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第54話 次の設計図

 研究所の打ち合わせ室に、妙な沈黙が満ちていた。


 白い机。

 白い壁。

 白い端末。

 そのまんなかで、牧瀬だけが露骨に嫌そうな顔をしている。


「どうして俺がこれをやることになってるのか、まだ納得してない」

「牧瀬さんが折れたからです」

 九条が即答した。

 端末にはすでに新規仕様書のテンプレートが開かれている。項目名だけ並んだ白い画面が、まだ何も決まっていない未来みたいに静かだった。

「折れてない」

「では撤回しますか」

「そういう言い方するな」


 圭介が机に肘をついて笑う。

「いやでも、ここまで来て『本当にやるならちゃんと設計する』って言ったの、牧瀬さんだし」

「言ったよ」

 牧瀬は渋々答えた。

「言ったけど、もっとこう、抽象的な希望をぼんやり聞くくらいの想定だった」

「抽象的な希望では仕様化できません」

 九条が言う。

「本日は要件定義です」

「その言い方、余計に後戻りできなくなるんだよ」

「最初からその会です」

「九条、お前絶対ちょっと楽しんでるだろ」

「否定しません」


 悠真はそのやり取りを聞きながら、向かいに座ったノワールとブランを見た。

 二人とも、今日は妙に背筋がいい。

 ノワールは明らかに事前準備をしてきた顔をしているし、ブランはしていないくせにやる気だけはある顔をしている。


「じゃあ、始めます」

 九条が端末を操作する。

「希望条件を順に出してください」

「会議っぽい」

 圭介が言う。

「会議です」

「ほんとにやるんだ……」

 悠真がぼそっと言うと、ノワールが赤金の目でまっすぐ見返してきた。

「やります」

 その返事があまりに真剣で、悠真はちょっと笑いそうになってしまう。

「うん。知ってる」


 九条が最初の項目を打ち込む。

「外観要件」

 白い画面にその文字が現れる。

「まずは見た目からで構いません」

「わかりました」

 ノワールがうなずく。

 わかりました、の時点でもう会議の温度が違う。

「現状より肩幅は少し広めを希望します」

「肩幅盛る気か」

 圭介が即座に言う。

「盛るわけではありません」

 ノワールは真顔だった。

「兄さんの隣に立った時、現在の機体幅だとやや華奢に見える可能性があります」

 悠真が咳き込んだ。

「兄さんの隣に立った時、とか会議で言うのかよ」

「必要条件です」

「必要条件なんだ……」

 圭介が笑いをこらえている。

 牧瀬はもう片手で顔を覆っていた。


「高さは?」

 九条が冷静に訊く。

「極端な変化は望みません」

 ノワールは少し考えてから言う。

「ただ、兄さんの隣で不自然に見えない程度には上げたいです」

「兄さん基準しかないな」

 圭介が言う。

「いいだろ、別に」

 悠真が反射で返してしまって、今度は自分で少しだけ顔が熱くなる。


 九条は何事もなかったように打ち込んでいく。

「外観要件、肩幅微増。全高調整、生活環境との整合を前提」

「あと」

 ノワールは続けた。

「今より滑らかな関節可動を希望します」

「そこは真面目」

「長時間歩行時の安定性も必要です」

「真面目すぎ」

「手は今より少し大きめが」

「そこはなんで」

 圭介が吹き出した。

 ノワールは一瞬だけ黙る。

 悠真には、その沈黙の意味がなんとなくわかった。


「……服が」

 ノワールが言う。

「似合うので」

「手のでかさで服の似合い方変わるの?」

 圭介が聞く。

「変わります」

「変わるのか」

「たぶん」

 最後だけ少しだけ自信が揺れた。


 その横で、ブランが勢いよく手を挙げた。

「はい」

「ブラン、指名されていません」

「されてなくても言う」

「どうぞ」

「耳はそのままがいい」

 全員が一度、白い耳を見る。

「しっぽもそのまま」

「外観維持要件」

 九条が打つ。

「かわいいから」

「主観表現です」

「かわいいはだいじだもん」

「性能要件ではありません」

「でもだいじ」

 九条は一瞬だけ止まり、

「意匠要件として記録します」

と言って打ち込んだ。

 ブランが勝ち誇った顔をする。


「あと、かっこいいのがいい」

「主観表現」

「かわいくもある」

「矛盾しています」

「してない!」

「どういうこと?」

 悠真が思わず聞くと、ブランは真剣な顔で答えた。

「ノワールみたいに、かっこいいけど、ぼくはもうちょっとかわいいのがいい」

「比較対象が曖昧」

「今のでわかれよ」

 圭介が笑う。

「いやわかるけど仕様書には落ちねえだろ」

「“かっこいいけどもう少しかわいい”を要件化するんですか」

 牧瀬がとうとう頭を上げた。

「無理だろ」

「無理ではありません」

 九条が言う。

「意匠の方向性です」

「お前が一番前向きだな、これ」

「必要な会議ですから」


 ブランはさらに続ける。

「あと、走るの速いのがいい」

「何を基準に」

「ノワールよりちょっと速い」

「兄弟間競争要件やめろ」

「だって、いいじゃん」

「よくない」

 ノワールが即座に言う。

「無意味な速度競争は転倒リスクを」

「ほら、そういうとこ」

 ブランが口を尖らせる。

「そういうとこがもう、お兄ちゃんっぽい」


 わちゃわちゃした空気が少し広がる。

 悠真はそれを見て、なんだか妙におかしかった。

 本当に設計会議をしている。未来の身体の。しかも、かわいいとか肩幅とかで揉めている。

 数年前の自分なら、こんな光景を想像しただけで頭がおかしくなったと思うだろう。

 でも今は、机の向こうで真顔で要望を出す二人がちゃんと現実だった。


 九条が淡々と整理する。

「まとめます。ノワールは安定性、輪郭、服飾適性、対兄整合を重視。ブランは意匠、機動性、かわいさとかっこよさの両立、耳と尾の維持」

「“とかっこよさ”を仕様にするの、ほんとに?」

 牧瀬が言う。

「必要です」

 九条は迷わない。

「本人にとっては」

「本人、じゃなくて本人たちだろ」

 圭介が言う。

「耳は譲れないらしいし」

「譲れません」

 ブランが即答する。

「そこはもう、ぜったい」


 ノワールはそれを横目で見ていたが、不意に少しだけ視線を落とした。

 さっきまでの会議のテンポが、そこでほんの少しだけ変わる。


「……兄さん」

 静かな声だった。

 悠真は顔を上げる。

「ん?」

 ノワールは一度だけ、九条の開いた白い画面を見た。

 まだ項目の少ない、空白の多い設計書。

「見た目の希望は、あります」

「うん」

「機能の希望も、あります」

「うん」

「でも」

 そこで言葉が少しだけ遅くなる。

「本当に言いたかったのは、そこではありません」

 部屋が静かになった。


 圭介が笑うのをやめる。

 九条の指先も止まる。

 牧瀬だけが、何も言わずにノワールを見た。


 ノワールは、悠真だけを見ていた。

「兄さんの隣にいたいだけなら、今の私でもできます」

 その言葉に、悠真は何も返せなかった。

 知っている。今だって隣にいる。ちゃんと恋人で、ちゃんと一緒に生活している。

 でも、ノワールが言いたいのはそこじゃないのだとも、わかった。


「座ることもできます」

 ノワールは続ける。

「歩くこともできます。手を繋ぐことも」

 その一語一語に、今まで積み重ねてきたものが静かに入っていた。

「でも」

 赤金の目が、少しだけ揺れる。

「兄さんだけ先へ進んで、私だけずっと同じなのは、嫌です」


 悠真の喉が詰まる。


 ノワールの声は、会議のための声ではなかった。

 もっと静かで、もっと深いところから出ている。


「一緒に時間の中にいたいです」

 白い画面の前で、その一言だけが妙に大きく落ちた。

「兄さんと、一緒に歳を取りたいです」


 誰も、すぐには何も言えなかった。


 笑えない。

 茶化せない。

 悠真はただ、ノワールを見ていた。

 一緒に歳を取りたい。

 その言葉の重さが、すぐには胸へ入らない。入らないまま、でも確実に痛いくらい刺さってくる。

 嬉しい。

 怖い。

 そんなふうに望まれることが。

 そんなふうに望ませてしまったことが。

 どっちも一緒にあって、何も上手く言えなくなる。


 その沈黙を、ブランが破った。


「ぼくも」

 さっきまでの軽さが少しだけ剥がれた声だった。

「ぼくも、それがいい」

 ブランは白い耳を少し伏せる。

「お兄ちゃんだけ大人になるの、やだ」

 今度は、悠真のほうを見る。

「ぼくたちだけ、ずっとこのままなの、変だもん」

 その言い方はブランらしく子どもっぽいのに、そこにある気持ちは少しも軽くなかった。

「一緒に変わりたい」

 左手が机の端を掴む。

「ちゃんと、ついていきたい」

 それから、小さく付け足す。

「ノワールとも、いっしょに」


 圭介が、そこで初めて完全に黙った。

 さっきまでなら何かひとことくらい差し込んでいたはずなのに、それがない。

 生活の側の人間だからこそ、その願いの重さが直感でわかってしまったような顔だった。


 九条は静かに端末へ視線を落とした。

 画面はまだ白い。

 でも、その白さはもう最初の空白ではなかった。


 牧瀬は椅子へ深く背を預け、目元を押さえた。

「……それは」

 珍しく、すぐには続きが出てこない。

「それは、要件として、かなり厄介だぞ」

「だめですか」

 ブランが聞く。

「だめとか簡単に言うな」

 牧瀬は手を下ろした。

「時間経過に合わせて外観印象を変えるって、単に背丈を伸ばすとかそういう話じゃない」

「わかっています」

 ノワールが言う。

「わかってて言ってるのか」

「はい」

 その返答があまりに迷いなくて、牧瀬は少しだけ言葉を失った。


「今の私でも、兄さんの隣にはいられます」

 ノワールはもう一度言う。

「でも、それだけでは足りません」

「……」

「残るだけではなく、変わっていきたいです」

 その言葉が、会議室の温度をすこし変える。

 残るだけではなく。

 変わっていきたい。


 それは、ここへ来るまで誰もまともには口にしてこなかった願いの形だった。


 ブランが続ける。

「こわれたとこのつづき、じゃなくて」

 その言い方に、悠真は思わず視線を向ける。

 義肢調整の日に、ブランがこぼした言葉だった。

「ぼくのつぎ、がほしい」

 白い声が、でも今回は泣きそうではなく、まっすぐに置かれる。

「そのつぎが、お兄ちゃんだけいない時間だったら、やだ」


 悠真はそこで、本当に言葉を失った。

 嬉しかった。

 痛かった。

 責任もあった。

 でも、それでも、どうしようもなく嬉しいのを否定できなかった。

 この二人は、残りたいだけじゃない。

 自分と同じ時間の中へ来たいと言っている。

 そのことが、怖いくらい重い祝福に思えた。


「……今のお前らも」

 ようやく声が出る。

「今のお前らも、もちろん大事だ」

 ノワールとブランが同時にこちらを見る。

「でも」

 悠真は少しだけ息を吸った。

「次を望むなら、それもちゃんと大事にしたい」

 自分で言ってから、少しだけ手が震えた。

「閉じたくないから」


 ノワールの目が、ほんの少しだけやわらかくなる。

 ブランも、口を引き結んだまま小さくうなずいた。


 牧瀬が大きく息を吐く。

「……最悪だ」

 圭介が目を瞬く。

「悪い意味?」

「逃げ道がなくなったって意味だ」

 牧瀬は白い画面を睨んだ。

「見た目だの肩幅だのだけなら、まだ適当に流せた」

「流す気だったんですか」

 九条が言う。

「ちょっとは」

「最低」

 ブランが言う。

「うるさい」

 でも、その返しには前ほどの棘がなかった。


 牧瀬は改めて双子を見る。

 その視線はもう、ただのツッコミ役のものではなかった。

 本気で、二人の先にある時間を見始めた人の目だった。


「一緒に歳を取る、か」

 低く言う。

「簡単に言うなよ」

「簡単じゃないから、言いました」

 ノワールが返す。

 牧瀬はその答えに、少しだけ口元を引きつらせた。

「ほんと、お前そういうとこ晃一に似て……」

 言いかけて、止まる。

 もうその比較は、ここでは違うと自分でわかった顔だった。


「わかった」

 ようやく、牧瀬が言う。

「本当にやるなら、見た目だけの話にはしない」

 部屋の空気が、そこで変わった。

「中途半端な願望なら作らない。生活年齢に対する印象変化、機能更新、外観追従、長期運用、全部込みだ」

 九条が、すでに次の項目を開いている。

 牧瀬はそれに気づいて、少しだけ苦い顔をした。

「……お前、最初からこの流れ想定してただろ」

「していません」

 九条は言う。

「ただ、必要項目はあります」

「それを想定という」

「違います」

 でもその指は、もう打ち込みを始めていた。


 白い画面に、新しい文字が並ぶ。


 経時変化への追従性。

 生活年齢との整合。

 将来的外観成長モデル。

 長期運用を前提とした段階的更新。

 本人希望の継続反映。


 さっきまでの「かわいい」とか「肩幅」とかの項目の下に、それらが加わる。

 おかしかったはずの会議が、いつの間にか冗談ではなくなっていた。


 圭介が、その画面を見たままぼそっと言う。

「……ほんとにやんのか」

「やります」

 ノワールが答える。

「やる」

 ブランも言う。

 その声は、さっきまでの軽さを少し残しているのに、芯だけはもう揺れていなかった。


 牧瀬は椅子から立ち上がる。

「じゃあ、まず現行フレームとの整合を見る」

「はい」

「ブラン、お前の“かわいいけどかっこいい”は一回ちゃんと図にしろ」

「え」

「言語だけじゃわからん」

「え、ほんとに?」

「やるって言っただろ」

 ブランの顔が一気に明るくなる。

「やった」

「まだ何も完成してない」

「でもやるんでしょ」

「やるよ」

 そこで牧瀬はノワールを見る。

「お前は高さの基準を数値で出せ」

「兄さん基準で?」

「それ以外あるのか?」

「ありません」

 ノワールが即答して、悠真はとうとう顔を覆った。

「ちょっと待って、俺ずっと基準にされるの」

「されるだろ」

 圭介が笑う。

「むしろ今さら何言ってんだ」

「いや、そうだけど……」

 そうだけど、を言いながら、悠真はなぜか少し泣きそうだった。


 九条が静かに画面を整える。

 白い設計書の上で、言葉が仕様へ変わっていく。

 見た目の希望。

 機能の希望。

 そして、その奥にある生き方の希望。


「九条」

 牧瀬が言う。

「“時間を生きるための条件”も項目立てしろ」

 九条は一瞬だけ指を止めた。

 それから短くうなずく。

「はい」


 新しい見出しが、白い画面の下へ追加される。


 時間同期要件。


 その文字を見た瞬間、部屋がまた静かになった。

 誰も笑わない。

 ノワールも、ブランも、悠真も、圭介も、牧瀬も、ただその白い画面を見た。


 もう冗談ではなかった。

 ただ青年みたいな機体になる話でもなかった。

 これから先の時間の中で、一緒に変わっていくための設計図だった。


 ノワールが、小さく息を吐く。

 ブランも黙ったまま、白い耳を少しだけ揺らした。

 悠真は、その二人の横顔を見て、それから白い画面へ戻す。


 未来が、線になって引かれ始めていた。

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― 新着の感想 ―
変身機なんて物を作れるから有機生命体の様に成長劣化する生体アンドロイドみたいなのも作れるのか… 飲食は出来るけどやっぱり成長は出来なかったんだなその身体は。 そのままだとブランとノワールは置いていかれ…
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