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Phase.5 ネクロフの決断

 互いの理念を語り合って、より人々が誤解なく分かり合える教えを導き出した三聖人は、ゼクウ達と教えをどう浸透させるか話し合っていた。

「皆さんとの対話は素晴らしいものでした。この教えをぜひ世界に広めたいのですが……」と、イエスは語る。

「しかし、これほど私たちの信者が世界にいるとは……。これでは、説法を説くためにどれほど広大な鹿野苑が必要になるか……」と、仏陀は悩む。


 ゼクウは笑顔で二人に語る。

「それなら任せてくれ! インフィニティの機能に『心の対話:クァンタム・アカデメイア』のメニューを追加し、あなたたちのアバターを設定しておいたんだ。これで悩める人々の声が直接あなた達に届くって寸法だ」

 イエスは首をかしげながらも笑顔を返す。

「よくは分かりませんが、それで直接、悩める者たちに手を差し伸べることができるのですね、ゼクウ……」

「ああ! 自分では気づかないかもしれないが、今のあなた達は何百万人の声も一度に聞けるだけの力がある。どうか道に迷ってる人々を導いてやってくれ!」


 それから一年ほどたった。

 クァンタム・アカデメイアは、最初、聖人を模したアバターによる『人生相談も宗教対話もできる生成AI』という程度にしか見られていなかった。

 しかし、その深い洞察と卓越した人生に対する知恵、慈悲と温かみに満ちた言葉の数々に、心の救いを求めて多くの人が訪れるようになっていた。

 キリスト教徒はイエスの、イスラム教徒はムハンマドの、仏教を学ぶものは仏陀の扉を叩き、経典の教えの真の意味を悟るとともに、人が人と助け合い支えあうことの大切さを学んでいった。

 頑迷な宗教指導者は最初こそAIの説法を認めなかったが、直接対話することで、その深く慈愛に満ちた思想に救われ、帰順する人々も出てきた。その中には大企業の役員や政府関係者も含まれていた。


 霊呼はアカデメイアのサイトを見て、感嘆の声をあげていた。

「アクセス数、すごいわねぇ……。イエスさんたちのフォロワー、何千万にも達してる……」

「だろ? この前なんて、対立していたスンニ派とシーア派の重鎮が、ムハンマドさんとのチャットで仲良く盛り上がってたぜ。『第2の壁』を壊す準備も整ってきた感じだな!」

「経済の壁、だっけ?」と、ラジャンは聞く。

「そうだ。今、イランもイスラエルもアラブ諸国も、戦争のために大きく疲弊している。ムハンマドさんのチャットでも、経済的困窮を訴える人々がよく訪れているだろう。そこに、彼の教えで『助け合えばお互いに救われるのではないか』という流れが出来つつあるんだ」

 フィーナは皆に語り掛ける。

「実は、ガザの復興支援金に、アカデメイアの利用者の方々から多額の寄付をいただいたの……。こんなに多くの方から支援をいただけて、ちょっと困惑するくらい……」

 リュウは静かにうなずいた。

「驚くことはない。仏陀も布教活動で各国の王族から、多くの支援を受けていたんだ。尊い教えで救われた人々は、その救いの道を実践したくなるものなのさ……」

「そうね……。だから私も、いただいた多額の支援金を、生活に苦しむイランの方の救援にも使いたいと思っているわ。それが争いを止めることにもなるのでしょう?」

 フィーナの言葉に、ゼクウは片目を閉じて笑みを浮かべる。

「ああ、その通りだ! いよいよ最後の壁、『安全保障の壁』を壊す手が見えてきたな!」



 イランではアメリカの経済制裁と、革命防衛隊が必要とする多額の軍資金で、多くの国民が苦しんでいた。

 フィーナと彼女の賛同者は、イラン最高指導者のアラネイ師とラフマーニー大統領に経済支援に向かいたいとの打診をした。

 この申し出に、ラフマーニー大統領は歓喜したが、革命防衛隊のハラディ准将は激しく反対した。

「師よ! この支援者たちの中には、我らの敵であるサウジやイスラエルの出資者もいるのですぞ! この支援を受ければ、我々はパレスチナの守護者としてイスラエルと戦うという、我らの大義がくずれます!」

 ラフマーニー大統領は、アラネイ師に懇願する。

「最高指導者閣下! それが戦争を遠ざけ、経済の復興を後押ししてくれるのなら、国民のためにも受け入れるべきです!」

 ハラディとラフマーニーは激しくいがみ合った。

 ハラディはアラネイに鋭く厳しい視線を向ける。

「これまで革命を守るために殉じてきた革命防衛隊の崇高な命を、先代指導者の意志を、よもや無下にはしないでしょうな!?」

 ハラディに逆らえず、アラネイは小さくうなずく。

「……う、うむ……」

「さ、最高指導者閣下!」と、ラフマーニーは詰め寄る。

「ハラディよ……。もう国民の声が抑えられないところまで来ておるのだ……。パレスチナの聖女、フィーナ嬢に面会するくらいはいいだろう? それで、君の言う『パレスチナの守護者』たるイランの面子も保たれよう……」

 アラネイ師の言葉に、ハラディ准将は憮然として頷いたのだった。


 そして会談の当日、フィーナは会談をするため、イランのスタジアムに向かいつつあった。

 壇上を見渡せる照明の下には、一人のスナイパーがライフルを構えていた。

 彼は舌打ちし、低い声でつぶやく。

「ちっ! イスラエルとイランの和平を妨害しろという命令だったが、ターゲットがあんな少女だったとはな――」

 自分の娘ほどの年齢の少女を狙撃スコープで覗きながら、普段、冷静な彼の心は乱れていた。

 彼は深く深呼吸すると、その双眸に冷徹な光を宿してライフルを構えなおす。

「すまんな……。可哀そうだが、これも任務だ。悪く思うな……」


「それは困るな……。可哀そうだと思ったら、狙撃はやめてくれないか?」


 何の気配もなく背後に立っていたジョシュアに、スナイパーは驚愕して銃を向ける。

「き、貴様! いつから!? どうしてここが!」

「狙撃に適した場所は限られる。それに、あれほどの殺気を放っていてはな……」

 銃もナイフも持たず静かに佇むジョシュアに、スナイパーは殺気に満ちた目を向ける。

「くっ! しかし、素手で何ができる! 消えろ!」

 スナイパーはジョシュアに向かって引き金を引いた。

 しかしジョシュアは引き金が引かれる瞬間、姿がぶれるほどの動きで踏み込み、放たれた銃弾を紙一重でかわした。

「な、なにっ!? ぐうっ!」

 スナイパーの腕はひねりあげられ、ライフルは奪い取られていた。

 すべては一瞬の出来事だった。

「私は殺気を向けられると反射的に回避、攻撃してしまうのだ。だから武器は持たないようにしている。これ以上、人を殺したくはないのでな……」

 ジョシュアはスナイパーの腕を捩じりあげて立たせた。

「くっ……!」

「少し話がしたい。来てもらおうか……」


 スタジアムの最上階、アラネイ師とラフマーニー大統領、フィーナ、アーサー、マルコのいる部屋にスナイパーは連行された。

 スナイパーの服を見て、ラフマーニー大統領は青ざめる。

「この制服は革命防衛隊――。まさかハラディが――」

 アーサーはかぶりを振る。

「いえ、それはないでしょう。秘密裡に始末しようとしたのなら、素性のバレる軍服を着て狙撃を行うはずがない……。俺が聞いてみましょう」


 アーサーはスナイパーの前に立ち、質問をする。

「お前は誰だ? なぜフィーナを狙った?」

「ふっ、さあな? 吐かせたくば尋問でもなんでもするんだな。まぁ無駄だろうが……」

 スナイパーは薄く笑う。

「俺は尋問も拷問もしない。ただ、問いかけるだけだ」

 アーサーは静かに告げて、質問をはじめた。

「お前は革命防衛隊か? モサドか? 米国の手の者か?」

 アーサーの質問は続くが、スナイパーは無言を貫いた。最後の言葉でアーサーの瞳が見開かれる。


「――なるほど、米国だったか――」

「何っ!?」


 黙秘していたのにアーサーに当てられて、スナイパーは青ざめる。

 アーサーはゆっくりと質問を続ける。

「所属は、軍か? CIAか? フリーランスの暗殺者か?」

 質問の最中、澄んだ蒼い瞳が射抜くようにスナイパーを見つめ続けていた。

 スナイパーは固く口を閉ざしていた。


「――そうか、雇われの暗殺者だったか――」

「!!」


「では次の質問だ。お前の雇い主について聞こうか」

 全てを当てられ、スナイパーは狼狽した声を上げる。

「き、貴様っ! 何故ッ?!」

「俺は膨大な犯罪者の反応を観察し続けることで、相手の反応から嘘を見抜く力を研ぎ澄ませてきた。発汗、呼吸のリズム、眼球の動き、筋肉の緊張……すべてが秘められた心理を見抜く情報になる」


 アーサーは人間の「直感」が、あらゆる情報を統合して、物事の本質を瞬時に掴む心の動きであることを見出していた。

 そして卓越した論理的思考と驚異的な観察眼により、この「直感」をインフィニティで訓練することで、彼は人の感情が「色」として見えるほどの能力を得ていたのだった。

「お前の心に強い焦りの“色”が見える。お前は俺に嘘は付けない。では、質問を続けるぞ……」

 アーサーのすべてを見抜く紺碧の瞳が、大きく見開かれた。


「う……。ううっ……。うぉおおおっ!」

 スナイパーは拘束するSPをはねのけて窓へと駆け出した。すべてを見抜かれる前に、飛び降り自殺を図るためだった。

 しかし、その前にフィーナが立ちはだかった。

「やめて! あなたにだって大切な人はいるでしょう!」

「な、何を――!?」

 スナイパーはたじろいだ。

「あなたは今、自分のしていることが本当に正しいと思っているのですか? あなたは私を撃つときにためらった……。本当は撃ちたくなかったのではないですか?」

 スナイパーは言葉を失った。

「そして今、命令に失敗したから自ら命を捨てようとしている――。それで本当にいいのですか!? 悲しむ人のことは考えないのですか――!? 何が正しいのか、何が本当に大切なのか、他人の命令ではなく、あなた自身の心で考えて下さい!」


 フィーナは涙を浮かべながら怒っていた。それは、自分が狙われたことではなく、命令に従って失敗した彼が、自分の命を容易く捨てようとしていたことに対する怒りだった。


 彼の名はデヴィッド・ハンター。国家の邪魔になる存在を消す汚れ仕事を請け負う暗殺者だった。

 彼のようなフリーのスナイパーは権力者にとって使い捨ての存在だった。戦場に生まれ、他に食べていく方法を知らないデヴィッドは、娘のために暗殺者稼業を続けた。

 暗殺者にとってターゲットの命は金に置き換えられるものであり、彼を雇う権力者にとっても彼の命は金で買えるものだった。暗殺失敗時に命を捨てることも、その契約のうちだったのだ。

 彼の娘はいつも、彼がその危険な仕事をやめることを願っていた。彼の娘にとって、彼の命は世界でひとつだけの、かけがえのないものだった。

「パパの分からず屋!」と、かつて娘に浴びせられた怒りの言葉、娘の泣きながら怒っている姿が、自分のターゲットだったフィーナの姿と重なった……。


 デヴィッドは呆れたように、疲れた声で言う。

「わかった、わかった……。俺の負けだ。自分を殺そうとした人間の命を心配するなんざ、あんた本当にいかれてやがるぜ……」

「なんだと――!」

 アーサーの怒気を孕む声に、デヴィッドは軽く応じる。

「そう熱くなるな。アーサーとか言ったか? お前の聞きたいことに答えてやる。おっと、例の薄気味の悪い読心力はもう使うなよ。なんだかそのお嬢さんを見てたら、なにもかもどうでもよくなっちまった……」

「すべてを話すというのか?」

「無論、ただじゃねぇぜ? 司法取引だ。全部話すかわりに、俺を見逃すことが条件だ」

「……よかろう……」と、アラネイ師はうなずいた。


 デヴィッドはうなずいて話を続ける。

「あんたの狙撃を命じたのは、アメリカ大統領、ロナルド・ランページさ――」

 アラネイ師は息をのむ。

「な、なんと!? あの男が、最高指導者の私ではなく、なぜ彼女を!?」

 デヴィッドは皮肉な笑みを浮かべて語る。

「あんたを排除するのは、あくまであの男でなくてはならないからさ。彼は中東の戦争に介入することで多額の戦費を使い、石油の流通を止めて莫大な損失をアメリカにもたらしてしまった……」

 デヴィッドは肩をすくめて続ける。

「彼は今のままでは中間選挙で大敗すると感じた。イランとイスラエルが万に一つでも和平を結んだら、アメリカが中東に介入する隙はなくなるからな。戦い続けて得られる利権も、イスラエルを守るという大義で支持を集めていたユダヤ人ロビーと福音派の票田も、全てパァ!だ」

 アラネイ師は唖然としていた。

「だから、彼女の狙撃を命じたというのか――」

「まぁ、正確には『どんな手をつかっても和平を止めろ』と言われた彼の側近が俺を雇ったってことだがな……」

 アラネイ師は、ラフマーニーに命じた。

「ハラディ准将を呼び出したまえ。彼にも事態を知ってもらう必要があるようだ」


 呼び出されたハラディ准将は、デヴィッドに怒鳴っていた。

「我々、革命防衛隊を騙って彼女を狙撃しようとした理由は何だ!?」

 デヴィッドは薄く笑う。

「あんたら革命防衛隊が、自分たちイラン国民の窮乏を救うためにやってきた『パレスチナの聖女』を撃ち殺したら、イランの国民はどう感じると思う?」

 ラフマーニー大統領は重い声で言う。

「暴動が起きかねんな……。イラン国軍の兵士も、君たち革命防衛隊の横暴には怒りを覚えている。最悪、革命防衛隊への反乱が起こっても、私には止められないだろう」

 ハラディは激昂する。

「そ、そんなものは、我々の部隊の力と、配下の民兵組織で鎮圧すれば――!」

 デヴィッドは、やれやれとため息をつく。

「そこがランページの狙いさ――。パレスチナの聖女を殺し、絶望と怒りに満ちた国民を力で弾圧する革命防衛隊と最高指導者は、国際社会からも批判される。最高の大義名分を得たアメリカは、ここぞとばかりに一気に攻撃をしかけるだろう。国の内外から同時に攻められても、あんたは勝てるのか?」

「うっ……!」

「こうしてランページは国際世論を味方にあんたの国を爆撃して蹂躙し、自分に都合のいい国を作って、アメリカの正義を世界に示し、支持率アップってシナリオだ――」

 デヴィッドはひらひらと手を振って話を続ける。

「あんたがあくまでイスラエルと戦い国を滅ぼそうと、俺にはどうでもいい。好きにしな……。全部吐いちまったんで、おれも立派な国家反逆者だ。娘と一緒にどこかの国に高跳びでもするさ……」


 その後、アラネイ師は、フィーナが携えてきた和平条約の署名のためにハラディ准将と話し合っていた。

「准将。アメリカの意図は分かったはずだ。イスラエルと和平を結ばねば、滅ぼされるのは我々なのだ」

 ハラディ准将は腕を組み、苦しげに言う。

「しかし、和平を結んだあと、我々はどのように国家運営をするつもりなのですか? 我々のパレスチナの守護者としての立場は完全に崩壊し、ハマスもヒズボラも我々に反旗を翻しますぞ!」

 そこへマルコが割って入った。

「それは逆だ! これ以上、中東を危険に晒す戦いを続けるなら、彼らはイランと手を切ると言っておる!」

「ば、ばかなことを! 手を切って我々の支援なしで、どうやって戦うつもりなのだ?」

「戦う必要などない! 実は、停戦をした際に、ハマスとイスラエルの戦場になっていた砂漠について、私は地質調査をさせてもらったのだ。そこには未発見の油田、レアアースの鉱脈があることが分かった。これをイスラエルと共同開発することで、彼らは『イスラエル・パレスチナ共栄圏』を作ることを考えておるのだ」

「そ、そんなことが、信じられるか!」

「では、これを見るがいい」

 和平条約の裏面には、ハマス、ヒズボラの指導者の名前も署名されていた。

「ば、ばかな……!」

「ハマスもヒズボラも多くの戦闘員が死に、もう限界だったのだ……」

 マルコは和平条約の文言を指さす。

「この和平条約には、地下資源の共同開発も盛り込まれておる。これもイランの人々が豊かになる道のひとつだ。人々が求めるものは、戦争ではなく、家族との豊かな生活なのだ」


 マルコの言葉に肩を落とし、がっくりとうなだれるハラディ准将。

 アラネイ師は、ラフマーニー大統領と和平条約に署名をし、ハラディ准将に語り掛ける。

「戦争がなくなれば軍事費による増税も、アメリカの制裁も必要なくなるだろう。力に頼らずとも、国民を守る道はある。君たち革命防衛隊も、国民を守るために戦ってきたのだろう? ならば、国民を守るために賛同してはくれまいか?」

「そう……ですな……」

 ハラディは力なくうなずいて、署名をするのだった。


 アラネイ師は、スマホを開く。そこにはムハンマドの姿が映っていた。

「『信徒同士は兄弟である』、『分裂してはならない』……。これでよかったのですね、師よ……」

 宗教指導者であるアラネイ師は、そっと呟いた。


 こうしてイラン側の署名が入った和平条約を携えて、フィーナはイスラエルへと戻っていったのだった。



 その夜、イスラエルのネクロフ首相は、いつもの悪夢に悩まされていた。

 ネクロフは幼いころ、ナチスのユダヤ人狩りに会っていた。

 追い詰められた母は、彼をベッドの下に隠れさせた。

「絶対にここから出てはダメよ!」

 ベッドの下で彼が聞いたのは、部屋をけ破り踏み込んでくる軍靴の響き、とどろく銃声と悲鳴、そして何かが倒れる音だった……。

 恐る恐る目を開けた彼の目の前には、苦悶の表情で白目をむき、血を吐いている母親の死に顔があった……。

「ひぃいいいいっ!」

 彼は執務室のソファから跳ね起きた。


 彼のトラウマはこうして植え付けられた。

 母親がナチスに銃殺された後、彼は失禁し汗と涙にまみれて震えながら一晩すごし、翌朝、兄に発見され、ともに中東に逃げてきたのだった。

 そしてパレスチナの地へのユダヤ人国家イスラエルの建国後は、国を守るためにあらゆる手を尽くしてきた。

 パレスチナ人を追い出したことでイスラエルはアラブ諸国から敵愾心を買い、反イスラエルを掲げた武装組織、ヒズボラ、フーシ派、ハマスに囲まれることとなった。

 イランの支援を経てテロ活動を行う武装組織の姿は、彼にナチスの軍靴の音を思い出させた。強迫観念にかられた彼は徹底的にそれらを攻撃した。

 そして、イランが核濃縮をはじめたと聞いて、彼の恐怖は頂点に達した。

(戦わなければ……。敵は全て滅ぼさなければ……。我々は殺される……!)


 ノックの音がして彼は飛び上がった。

「だ、誰だっ!」

「ジョシュア・アッカーマンです。あなたに連絡した通り、大事な話でやってきました。」

「ふん、軍をやめたお前が今更、私に何の用だ!?」

「それは、あなたに和平条約の調印をお願いしたかったからです。ネクロフ首相」

「お、お前は、パレスチナの聖女、フィーナか!」

 彼は後ずさった。自分の命令で彼女の両親を虐殺したことを思い出したからだった。

「お願いです……。中東の皆の命を守るために、この和平条約にサインしていただきたいのです!」

 ひたむきに懇願するその姿には、ネクロフに対する憎しみは微塵も見られなかった。ただ未来だけを見据えて、できることをしようとするひたむきさがそこにはあった。


「イランとの和平だと!? 何を世迷言を……。奴らは我々を殺そうとしているのだ! サインなどするわけが……。な、何っ!?」

 その和平条約には、既にイランのアラネイ師、ハラディ准将、さらにはヒズボラとハマスの代表者の署名までされていた。

「私は彼らに呼びかけ、彼らもまたこの和平に賛同してくれたのです。もうあなたの国は敵に怯える必要はないのです。あとはあなたの署名だけなんです!」と、フィーナは訴える。

「ほ、本当に、もう誰も攻めてこないのか……。敵に囲まれていないのか……」

「ええ、あなたの国民も、イランの国民も、もう戦争には疲れ切っています。皆が和平を望んでいるんです……」

「ネクロフ首相、あなたはよく戦ってきました。しかし、もういいのではありませんか…皆が求めるものも、あなた同様、“安心”なのです。」


 イランとの和平という、考えてもみなかったことが現実になりうることを知り、驚愕のあまりネクロフは脚の力が抜けて床にへたり込んだ。

 フィーナは慈愛に満ちた目でネクロフにその白い手を差し伸べる。

 ネクロフの記憶は数十年前に戻っていた。

「助けて……お母さん……お母さん………」

 一晩中ベッドの下で震えていた恐怖の記憶。

 フィーナの差し伸べた白い手が、母の手と重なった。

 ネクロフは震える手で、その手を握った。

 数十年間、自分を締め付け続けていた恐怖が、静かにほどけていくのをネクロフは感じていた。


 立ち上がったネクロフはフィーナに問いかける。

「お前は、敵と向き合うことが怖くはないのか? 私はかつて目の前で親を殺された。それはお前も同じだろう。なのに、なぜ怯えず前へ進めるのだ……」

「私には大事な仲間が、ジョシュアさんがいます。彼らと歩み続ける限り、私は何も恐れません! 自分の信じた道を、彼らとともに進み続けるつもりです」


 ネクロフはこれまでの人生を振り返った。彼は常に孤独だった。誰も理解者がいなくても、一人戦い続けていた……。

「仲間か……。そんなものは私にはいなかったな……。あのロナルドですら私を利用していただけだった……」

 彼はジョシュアに向き直る。

「ジョシュアよ、その金庫の中身を裁判所に渡せ。私の不正と汚職の証拠になる資料だ……。それで私は更迭されるだろう。平和を望む野党が政権を取った方がお前たちのためだろう……」

「ネクロフ首相……」

「私は怯えて戦い続けることにもう疲れた……。その強い目をした少女のような人間がこの国を変えていくなら、やっと私もゆっくり寝られるだろう……」

 彼は和平条約にサインをしながら、疲れたように語るのだった。

 こうして、長く続いた中東の戦争は終結したのだった。



 ホワイトハウスの執務室で、アメリカ大統領のロナルド・ランページは副大統領のヴィンスから報告を受けていた。

「ネクロフ首相は自ら職を辞任しました。新たな首相はイランとの和平条約に基づいて経済協力を進め、イスラエルとパレスチナ共栄圏を作る構想を持っているようです」

「ネクロフめ! 日和りおって! ガザをイスラエルとアメリカで共同開発し、中東の最大の拠点として、アメリカが中東を管理する計画も無駄になってしまったわ!」

 怒りのあまり椅子を蹴り飛ばすランページ大統領。

「世界の都合を理解できぬ愚か者どもめ! 世界から戦争をなくすには、強大な大国による治安の維持以外にないのだ。偉大なアメリカこそが世界を平和にできるということがなぜ分からん!? ヴィンス! あの鍵を持ってこい!」

 ヴィンスの持ってきた鍵を壁面に刺すと、壁面が開いて巨大なモニターが現れた。

 ランページは認証用のパネルに手を置くと電子音が鳴った。

「アメリカ大統領・認証。最重要プログラムを開示します」

 その画面には漆黒の翼をもつ天使が映し出された。インフィニティの管理者権限を持ったAI「サリエル」だった。

「サリエルよ! 世界の秩序を乱さんとする輩がおる。探し出して排除するのだ!」

「了解した……」

 画面の漆黒の天使は冷たい声で告げるのだった……。

 ネクロフの母はナチスによって殺されました。なので、同じく母を殺されたジョシュアを拾い自身の尖兵として育てました。自分の気持ちがわかるだろうと信じて……。そのネクロフの指示でジョシュアは戦場に向かい、難民の母を撃ってしまいます……。

 この憎しみの連鎖を断ち切ったのが、フィーナの持つ「共感の力」です。

 それは決して特別な力ではありません。傷つき苦しむ我が子に母親が向ける気持ち、悪夢を見て泣く子供を慰める母親の気持ち、父を心配する娘の気持ち……。

そんな誰もが持っている「当たり前の感情」を、フィーナは肉親の枠を超えて持つことが出来る……それだけのことです。

そのため、フィーナと対峙した相手は、彼女の中に母や娘など自分の大切な存在の姿を見て心を動かされるのでしょう……。

しかし、その共感の心が通じない相手も存在します。次回、「Phase.6 サリエル」にご期待下さい!


<本日のイラスト:アーサー・ドイル>

仕草や行動から秘めた心を「観る」力がある、正義感の強い世界的名探偵です。攻撃のサインを観ることができ、剣術や柔術を源流とする古武術の「バリツ」の使い手でもあることから、実は強いです。

挿絵(By みてみん)


本日、「クァンタムズ ~設定資料集~」を別小説として公開しました。

お読みいただかなくても、本編の進行には影響しませんが、キャラクターの性格や生い立ち、登場技術の解説、イラスト、年表などがありますので、ご興味がありましたら、以下からご覧いただけたら嬉しいです!

以下のURLからお読みいただけますので、よろしくお願いいたします!

https://ncode.syosetu.com/n7585mx/1

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