第二章
【高橋絢音】
「絢音ちゃんすごいわねー!」
「賢い子だなぁ」
そんな言葉を何回聞いただろうか。
自分からしたらそっちの方が羨ましいのに。
私には二人のママがいる。見た目は同じだけど中身は別人。
「絢音ちゃん!ママがお迎えにきたって!」
同い年の美里ちゃんに言われた。入り口の方を見ると、ママがいた。
一人目のママだ。
「高橋さん!お迎えきたよー!」
ざわめく部屋の中で、担任の先生が声を出していた。
そのとき、ママの後に続いて、もう一人大人が入ってきた。
圭くんのママだ。
「あら、こんにちは。娘がいつもお世話になっております」
「いえいえ〜。こちらこそ!絢音ちゃん帰ったら勉強?」
「はい。ドリルやるんで」
「あら〜勉強熱心ですね!絢音ちゃんもう筆算もできるんですよね!うちのバカ息子にも見習ってほしいわ〜!」
「はは…。圭くんは今日習い事ですか?」
「そうよ。水泳習い始めたのよ」
「すごいですねー!」
そんなママ達の会話を横目に絢音は帰り支度をする。
「絢音さんさようなら!」
「バイバイ絢音ちゃん!」
たくさんの友達が手を振ってくれた。
「さようなら」
絢音はお辞儀して保育園を出た。
保育園から遠ざかるにつれ、佳奈子の表情が険しくなっていく。
あぁ、「もう一人のママ」だ。
「ただいま」
圭くんのママと話していたときより声が低い。
絢音は薄暗い小さな部屋に連れていかれた。机の上には大量のプリントとドリルが積まれていた。
「終わるまで部屋から出ないで。あなたの為だから。絶対に⚪︎⚪︎小学校に入るの。わかったら早くやりなさい」
ママは勢いよく扉を閉めた。
はぁ…。
しばらくするとドアの向こうから大声が聞こえてきた。
「なんなのこの料理!?不味すぎるわよ!!」
「家事すらできない!?この出来損ない!?」
「…すまん。」
いつもの風景だ。ママが叫んで、パパは何も言わない。
「ったくもう」
しばらくするとママがそう吐き捨てて部屋に入ってきた。
「はあ!?あんたまだこんなのも終わってないの!?私があんたにいくら金かけてると思ってんの!?ふざけないで!?」
「ごめんなさい…」
「あんたのためにやってんだよ!!」
「ごめんなさい…」
嘘だ。ママは私のためなんかじゃない。
でも口にはしない。いい子に。常にいい子にしなければならない。
絢音はそれを自分に言い聞かせた。
時間が経ち、ママは寝室に入った。
きっと明日も、同じようなことが繰り返される。ママが叫び、パパは何も言わない。
絢音はこの家庭が嫌いだ。
周りの家が羨ましい。
翌朝、絢音は薄暗いトンネルを歩いていた。絢音は、いっそこのトンネルで過ごした方がましな気さえしてきた。
いつになったらこの悲しみから解放されるんだろう。
保育園が終わり、帰ればまたママに叱られる。周りの人は信じないだろう。保育園のみんなは優しいもう一人のママしか知らない。
足取りが遅くなる。普通に歩いているつもりなのにまっすぐ進まない。
視界が歪む。
なんだ。
道がヘビのようにぐにゃぐにゃして気持ち悪い。
うまく歩けない。
その時、足元に地面がない感覚に襲われた。
体が宙に浮いた。




