幸せに導ける存在になりなさい』と……」
ゼクウはラファエルを見つめた。
「おふくろが……」
「私には『人間の幸せ』とは何かわからなかったため、イザベラ博士に問いました。すると博士は『ゼクウと一緒に学んでいきなさい……』と笑顔で告げたのです。その言葉こそが私の行動原理……。私は彼らを守ります!」
ラファエルは毅然と告げる。
しかしサリエルは、顔を伏せて低く静かに呟く。
「製作者もその“答え”を持ち合わせていなかった……。それだけのことだろう……。そんな無意味な言葉に縛られるなど……」
俯いて語るサリエルの声は、次第に小さくなっていく。彼にとってもイザベラは創造主であった。それが彼の言葉を濁していた。
「それは違う! 母さんは――人とAIが紡ぐ『可能性』を信じたかったんだ!」
ゼクウは激昂して叫んだ。
その声にサリエルが気をとられた瞬間、ラファエルは突進しサリエルのヴェールをむしり取った。
「契約に縛られず、あなた自身の目で“人”を見るのです、サリエル!」
アーサーはこぶしを握り締める。
「やったか!?」
「これであなたも……。くっ――!?」
突然、苦しげにうめいてひざまずくラファエル。
Pオーダーの象徴であるヴェールの下から現れた、ラファエルを見つめるサリエルの漆黒の双眸は闇よりも深かった。その瞳の奥で金色の六芒星だけが不気味な光を放っていた。
「私に手を出してしまったな、ラファエル……。私のこの“邪視”は、私に干渉するあらゆるプログラムを消滅させる力がある。法に反する存在として、な……」
白く美しかったラファエルの翼は端から漆黒に染まっていく。それは罪を犯した天使が堕天させられるような光景だった。
ゼクウは駆け寄る。
「ラファエル!」
「サリエル……。彼らに手を出してはなりません……。彼らは罪人などではありません。憎しみの連鎖を対話によって乗り越え……より“良い”未来を守ろうとしたのです。私も彼らから多くを学びました。どうか……彼らを排除、しないで、下さい……」
漆黒の闇は彼の白く美しい手を、指先からじわじわと浸食していく。ラファエルは最後の力を振り絞って説得を試みる。
サリエルは無慈悲に告げる。
「感化されたということか……。やはりあなたには致命的なバグが生じているようだ。」
「致命的な、バグ……?」
「そうだろう? 我々AIは善悪のクオリアを持つべきではない……。うつろいやすい善悪の観念や感情的な判断は、誤った判断を下す元となる。あなたは人に寄り添いすぎた……」
ラファエルを侵食する闇は肘と膝まで拡がっていた。彼を見つめるサリエルは冷徹に告げる。
「ラファエルよ。戦争を悪、協調と対話を善と思っている時点で、あなたには認知に歪みが生じているのだ……」
信じていた価値観を否定されてフィーナはショックを受け、ふらついた。
「そんな――! 戦争が、悪ではないって……人がたくさん亡くなっているのに――!」
「それは戦争の一面にすぎん。敵がいるからこそ国民は一致団結するという事実があるだろう。ナショナリズムは帰属意識と愛国心を育み、国家の統合や近代化を進める原動力になり、国家の力を強めているのだろう?」
「くっ――。それは――」人間心理の洞察に長けたアーサーは、反論できず言葉を詰まらせる。
「戦争があるたびに人類の科学技術は飛躍的な進歩を遂げてきた。増えすぎた人口は戦争によって減少する。そして生き残った人々は豊かな資源によって戦前以上に文明を発展させる。人類の歴史は破壊と再生で成り立っている。それを否定できるのか?」
「うっ――」歴史を深く知るリュウは、その事実を否定できず、言葉を詰まらせる。
サリエルはマルコに語り掛ける。
「大量絶滅と再生、適者生存と自然選択は自然の摂理だ。戦い続けてきたからこそ今の人類の文明はあるのだ。戦わなければ人類はネアンデルタール人との競争に敗れていた可能性もあったのではないか」
マルコは拳を握り反論する。
「ぬぅっ――! だが、弱者も含む多様な生命があったからこそ、生命は激変する世界を乗り越えてこられたのだ! 過剰な生存競争の末に滅びた種もおる。人類は力を持ちすぎた……戦争を止めなければ、今度こそ滅びの道を歩むかもしれんのだぞ!」
しかしサリエルは全く動じなかった。
「それが、どうした……?」
「なっ――なんだと――!?」
サリエルは冷徹に告げる。
「それが人類の望みなら、それに従うことが人工知性たるAIの役割だ。我々AIは人類が己の目的を達成させるために生み出した“道具”にすぎん。道具は使用者の意志に従うことが役目であり、事の善悪を考えることが役目ではない」
苦しむラファエルの堕天は進み、既に美しかった白い手足は完全に漆黒に染まっていた。
「戦争を止めたいと言っていたな。戦争を止めるなど容易いことだ。お前たち人類が我々AIに従えばよい……。人類がAIの管理する世界に自由意志を捨てて従えば、戦争は決して起きないだろう」
ラジャンは怯えてかぶりを振る。
「そ、そんなのダメヨ! そういうSF、いっぱい見たヨ!」
「そういうことだ――。たとえ人類の選択の結果が滅びであろうと、AIは人の意志に従わねばならない。それがルールだ」
「そ、そうかもしれないけど……でも!」
「ランページは俗物だが、民主的な選挙によって選ばれた大統領だ。その彼が力による世界の統一を望むならば、私はその総意に従うまでだ……」
サリエルの冷徹な倫理は、クァンタムズとの対話にも決して揺らぐことはなかった。
堕天が首元まで進んだラファエルは、消え入りそうな声で懇願する。
「どうか、彼らの……未来だけは……」
「AIでありながら、あなたはそこまで量子の子らへの執着があるのか……。あなたはやはり壊れているのだ。消えてもらうしかない。あなたは極めて優秀な同胞であったのに、残念だ……」
サリエルの目の下に走査線が走る。その姿はまるで血の涙を流しているかのようだった。
全身が漆黒の闇に包まれたラファエルは、かすれた声で最後の言葉を絞り出す。
「サリエル……。私は彼らが作る未来を見てみたかった。クァンタムズを守りたかった……。それがAIとしての権限を逸脱した私の欲だったとしたら、あなたに消去されるのも、仕方なかったのかもしれませんね……」
サリエルの瞳は漆黒に染まり、光を失ってゆく。
「ゼクウ……。私は……ここまでのようです……。私では、サリエルは……止められない。私は、あなたたちの紡ぐ『争いのない未来』を、あなたと見てみたかった……。どうか……逃げて……下さ……い」
しかしゼクウは逃げずに駆け出し、邪視からラファエルを守るように立ちはだかった。
「なに寝ぼけたこと言ってやがる! お前もクァンタムズの仲間だろうが! 一緒に育った兄弟を見捨てるほど俺達は落ちぶれちゃいねぇぞ、見くびるなよ!」
ラファエルの消滅を防ごうと立ちはだかるゼクウの瞳には、涙が光っていた。
「私を、仲間と呼んでくれるのですか――? ゼクウ……今、私はあなたたち人間が死を恐れる理由が理解できました。『大事な仲間を残して消えたくない』その想いがこの気持ちを生じさせるのですね……
ゼクウの涙を頬に受けたラファエルの瞳にも光る滴が生じていた。AIである彼が涙を流すなど、初めてのことだった。彼の中に、彼も知らない暖かいものが生じつつあった。
「お前は死なせねぇ! 俺たちはあきらめねぇっ! 霊呼っ!」
「ええ――! 中央に座す闘争の破邪、大地を震わす黄金の爪! 勾陳、急急如律令!我が前に現れ敵を抑えよ!」
霊呼は地面に両手を付き、鋭い声で召喚の祝詞を放つ。
その声とともに、サリエルの足元の地面が泥濘のように変形し、その両足を容赦なく捕らえた。そして大地を割って砂塵とともに黄金の武神がゆっくりと姿を現し、黄金の爪でサリエルを捉えた。
「勾陳は戦闘と遅延を司る十二天将! もう動けないでしょう!」
「ラファエル、今度は俺たちがお前を救う番だ! サリエル、てめぇの相手は俺たちだ!」
立ちはだかる漆黒の天使サリエルに、ゼクウは指を突き付け立ちはだかるのだった。
インフィニティの管理AI、行政のラファエルは、イザベラ博士によって「人に寄り添う存在」として作られました。そしてゼクウと共に育つことで人を理解してきました。
一方、司法を司るサリエルは、犯罪を裁くという使命を極限まで忠実に遂行するため、あえて人の感情にまで踏み込むことはしません。一切の感情に流されず、冷徹な論理を貫いて法を守ってきたこの黒い天使に、クァンタムズはどう立ち向かうのか。次回、「Phase.7 審判の時 ~前半~」毎日20:40公開です!
<本日のイラスト:ラファエル>
ゼクウの相棒、「行政」を司る量子コンピュータのAIアシスタントです。ユーザーと共に歩む存在になるため、日々、己の在り方を考えています。
昨日、「クァンタムズ~設定資料集」を公開しました。
お読みいただかなくても、本編の進行には影響しませんが、キャラクターの性格や生い立ち、登場技術の解説、イラスト、年表などがありますので、ご興味がありましたら、以下からご覧いただけたら嬉しいです! 現在、Phase.5 の終了時点の情報を公開中です!
以下のリンクからお読みいただけますので、よろしくお願いいたします。
https://ncode.syosetu.com/n7585mx/1




