19.階段のない部屋
「……おかしいわね。これで3つ目よ?」
アーサーが剣の先で宝箱の蓋を押し開けるが、中にあったのは冷たい空気だけだった。
以前なら、取っ手に塗られた毒のせいで触れることすらできなかった宝箱。今は瓶から飲み干したアンチドートのおかげで、毒など無視して次々と開けられるのだが――そのほとんどが、驚くほど綺麗な空箱なのだ。
さらに、異変はそれだけではなかった。
ステラの背後にがっちり守られながら、キアリーは『トラップバスター』の目を血眼にして周囲の壁や床に向けていた。しかし、いくら通路を奥へ進んでも、不気味な紫色の警告ログはフロアモンスターの罠を告げるばかり。
「キアリーちゃん、下へ降りる階段の気配はありそう?」
「……いえ、全然ありません。それどころか、この先の部屋、強いモンスターの気配すらないんです」
「なんじゃと……?そんな馬鹿な。迷宮である以上、必ず下層への道か、階層を支配する主がおるはずじゃが……」
マックが地図を広げて眉をひそめる。
4人はすでに第2階層をくまなく歩き回り、マッピングをほぼ終わらせていた。しかし、そこにあるのは延々と続く一本道と、倒しても倒してもキリがない毒ネズミやスライムなどの雑魚モンスターだけ。
まるで、最初から「この先」など存在していないかのような、奇妙で悪意に満ちた行き止まり。
「――みんな、これ以上はマズいわ」
アーサーがふと、自身の感覚を確かめるように右腕をさすった。
ギルドから支給されたアンチドートの効果時間は、そう長くはない。いつその効力が切れ、周囲の毒霧やモンスターの毒牙が牙を剥き始めるか分からないのだ。
「ええ、アーサーさんの言う通りです。ボクたちのアンチドート、そろそろ効果が切れる頃かもしれません。これ以上ウロウロするのは危険です!」
キアリーの焦りを含んだ声に、ステラもモーニングスターを肩に担ぎ直して深く頷いた。
「仕方がありませんわね。一歩間違えれば、今度は私が皆さんの死体を抱えて帰る羽目になりますもの。大人しく引き上げましょう」
「フォッフォ、二度目の撤退とは。あの『黒鉄の迷宮』も、一筋縄ではいかんということじゃな」
悔しさをにじませながらも、4人は素早く陣形を反転させた。
安全第一。キアリーの『トラップバスター』で帰路の罠を正確に躱しながら、4人は再び、成果の得られないまま地上へと退却を余儀なくされるのだった。
「――なるほどな。ボスもおらず、下層への階段すら見当たらん、か」
冒険者ギルドの奥にある重厚な会議室。
戻ったキアリーたち4人から報告を受けたギルドマスター、デイビッド・ルーカスは、組んだ両手に顎を乗せ、低い声で唸った。机の上には、マックが正確に描き出した第2階層の白地図が広げられている。
「開けた宝箱がすべて空箱だった、というのも引っかかるわねぇ。普通、未踏破の階層なら何かしら入っているはずなのに」
アーサーが髪をいじりながら不思議そうに呟く。
「……箱そのものに、何か大きな仕掛けがある可能性が高そうですね」
キアリーの言葉に、マックも深く頷いた。
「うむ。おそらく、あの大量の空箱のどれか、あるいは全てを特定の順番でどうにかすることで、隠された階段が出現するような仕組みになっておるんじゃろう。……キアリー、お主の『トラップバスター』では、あの箱の配置や壁に何か違和感は視えんかったのか?」
「それが……何も視えなかったんです」
キアリーは悔しそうに拳を握りしめた。
「ボクの『トラップバスター』は、あくまで『人間が何かしらのダメージを受けるもの(害)』を罠として認識するスキルです。もし、あの宝箱を触る順番を間違えたら爆発するとか、毒ガスが出るとかなら、ボクの目に警告ログが出ます。でも、今回はそれが一切ありませんでした」
「つまり、『手順を間違えても、ただ何も起きないだけ』ってことですわね」
ステラがモーニングスターの鎖を弄びながら冷ややかに付け加える。
「はい。そして『下層への階段が見つからないこと』そのものは、ボクたちに直接ダメージを与えるわけじゃありません。ただ道が塞がれているだけです。だから……ボクのスキルでは、その隠し通路の仕掛けを『見破る』ことができないんです」
「フォッフォ、なるほどな。お主の目は『危険』を教えてくれるが、『正解の道』を教えてくれるわけではない、ということじゃな」
マックの言葉に、会議室に重苦しい沈黙が流れた。
どんな凶悪な罠をも看破してきたキアリーの最強の目が、この「無害な隠し仕掛け」の前では、ただの普通の少年の目になってしまう。ダンジョンの作成者は、冒険者のスキル依存をあざ笑うかのような構造を作っていたのだ。
「――ハッ、面白いじゃねえか」
その沈黙を破ったのは、デイビッドの豪快な鼻笑いだった。
デイビッドは椅子から立ち上がると、キアリーたちの前に歩み寄り、机の上の地図をじっと見つめた。
「罠がねぇなら、そこから先は人間の『知恵』と『足』の勝負だ。キアリー、自分のスキルが万能じゃねぇからって落ち込む必要はねえ。お前のおかげで、あの階層が『罠による行き止まりではない』という事実が証明されたんだからな」
デイビッドの力強い言葉に、キアリーはハッと顔を上げた。
「敵の狙いは『足止め』だ。これ以上、冒険者を下へ進ませたくねえ理由がダンジョン側にある。……マック、アーサー、ステラ、そしてキアリー。その空箱の配置と迷宮の構造、ギルドの調査班のデータも全部開示する。全員の知恵を絞って、この『無害な壁』をぶち破るぞ!」
「おうよ! アタシたちの知恵、見くびってもらっちゃ困るわねぇ!」
パーティーに再び闘志が宿る。
固有スキルの限界の先にある、人間の意地と謎解き。4人とギルドの、迷宮の隠された謎を解き明かすための本当の頭脳戦が、今ここから始まろうとしていた。




