Phase.1 クァンタムズ、始動
時は数日前にさかのぼる。
量子コンピュータ「インフィニティ」のユーザー数名に、ゼクウ・ディラックという人物から特殊なバーチャルヘッドセットが送り届けられていた。
「普段からインフィニティを活用して多大な成果を上げている貴方に大チャンス! その力をもっと大きなことに活かしたいなら、下記の時間にそのヘッドセットを装着してインフィニティにログインを!」という手紙が添えられていた。
日本の晴明神社の巫女の見習いをしている16歳の女子高生、安倍霊呼は、お使いをさせていた狐の式神が運んできたその小包を怪しい目で見ていた。
彼女はインフィニティの膨大な演算能力で、先祖である安倍晴明の陰陽術を部分的に再現することに成功していた。狐の式神術もその一つだった。
「何これ? 闇バイトじゃないわよね……?」
イギリスの18歳の高校生探偵、アーサー・ドイルは、スコットランド・ヤードの警部と会話していた。
「今回も捜査に協力してもらい感謝する、アーサー。しかし警察が総出で捜査しても見つけらなかった犯人の足取りを、よく発見できたものだな……」
「インフィニティのデータベースは過去の事件の膨大な情報がある。一日数百件の犯罪を分析していれば、おのずと犯罪者の行動は推理できるものさ」
「数百件……! そ、それはともかく、君に届けて欲しいという小包を預かっていてね」
ドイツの17歳の哲学者、リュウ・ヘーゲルは、自宅でノートタイプの端末で哲学書を読みふけっていた。彼の祖母はリュウに声をかける。
「今日は大学はいいのかい?」
飛び級で大学に入り、文学と哲学と宗教学の博士号を修めている彼は、アルビノの特徴である紅い瞳にかけた日差しを和らげるサングラスを、軽く持ち上げて静かに答える。
「ああ、もう学会への論文は全て提出している。今日はインフィニティで読破したい学術書が数十冊あるんだ。これほどの検索能力を持つ量子コンピュータを解放してくれたアメリカ大統領のワイズマンには感謝しないといけないな……」
「そういえば、そのインフィニティとやらからあんたに小包が届いていたよ……」
インドの17歳の数学者、ラジャン・ラマヌジャンは、数学の授業中にリズムに乗ってドラムを叩くようにタブレットを触っていた。
「おい、ラジャン! 授業中に音楽を聞くなと言っておるだろう!」
教師に怒られたラジャンは、慌てて首を振ってタブレットを見せる。
「ノー、ノー! ラジャンは数式を解いてただけヨ!」
「こ、これは……! 何十年も誰も解けなかった数式ではないか!?」
「ノリのいい数式を解いていると、つい踊りだしちゃうネ! インフィニティ、本当に便利ヨ!」
彼はノリと直感で何千もの複雑な数式や万物の方程式を発見する才能を有していた。
「全く、とんでもないやつだ……。そういえば学校当てに、お前の小包が届いていたぞ」
そして数日後。
白衣に身を包んだ17歳のゼクウと名乗る少年は、彼がインフィニティ内に構築したバーチャル空間「量子ラウンジ」で、招待客を待っていた。
アインシュタインのようなくせ毛に強い意志の強そうな灰色の瞳をもつ彼は、4人の少年少女に自己紹介をする。
「俺の名はゼクウ、今日はわざわざお越しいただいて感謝するぜ!」
巫女の服に身を包んだ霊呼は、呆れたように言う。
「まったく、いきなりバーチャルヘッドセットを送りつけてここにアクセスして欲しいって、怪しすぎるわよ……」
「いやぁ、唐突な招待ですまなかった。式神の術をインフィニティで再現したっていう現代の陰陽師にどうしても会ってみたくなったんでな!」
悪びれもせずに屈託のない笑顔でゼクウは霊呼に手を出し握手を求める。
握り返した霊呼は、その感触にビックリする。
「うわっ! 握った感覚がある! 怖っ!」
「ははは! ドッキリ成功だな!」
「ど、どういうこと?」
「この量子ラウンジはただのバーチャル空間じゃねぇんだ。そのヘッドセットに量子もつれの現象を使って、脳の感覚神経とこの空間の現象をリンクするように仕掛けたのさ。そこのジュースも飲んでみな?」
ゼクウに勧められてジュースのストローに口をつけた霊呼は驚く。
「うわわっ! 本当に味がする!」
「認識があるから実存するとは限らない、ちょっと仏教的でいいだろ?」
会心の笑みを浮かべるゼクウに天空から声がかかる。
白き翼をもち光り輝く長い髪をなびかせた美しい天使が、霊呼たちの前にふわりと舞い降りてきた。
「ゼクウ! お客様を驚かせるのは、程々にしておきなさい……」
霊呼は素っ頓狂な声をあげて驚く。
「わわわわっ! て、天使ぃ!?」
「紹介するぜ、俺の相棒、大天使長ラファエルだ」
その姿を見て、深い知性を宿した碧眼、背の高い金髪の美青年が驚く風もなく立ち上がって言う。
「大天使長ラファエルか……。君の量子AIアシスタントというところか」
彼は興味深そうに目の前の天使を観察していた。
「彼は多分、インフィニティのシステム管理を司る権限を持っているんじゃないか?」
青年の指摘にゼクウは目を丸くする。
「驚いたな、さすが世界一の名探偵、アーサー! コナン・ドイルの血を引くだけのことはあるな!」
その言葉に、霊呼は驚いた。
「あ、アーサーって、あの数々の未解決の難事件を解決してきた高校生探偵の!? こ、こんな目の前で会えるなんて、尊すぎるわ!」
霊呼の声は蕩けていた。彼女はアーサーのファンだった。
「よろしく頼む。日本のシャーマンのお嬢さん」
霊呼に爽やかな笑顔を向けて彼女を赤面させた。
ゼクウはアーサーに感心して声をかける。
「しかしラファエルの正体がよくわかったな」
ゼクウの問いにアーサーはこともなげに手を振る。
「君の表情と行動には、ラファエルに対する深い信頼が観てとれた。君はインフィニティの管理者で、ラファエルは守護天使を監督する天使だ。つまりインフィニティのシステム管理に関わる存在ではないかと推理したのさ……」
アーサーの答えに笑みを浮かべてゼクウは返す。
「ご名答! 俺のお袋はインフィニティを開発する過程で俺にこのラファエルを残してくれたんだ。まぁ、飛行機事故で亡くなっちまったんだが……。
つまりこのインフィニティは俺にとってお袋の形見みたいなもんなのさ……」
アーサーは目を伏せて静かに答える。
「インフィニティの開発者……。イザベラ・ディラック博士か……。偉大な方だった。これほどの技術を俺たちに残してくれたんだからな」
ゼクウは照れたようにかぶりを振る。
「実はな、インフィニティの開発が成功したのは、俺の親父がきっかけなんだ。」
霊呼は聞き返す。
「あなたの、お父さんが?」
「ああ、俺の親父は世界を放浪する修行僧だったんだ。お袋の話では仏陀以来はじめて真の悟りを開いた人物だったらしい」
「それと、量子コンピュータが関係するの?」
「ああ。親父と付き合って禅の思想を知ったことで、お袋は量子コンピュータの着想を得たんだそうだ。俺の名前のゼクウも、仏教思想の『色即是空』からきてるそうだ……。」
「色即是空?」
首をかしげる霊呼にゼクウは答える。
「色即是空とは、固定的な実体がない『空』だからこそ、現象すなわち『色』が浮かび上がる、という意味さ」
ゼクウの言葉に、透き通るような白い肌をした銀髪の少年、リュウがうなずいた。
「なるほど、禅の世界をありのままに捉え相反するものすら等しく受け入れる姿勢が、コンピュータ技術に革新をもたらしたということか」
「あなたは?」
ゼクウは霊呼に彼を紹介をする。
「リュウは、老子と、哲学者ヘーゲルの血を引くハーフなんだ。人類のありとあらゆる思想・哲学・宗教学を学んでその叡智を習得した『知の巨人』って呼ばれてる哲学者さ」
リュウは苦笑して首を振る。
「そんな大したものじゃない。ただ本が好きなだけさ。この体質で日差しが苦手なのでね。サングラスがなければ眩しくて困るくらいさ。」
サングラスの上からのぞかせた彼の瞳は、黒い色素のない美しい真紅の色をしていた。
「そういえば、なんで禅と量子コンピュータが関係するの?」
「量子ゆらぎもまた実体がない真空の中に粒子が生まれたり消えたりする。有と無があいまいな状態なんだ。これが仏教が量子コンピュータのヒントになった理由だろう」
霊呼は首をかしげた。
「真空ってなにもない無じゃないの? どうしてそこから何かが生まれるのよ?」
ゼクウは説明する。
「それは真空が無ではなく、確率的な揺らぎに満ちた『可能性の海』だからなんだ。量子力学では、観測によって可能性の重なりが一つの結果として現れると説明されることがあるのさ。これは、縁起や因縁によって初めて万物に実体が生じるという、仏教の考え方と似ていると思わないか?」
ゼクウとリュウの話に、霊呼は頭を抱えた。
「あ~もう! なにがなんだかさっぱり分からないわよ~!」
ソファに座っていたインド人の少年、ラジャンが笑顔で言う。
「Don’t worry! 全然わからなくても無問題ネ! どうなってるか分からなくても現象とそれを導く公式が出せれば何にでも応用できるから大丈夫ヨ!」
浅黒い肌の彼は、歌うように陽気に語った。
「ゼクウが見つけたトンデモ現象を数式に落とし込むことを考えると、ワクワクが止まらないネ!」
色々な国の出身者と打ち解けたくて滅茶苦茶なしゃべり方をするラジャンに、皆は苦笑するのだった。
「というわけで自己紹介も終わったことだが、これだけとんでもない才能を持った連中がそろえば、すげぇ事ができると思わないか?」
ゼクウの提案にアーサーは腕組みをして考える。
「異なる才能を持った人間が集まってチームを組もうというわけか……」
ゼクウは笑顔で答える。
「ああ、量子ラウンジに集った人間で構成されるユニットだから『クァンタムズ』ってのはどうだ?」
ラジャンは興奮して拳を突き上げる。
「いいネ! いいネ! まるでアベンジャーズだネ!」
そんなラジャンを呆れた目で見ながら、霊呼はゼクウに言う。
「でも、それで一体、何をしようってのよ?」
アーサーは一同を見渡して言う。
「それなら俺から一つ提案があるんだが、ガザの紛争は知っているだろう? あれは明らかに戦争犯罪だが、国際刑事裁判所にそれを取り締まる力はない……」
一同は沈黙する。
「たとえ探偵であっても目の前の犯罪行為に何もできないことが俺にはつらい……。だが、お前たちとなら何かできそうな気がするんだ」
その言葉にゼクウはうなずく。
「ああ、そうだな……。じゃあまずは、今のガザの様子を投影してみるか」
ゼクウは手元に実体化させた青い光を放つコンソールを操作した。
天蓋に映し出されたガザの様子は酸鼻を極めるものだった……。
街は全て瓦礫と化し、病院にも学校にも例外なく爆弾の雨が降り注いでいた。
霊呼は絶句する。
「ひどい……。なんてことを……」
兵士たちを見てアーサーは叫ぶ。
「いかん! 避難民にまでイスラエル軍は銃を向けている!」
彼が指さした先には逃げ惑う避難民にマシンガンを斉射する兵士たちの姿があった。
ゼクウは叫ぶ。
「ラファエル! あの地域の市民たちの携帯電話のリストを表示してくれ! 回線がつながるまでかけ続けるんだ!」
ラファエルはリストを表示しながら忠告する。
「無茶です! かりにつながったとしても何ができるというのです。とても推奨はできません」
ゼクウは叫ぶ。
「できるできないじゃねぇ! 俺たちはまだシュレディンガーの箱を開けてないんだ! あきらめてたまるか! お願いだ! 誰か出てくれ! 誰もいないのか!?」
唯一つながった回線から悲痛な少女の声が届く。
「あ……あなたは?」
「俺はゼクウ、クァンタムズのゼクウだ!あんたたちを助けに来た!」
これが、ゼクウとフィーナの出会いだった。
こうしてクァンタムズの最初の戦いが始まったのだった。
ゼクウたちの前に立ちはだかる、戦争という巨大な理不尽。
彼らは、兵士たちに囲まれたフィーナたちを、無事救うことができるのか――?
クァンタムズの最初の戦いを、ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。
次回、第2話「絶望の砂漠を越えて ~前半~」
続けて本日の20:10に公開します!




