5.パーフェクトウォール
「いやぁ、本当にキアリーがうちに来てくれてから、一回もクレームがなくなってさ!大助かりだよ!」
市場の喧騒の中、ボリスは豪快に笑いながらキアリーの肩を叩いた。
野菜や果物の中心部が腐っていたり、中に虫が潜んでいたりする。それは自然の恵みを扱う以上、仕方のないことだ。大半の客は「運が悪かった」と寛大に受け流してくれるが、中には烈火のごとく怒り狂い、店に怒鳴り込んでくる客もいる。
そんなクレーマーの対応に追われれば、その日の営業は丸潰れになってしまう。ボリスにとって、そのリスクが完全に「ゼロ」になったことは、売上が伸びる以上に価値のある奇跡だった。
「お役に立てているなら良かったです。」
キアリーは控えめに微笑みながら、慣れた手つきで次々と木箱の果物を仕分けていく。
数日間の仕事で、街での生活費やちょっとした蓄えもでき、新居での暮らしもすっかり落ち着いてきた。ボリスは毎日、約束以上の報酬と、仕分けで弾かれた「食べても死なない程度にちょっと傷んだ果物」を持たせてくれた。
そんな穏やかで充実した日々は、あっという間に過ぎ去り――。
ついに、アーサーとマックとの「ダンジョンアタック」決行の朝がやってきた。
街の巨大な城壁のさらに外側。荒涼とした岩肌にぽっかりと口を開けた、古代の遺跡――『黒鉄の迷宮』の入り口前で、キアリーはごくりと唾を飲み込んだ。
「お待たせ、キアリーちゃん!準備はよろしくて?」
振り返ると、朝日を浴びてピカピカに磨き上げられたプレートアーマーを纏うアーサーが、愛剣の柄に手を当てて優雅に佇んでいた。その後ろからは、大きな魔道書を背負ったマックが、重い足取りで杖を突きながら歩いてくる。
「は、はい……一応、心の準備だけは……。本当にボク、後ろについて行くだけでいいんですよね?」
背負ったリュックの紐をぎゅっと握りしめ、キアリーは確認するように言った。何せ、この日のために用意した防具といえば、ボリスが「これで少しは身を守れ」と譲ってくれた、お下がりの分厚い革の胸当てくらいなのだ。
「もちろんよ!アタシの背中にちゃーんと隠れていなさい。その代わり、あんたのその可愛いお目々で、アタシたちの足元をばっちりエスコートして頂戴ね?」
アーサーはウィンクを投げると、腰のロングソードをすらりと引き抜いた。その刃がキィンと鋭い音を立てて輝く。
「よし、では行こうかねぇ。キアリー君、ダンジョンの中の罠は、果物の虫とはわけが違う。一歩間違えれば首が飛ぶからの、気をつけておくれよ」
マックが杖で地面を叩くと、先端の魔石が淡い光を放ち、暗い洞窟の奥を照らし出した。
「……はい、肝に銘じます」
キアリーはゴクリと喉を鳴らし、固有スキル『トラップバスター』をいつでも発動できるよう意識の奥で引き金を引いた。
一歩、薄暗くひんやりとした迷宮の奥へと足を踏み入れる。キアリーの本格的な「冒険者」としての初仕事が、今ここから始まろうとしていた。
『黒鉄の迷宮』――その入り口からわずか数メートル。
ひんやりとした空気が肌を刺す中、キアリーは壁のわずかな違和感を見逃さなかった。
発動条件:壁を押す
効果:上から岩が落ちてくる
「……アーサーさん、ここの横壁を押してください」
言われるがまま、アーサーは優雅な所作で壁に手をかけ、ぐっと力を込めた。
途端、頭上の隠し扉から巨大な岩が凄まじい轟音とともに落下してきた。
「――『パーフェクトウォール』!」
アーサーは剣を抜くよりも早く、頭上に半透明の硬質な防護壁を展開した。ドォォン!という重い衝撃が通路を揺らすが、アーサーは涼しい顔で岩を受け止める。
「うっかり壁に手をついてたら、アタシの自慢の顔が潰れるところだったわね。……ふふ、あんたのその目、本当に頼りになるわ。落ちてくるのがわかってれば、どうってことないわね!」
実はアーサー、キアリーにわざと罠のスイッチを引かせていたのだ。自分の『パーフェクトウォール』を見せつけ、新人の緊張をほぐすと同時に、チームとしての連携を確認するために。
それから先は、キアリーの独壇場だった。
『トラップバスター』が反応するたびに、「そこは床が抜けます」「その宝箱は毒針が出ます」とテキパキと指示を出し、アーサーが軽妙な手つきで罠を封じていく。
しかし、ダンジョンは罠だけではなかった。
通路の角から、突如として異形の魔物が姿を現した。
「ぎゃぁっ!?また何か来た!」
「落ち着きなさいよキアリーちゃん!」
慌てふためくキアリーを背後に隠そうとするアーサー。しかし、突進してきた魔物はアーサーが展開した『パーフェクトウォール』に気づかず、そのまま勢いよく激突して自滅していく。
キアリーはアーサーの背中で、へなへなと座り込んだ。
一連の戦闘が終わると、キアリーは先ほどまでとは別人のような冷静さで、倒れた魔物を見つめた。
「……あ、これ、キノコ型のとウサギ型のは食べられるやつです」
「……はい?」
マックが杖の明かりを向けると、キアリーは手際よくナイフを取り出し、魔物を解体し始めた。
「これ、バター醤油で炒めると最高なんですよ。あと、トラップバスターの反応も出てませんから、安全です」
慣れた手つきで次々とリュックに詰め込まれる「食材」たち。
その光景を見て、老魔道士のマックは吹き出した。
「お主、ダンジョンに来てまで晩飯の心配をしておるのか。まったく、大物じゃな」
アーサーもあきれ顔で肩をすくめつつ、キアリーの意外な逞しさに、今まで以上の信頼を寄せていた。




