Phase.8 破滅へのカウントダウン ~前半~
クァンタムズのメンバーは、霊呼の誘いで日本に遊びに来ていた。
彼女が巫女を務める京都の晴明神社に集まった一行は、思い思いに京都の観光地を巡っていた。
伏見稲荷の無数に連なる神秘的な鳥居を、一緒に散策する霊呼とフィーナ。
南禅寺の静謐な庭園を前に、共に瞑想するゼクウとリュウ。
太秦映画村で、やたらに騒々しいニンジャを演じるラジャン。時代劇の殺陣の体験会で見事な剣戟アクションを見せて、観客から拍手喝采を受けるアーサー。
皆、日本での時間を満喫した。
醍醐寺の満開の桜を皆で見ながら、フィーナはこの美しさを生涯忘れないだろうと思った。
翌日、一行はフィーナのたっての希望で広島へと向かっていた。平和の祈りの象徴である広島の原爆ドームと、平和記念資料館を見ておきたいと願ったからだった。
だが、館内に足を踏み入れた途端、空気は一変した。溢れんばかりの原爆の凄惨な記録。見学を進めるうちに、フィーナの呼吸は苦しげに乱れていく。
瓦礫と化した街、全身の皮膚が爛れ、爪まで剥がれ落ちながら歩む人々、夜のように暗い空から降るどす黒い雨、母を求めて泣き叫ぶ子供、死体で埋め尽くされた川、焼け焦げた我が子を腕に抱きしめたまま呆然と立ち尽くす母親——。
苦しみと悲しみ、そして圧倒的な絶望のイメージが、濁流となってフィーナの精神に流れ込んでくる。
「あ……ああ…ああああっ……!」
耐えかねて悲鳴を上げ、その場にうずくまる。目からは涙が溢れて止まらなかった。
「フィーナ!?」
「いかん、過去の記憶のフラッシュバックか!? すぐに外へ連れ出すんだ!」
ゼクウとアーサーが咄嗟に駆け寄り、騒然とする来館者の間を縫うように嗚咽するフィーナを連れ出した。
滞在先のホテル。ベッドに横たわるフィーナを、仲間たちは心配そうに取り囲んでいた。
「すまない……俺たちがうかつだった。あの瓦礫の街を見て故郷の惨状を思い出し、トラウマを呼び覚ましてしまったのか……」
アーサーは重い言葉で言うが、ゼクウはかぶりを振る。
「いや、違うな……。フィーナには過去を乗り越える強さがある。現にジョシュアと瓦礫の故郷を復興させようとしていただろ?」
「では、あの苦しみは一体……」
「フィーナを苦しめたのは『共感の力』さ……」
ゼクウは辛そうにフィーナを見守る。
「共感の力……」
「そう、相手の苦しみや悲しみを一緒になって感じる力だ。考えてもみるといい。何万人もの絶望と悲しみと苦しみを、自分事のように感じることができたら、お前たちは冷静でいられるか?」
ゼクウの問いに、一同は何も言えなくなった。
「フィーナは聖女なんかじゃねぇ……。ただ、誰よりも優しいだけの女の子なのさ……」
霊呼は堪えきれなくなり、涙を流し続けるフィーナをぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい――! あなたの気持ちを考えてあげられなくて――。私……私……」
「霊呼……。でも、あれは本当に、あなたの国であったことなんでしょう……?」
泣き濡れた声で尋ねるフィーナの頭を、霊呼は優しく撫でる。
「本当に優しいのね……。でも、大丈夫。もうあんなことは絶対起きないから……。広島では今も、平和と核廃絶を願う人たちが声を上げ続けているの。私も訴えていくから――」
霊呼のなぐさめに、小さくうなずくフィーナ。
「と、とりあえず、暗い話はナシにしようヨ!」
雰囲気を変えようと、ラジャンが慌ててテレビをつけた。画面に映し出されたのは、大泉防衛大臣の緊急記者会見だった。
「我が国はかつてない危機に瀕しています! 今こそ、核兵器の保有を真剣に考えなくてはいけない! タブー視すべきではないのです!」
霊呼は愕然としてテレビを振り返る。
「な、何を言ってるの――!?」
ニュースでは一般市民の声が紹介されていた。支援者たちは大泉防衛相を日本のことを真剣に考えてくれる防衛大臣だと、口々に称賛していた。
「なんで――こんなことに――」霊呼は呆然としていた。
TVを観ていたアーサーは、画面越しに群衆の心理を捉えていた。
「それは『恐怖』が原因だろうな……。支援者の中に、ネクロフと同じ感情の“色”が見える」
「何をそんなに怖がってるのヨ?」とラジャンは聞く。
「隣国の中国は今、600発近い核弾頭を保有し、さらに急速に増やしている。しかも近海での領有権争いをめぐる衝突も増えている」
「そ、そんなに――!」霊呼は息をのむ。
「しかも近年のアメリカでは、『自国のことは自国で守れ』という主張も強まっている。同盟国への関与を抑える動きが進めば、軍拡の希望は高まる。あの時のネクロフと同じで、攻撃する手段を持たなければ安心して休めない、ということなのだろう……」
「じゃあ、日本が核を持てばみんな安心して休めるってコト?」ラジャンは言う。
その言葉にゼクウはかぶりを振る。
「それは逆だな……。むしろそれがこの国の破滅へのカウントダウンになるだろうぜ」
「な、なんでヨ!?」
「日本が中国の首都・北京に届く核ミサイルを作ろうとしていたら、今度は北京の人々が安心して寝られなくなるだろう?」
「あっ…!」
「イランがイスラエルを危険視し核を持とうとした時、不安にかられたネクロフとランページはどうしたと思う?」
ゼクウの問いかけにフィーナは衝撃を受ける。
「そ、そんな――。日本がガザやイランのように攻撃されてしまうの? この美しい自然と優しい人たちの住んでいる国が――」
今回の旅で日本を好きになったフィーナは、不安と心配で張り裂けんばかりの気持ちになった。窓の外の広島の街には、曇天が垂れこめていた。
リュウはゆっくりと語る。
「いや、いきなり攻撃されることはないだろう」
「本当!?」 フィーナは顔を上げる。
リュウは彼女から目を背けて重い口調で語る。
「もし日本が中国本土を核攻撃できる兵器を保有しようとすれば、彼らはもっと狡猾な手を使うだろう。『兵糧攻め』だ……。」
「兵糧攻め?」
「使い古された兵法だが、国際世論の反感を買わずに攻撃するには使い勝手がいい。『日本が我が国の首都を核で攻撃する準備を整えているか、ら経済制裁を発動する』と言えば、国際世論も表立って反論できない」
「アメリカもイランに同じことをしていたな」と、ゼクウはうなずいた。
「ああ、そうだな……。日本は貿易面でも中国への依存度が高い。日本の質のいい製品は中国の安い部品やレアアースを加工することで成り立ってきた。さらに農薬も手に入らなくなり食料自給率も大きく低下する。イランのように経済の悪化で追い詰められるだろう」と、アーサーは語る。
曇天からは大粒の雨が降り出した。
皆が押し黙る中、雨の音だけが陰鬱に響く。
「も、もしそこまで関係が悪化して戦争になったら……」 霊呼はぽつりと言う。
「最初に取る手は海上封鎖だろう。島国の日本は、数隻ある中国の空母と航続距離の長い戦闘機で航路を封鎖されたら、資源も燃料も食料すら届かなくなる。国力がなく輸入に頼る日本は確実に追い詰められることになるだろう……」 リュウは語る。
「じゃ、じゃあ、追い詰められて破れかぶれで核を撃ったらどうなるのヨ?」
ラジャンの問いにアーサーは首を振る。
「それは自殺行為だ。人口では14億人対1億人、国土面積でも大きな差がある。核の数も比較にならない。全国民を道連れに全滅する覚悟で一矢報いることが果たして勝利と言えるか? 唯一の生存戦略は、外交と対話による戦争の回避なのだが……」
アーサーの言葉にリュウは顎に手を当てて思索する。
「ソフトパワーによって、敵の中に己の味方を作るのもいい戦略だろう。中国は強力な中央集権国家だが、州レベルでは比較的自由な経済活動をしている。経済を通して日本と協力関係にあった民間の人々は必ずしも戦争を望んではいないだろう」
そこにラジャンが割って入った。
「なら、仲良くすればいいってことジャン! 日本はごはんも美味しいし、楽しい場所もいっぱいヨ! うまくやれるヨ!」
「だが、中国本土を攻撃するための核を作った時点で、日本の文化や製品が好きだった中国の人々も日本を敵とみなす可能性がある。日本人が軍拡を進める中国を忌み嫌うように、今度は日本が軍拡によって忌み嫌われる側になるという訳だ……」 アーサーは重い声で告げる。
ゼクウは豪雨になってきた窓を閉めて皆に向き直る。
「他にも問題があるぜ。唯一の被爆国である日本が核を持とうとしたら、これまで核なき世界を望んで努力し、冷戦終結後、世界が核兵器を大幅に削減してきた先人たちの努力が、すべて無駄になっちまう」
ゼクウは首を振って続ける。
「日本が核を持つならイランだって持っていいだろうって理屈で、核不拡散条約は無視され、世界中に核保有国が増えるだろう」
その言葉に、ラジャンはスマホを見ながら呟く。
「でも、皆が核を持てば、にらみ合いになって戦争がおきないって言ってる人もいるヨ」
アーサーはその言葉に肩をすくめる。
「それはたまたま起きなかっただけだ。現にキューバ危機では核戦争直前までいってしまったことがある。核の発射命令に現場の指揮官が従わず踏みとどまったというだけで、一触即発の状態だった」
その言葉にゼクウもゆっくりと頷いた。
「そう、俺たちは今、シュレディンガーの猫と同じなのさ。」
「猫? それって何?」 霊呼は聞く。
「いつ放出するか分からない毒ガスの入った箱に入れられた猫の話さ。開けるまでは生きているか死んでいるか分からない。核武装論は、箱を開けたらたまたま生きていたから『この箱は安全だ』と言ってるようなもので結果論にすぎねぇ。実際には死と隣り合わせの状態で、安全でも何でもないのさ」
「政治の不安定さが国家間の不信につながり、それが核のニーズを高めているんだろう。銃規制に反対する人々と同じだ。理屈じゃなくてただ銃を持っていれば安心できる、それだけのことだ」と、アーサーは語る。
ゼクウは腕組みしながらずっと考えていた。
「安心のために誰もが皆、核が欲しいか――。よし、ならいっそみんなに核を持ってもらうか!」
「な、何だって!?」
ゼクウの言葉に一同は驚愕する。
「し、正気か? ゼクウ――」アーサーは絶句する。
「おっと、勘違いするなよ! あんなくそったれな兵器、誰がこれ以上作らせるかよ! 『核は持たないけれど核を持っている』という状態をめざすんだ。俺が考えるシナリオはこうさ!」
それは「核の共同管理」の構想だった。
莫大な維持費を必要とする核兵器を、国連のような超国家機関が共同管理する。
参加国がみな費用を負担し、加盟国が他国から核攻撃を受けた場合にのみ、反撃のために使用するという構想。そして非核保有国でも資金を出すことで核の傘の中に入れるというものだった。
「なるほど……。世界中の国が安心を求めてこの機関に参加すれば、巨大な核保有連合ができるので誰も手を出せなくなるだろう。共同管理することで、一国の暴走で核を使うこともできなくなる……」
リュウはゼクウにうなずく。
「そういうことだ! 『北風と太陽』の話さ。核軍縮を呼び掛けても核を手放そうとしないのなら、いっそみんなで持ちましょう、と安心を与えるわけさ!」
その言葉にアーサーは深く考え込み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「話は分かる……。だがそれは途方もない話だぞ、ゼクウ。みな、他人が信用できないから軍拡に走るんだ。核保有国が己の核の使用権を自国以外の誰かに委ねるわけはない」
「なら自国と他国の境界も取り払っちまえばいい。一つの共同体にしちまえばいいのさ!」 平然と告げるゼクウ。
「そ、それって、世界を一つの国にするってコト!? まさか世界征服?」
飛び上がって驚くラジャンに、ゼクウは苦笑して答える。
「ちがう、ちがう! 『国境はあるけど国境はない』 そんな状態に持っていくんだ」
「ま~た、禅問答みたいなことを言いだす! もっと分かりやすく言いなさいよ、あんたは……」霊呼は不平を言う。
「ゼクウ、君の言いたいことはわかるよ。古代ギリシャのポリス(都市国家群)みたいな姿を目指すということだろう?」
「さすがリュウ! 相変わらず冴えてるな! そいつを皆に説明してやってもらえるか?」
彼は静かにうなずき、微笑して皆に説明する。
「古代ギリシャでは多くの都市国家がそれぞれ自由な文化を満喫し、それでもペルシャの侵攻などギリシャ全体の危機に対しては、ギリシャの都市国家が連合を組んで立ち向かったのさ」
その説明にアーサーは疑問を投げかける。
「しかし、今の国家群は古代ギリシャのポリスとは違ってはるかに複雑で、人口も多く、文化も政治形態も大きく違う。古代ギリシャのように、大体同じ価値観で皆が生きているわけじゃないんだぞ?」
ゼクウはアーサーに語る。
「そうか? 俺は不可能だとは思わないがな……。 水と油で絶対交わることはないと思われていた東西の冷戦は終結した。第2次大戦までは血で血を洗う戦争をしていた欧州も、いまやEUという枠組みの中で国境を越えて協力するようになった。そうだろ?」
「そういやそうね……。国境があって国境がないってそういうことか!」
霊呼はうなずく。
いつしか雨は止んで、雲の切れ間から広島の街に日差しが差していた。
「こんな状況、昔の連中に聞かせたら冗談を言うなって笑われただろうぜ。このEUみたいな関係を全世界に広げるだけのことさ。大体、やる前から不可能なんて言ってたら、何もできないぜ?」
ゼクウの言葉にアーサーは苦笑して肩をすくめる。
「フッ、そういえばお前は、不可能って言われるほど燃えるんだったな……。いいさ、俺も付き合おう!」
「へへっ! じゃあ共同体の名前から決めるか。地球全体の危機に対して世界各国が協力して立ち向かう互助会ってことで、汎地球連邦府ってのはどうだ?」
ゼクウの言葉にリュウは微笑む。
「略してUEか……。悪くないな。世界を構成するのはつまるところ同じ人間だ。思想や価値観で共有できるところもあるだろう。古代ギリシャが神々の信仰でつながっていたように……」
リュウは何かを思いついたように目を光らせる。
「そうだ、ゼクウ、霊呼、ラジャン、やりたいことがある。力を貸してくれるか?」
「ああ!」 「いいヨ!」 「任せて!」と3人は答える。
「しかし核の共同管理機構の設立となると、影響力のある人物の後ろ盾はどうしても欲しいな……」悩むアーサー。
「それなら私、ジェシカおばさんに連絡を取ってみる!」
皆の姿に元気づけられたフィーナは言う。
「ジェシカおばさん、だと?」 アーサーは首をかしげる。
「ああ、グランマか!」
ゼクウはたじろぐような表情で笑ったのだった。




