第三章
【高橋大輝】
一体いつからこんな家になったのだろう。
お前はそんな奴じゃなかっただろ?「元から」なんて言わないでくれ。
結婚当初のお前は優しかった。笑顔が可愛い奴だった。そんなお前を俺は愛していたし、お前もこんな俺を愛してくれているのだと思っていた。
なぁ。教えてくれ。本当のお前は何なんだ?
「終わるまで部屋から出ないで。あなたの為だから。絶対に⚪︎⚪︎小学校に入るの。わかったら早くやりなさい」
そう言ったお前は絢音を部屋に入れた。閉じ込めた。
ずかずかと戻ってくると、何も言わずに俺の作った夕食を口に入れた。
「なんなのこの料理⁉︎不味すぎるわよ‼︎」
「…すまん」
唾を飛ばす勢いでお前は叫んだ。
はぁ…。
だが俺に何かを言う資格はない。
俺がもっとちゃんとしていれば…。
毎日毎日同じことの繰り返し。
俺だけならいい。だが絢音には叫んでほしくなかった。
「はぁ⁉︎あんたまだこんなのも終わってないの⁉︎私があんたにいくら金かけてると思ってんの⁉︎ふざけないで‼︎」
「ごめんなさい…」
「あんたのためにやってんだよ‼︎」
「ごめんなさい…」
やめろ。やめてくれ。
心の中でいくら叫んでも届かない。なぜか言葉が出ない。
絢音はきっと苦しんでいる。なのに俺は…!
俺のせいで絢音は…!
目の前にある、お前の残した醜く歪んだスクランブルエッグと今の自分が重なった。
まだ五歳だぞ。
絢音はもっと寝たほうがいい。
無理のしすぎだ。
思っていることはたくさんある。なのに何もできない。
情けない…。
その時着信音が鳴った。あいつが置きっぱなしにしたスマホからだ。
「杉山瑛人『今日はありがとう!メシ、美味かった^_^』」
は…?
俺の心の中で、何かが弾けた。
杉山瑛人。聞いたことのない名前だ。
メシ…そういえば今日はいつもより帰りが遅い。仕事だと思っていた。
まさか…浮気?
嫌な想像が浮かんだ。
浮気。この二文字が頭から離れなかった。
そんな…。
布団の中でもずっと同じことを考えていた。
これが…お前の本性なのか。
いやでも勘違いかも…。
ぱちん、と音がした気がした。まただ。
その日は、一睡もできなかった。
朝、朝食を食べた後、絢音は一人で保育園へ向かった。
絢音ももうこの生活に疲れているだろう。
俺に勇気があれば…。
そんなことを考えながら部屋でパソコンを打っていた。気がつくともう時間が経っていた。一向に進まない資料を前に、俺は急いで仕事に取り掛かろうとした。その時だった。
佳奈子が珍しく部屋に入ってきた。それもだいぶ焦った様子で。
「あなた…絢音が、絢音が階段から落ちて救急車に運ばれたって…」
目の前が真っ暗になった。
「なんだって!?」
「急いで病院に行かなきゃ!!」
お前はひどく動揺していたな。
タクシーを呼び、急いで病院に行った。
その途中だった。
「運転手さん、急いでください!まったくもう!絢音が⚪︎⚪︎小学校に行けなかったらどう責任とるつもりなの!?」
は?
俺の心の中で、何かが冷めた。
…これがお前か。
お前は間違いなく焦っていた。絢音を愛しているのは確かだろう。だがお前が愛しているのは「⚪︎⚪︎小学校に通う絢音」だ。
お前は本当の意味で絢音を愛していない。
そうか。
お前はクズだ。
あぁ。
俺は今まで、何を見ていたんだ。
なんで俺は、こんなやつと結婚したんだろう。
病院に着いた。
お前は一目散に走り出した。
「看護師さん!!絢音は、絢音は…?」
「落ち着いてください」
お前は看護師に別室に連れていかれた。
俺はその後ろ姿をただ見つめていた。
「お客様?」
看護師の声で俺は我に帰った。急いで俺も部屋に入った。
「絢音さんの命に別状はありません。ただ頭を打ったので出血がちょっとひどいです。」
「そんな…」
「それで、お二人の血液型を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
「俺はA型です」
その時、お前は何かに怯えているような、そんな顔をしていた。
「…私もA型です」
医者は目を見開いた。「ありえない」という顔だ。
医師は何かを確認するように、カルテと俺たちの顔を見比べた。
「あの…どうしたんですか?」
恐る恐る俺が聞くと、医師は耳を疑うことを言った。
「……絢音さんはB型です」
「どういうことだ」
三日後、俺は家でお前にスマホを向けた。
この間見つけたお前のスマホの待ち受け画面の写真だ。
いつもは見ない俺の怒った表情にお前はうろたえていた。いや、それ以上に怯えているように見えた。
「なに人のスマホ撮ってんのよ変態!!」
「お前はこの日、残業で遅くなると言っていた。どういうことだ。何メシ食ってんだよ!!」
「何言ってんのよ…」
「お前のスマホ、見せてもらった。パスワードは誕生日だって見当ついてたからな」
「はあ!?」
「お前が風呂とかトイレに入っている時にだ。写真も揃っている杉山瑛人だっけ?そいつとはしょっちゅうメシ食ったり出かけたりしてたんだな」
俺は写真の画面をスライドさせた。
瑛人:『今日のスパゲッティ絶品だった!まじありがとう(o^^o)』
『今度は俺が奢るよ』
佳奈子:『ありがと』
『満足してくれて何より!』
瑛人:『また何かあったら遠慮なく呼んで』
佳奈子:『ありがと』
『主人には内緒にしてくれると…』
瑛人:『わかってる』
「俺の見てないところで随分好き勝手してたみたいだな」
「やめて…」
おまえの顔は青ざめていった。
だが俺は続けた。
「俺は離婚してもいい。いっそ弁護士呼ぼうか?ま、俺が有利だけど」
「やめて…」
お前の体が震えていることがよくわかった。
「そういえば、この間病院行った時、絢音B型だったな。A型の両親の子がB型な訳がないよな。じゃあ…絢音は誰の子なんだ?」
「最っ低!!」
ぱしゃっ。
顔に何かとてつもなく冷たいものがかかった。
目の前ではお前が俺に氷水の入っていたコップを向けていた。
お前が俺に氷水をかけたのか。
「知らないって言ってんでしょ…!もうやめて!!勘違いよ!!」
見るからに焦っている。他人に自然ににこにこできるような演技力があるんじゃないのか。
俺はヘラヘラと、見下すように放った。
「そうかそうか。でもお前はクズだ。お前は絢音を愛していない」
「は…?何言ってんのよ?」
「病院行く時に言ってたじゃないか。タクシーの運転手に『絢音が⚪︎⚪︎小学校に行けなかったらどう責任とるつもりなの!?』って。お前は理想の娘しか愛していないんだなぁ。絢音はこんなやつと血が繋がっているのか。可哀想だな」
俺は台所からあるものを取り出した。
「は…あんた何持ってるの」
「俺はお前より確実に絢音を愛している。絢音を本当に愛しているのなら部屋に閉じ込めて望んでもいないのに強制的に勉強をさせたりしない」
お前が初めて本気で俺を怖がっているのが表情で伝わってきた。
『あんた本当に男?何もできないのね』
『家事ぐらいしなさいよ』
そうやって今まで散々俺を舐めていた俺に初めて見せた顔だった。
「来ないで!!!!」
お前は一目散に家を出た。
俺は追いかけた。
外では街灯が静かに光っていた。こんな時間だから外は人通りがない。好都合だ。
歩道橋の階段でお前はつまずいて体勢を崩した。
「はあ…はあ…」
追いつける。気付かぬうちに俺は叫んでいた。喉が裂けるほど叫んだ。
俺はもう戻れない。
「ああああああ!!」
「こっちに来ないでええええ!!!!」
ざくっ。
血だ。
腹から溢れ出る血。
ああ、復讐を果たした。
お前は苦しそうな顔をしていた。とにかく無我夢中で腹を押さえ、止血をしようとしている。この期に及んでまだ生きようとするのか。
お前なんかいなくなればいいんだ。
死ね!!
心の底からそう思った。
俺の目の前には刑事がいた。佳奈子の件だ。俺は自首した。殺人をしたことはわかっている。抗う権利はない。
これは絢音のための殺人。後悔はしていない。
しばらくして拘置所に入った。そして俺は今日、全て終わらせる。
絢音、ごめんな。
俺に勇気があれば、佳奈子を止めていれば、何か変わっていただろうか。
結局お前だけ取り残されてしまったな。
佳奈子を殺し、縁を切る。それが俺のせめてもの償いだ。
絢音、お前はこれから殺人犯の娘というレッテルを貼らされて生きることになる。
何の罪もないお前が苦しむ必要はない。
自由に生きてくれ。
お前とは縁を切るが、俺はお前を愛しているからな。
何があってもお前は俺の娘だ。
俺は静かに目を閉じた。
【刑事】
まさかこんなことになるとは…。
拘置所内で高橋大輝が服の袖で首を吊って死亡しているのが発見された。
遺書のようなものは発見されなかった。
大輝の心境が刑事にはわからなかった。




