表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/56

第36話 わかるって言ったじゃん

 盤上パンタは、立ち尽くしていた。


 砕けた変身機の残骸が、足元でまだ熱を持っている。

 父は壁際でへたり込み、何かを喚いているのに、その声は妙に遠かった。

 圭介は肩で息をしていて、今にも崩れそうな脚でどうにか立っている。

 ノワールは、悠真のすぐそばで、壊れた武装をまだ半ば残したまま立っていた。


 失敗したのだと、ようやく理解した。


 父を自分の望む形へ変えることも。

 唯一の理解者を失わずに済ませることも。

 ノワールを壊したまま自分の側へ置くことも。

 全部は両立しなかった。


 悠真のやさしさに救われながら、

 それでも裏切って、

 それでも欲望のほうを選んだ。


 その結果、手の中にはもう何も残っていなかった。


 その空白が胸の真ん中へ落ちた瞬間だった。


 どん、と、力ない衝撃が胸へ飛んできた。


 盤上パンタの身体が、わずかに揺れる。


 悠真だった。


 拳だった。

 でも殴るというより、ただそこへぶつけることしかできなかったみたいな拳だった。

 力なんて、ほとんど入っていない。

 ちゃんと踏み込んでもいない。

 ただ、壊れそうな身体のまま、それでもどうしても触れなきゃ気が済まなくて、胸へ打ちつけたみたいな拳だった。


「……っ」


 盤上パンタは避けなかった。

 避ける気にもならなかった。


 悠真は、そのまま盤上パンタの胸ぐらを掴みそうになって、でもうまく掴みきれず、ただ服を握るみたいに指を食い込ませた。

 肩で息をしている。

 目は真っ赤だった。


「……なんで」


 声が、震えていた。

 怒鳴りたいのに、泣きそうで、ちゃんと怒鳴りきれない声だった。


「なんでだよ……」


 盤上パンタは、何も答えられない。


「わかるって」

 悠真は言う。

「わかるって言ったじゃん」

 胸元を握る手が、小さく震える。

「俺、わかるって、言ったのに」


 その一言が、盤上パンタの胸へ、拳よりずっと深く入ってきた。


 わかっていた。

 悠真は、わかってくれた。

 あの狂った願望を、ただ気持ち悪いと切り捨てずに、痛いと言いながらも、わかる側から受け止めてしまった。

 だからこそ、いちばん傷つけた。


「……うん」


 ようやくそれだけが出た。

 ひどく掠れた声だった。


「うん、じゃないだろ」

 悠真の声が、今度は少しだけ強くなる。

「わかってくれる人がほしかったんじゃないのかよ」


 盤上パンタの唇が、わずかに動く。


「ほしかった」


「じゃあなんで」


「……」


「なんで、俺のことまで、ブランのことまで、ノワールのことまで」

 そこから先、声が詰まる。

 言葉にならない怒りと悲しみが、喉の奥でぶつかっているのが見えた。


 盤上パンタは、その顔を真正面から見た。

 逃げ場がなかった。

 この目からは、もう。


「……欲しかったんだよ」


 ようやく出た声は、驚くほど空っぽだった。


「何もかも」

 少しだけ笑おうとして、失敗する。

「欲しかった」

 自嘲にもならない。

 ただ事実を確認するみたいな声だった。

「わかってくれる人も」

「肯定も」

「そのままでいていいって言われることも」

 視線が、砕けた変身機の残骸へ落ちる。

「奇跡も」

「全部」


 悠真は、その答えに、また顔を歪めた。


「そんなの」

 かすれた声で言う。

「そんなので、奪っていい理由になるわけないだろ」


 正論だった。

 正しすぎるくらい正しい。


 盤上パンタは、そこで初めて、少しだけ笑った。

 今度はちゃんと、自分を嘲る笑いだった。


「ならないよ」

 すぐに答える。

「そんなの、最初から」


 悠真の手が、胸元で少し強くなる。


「だったら」


「でも」


 盤上パンタは、悠真の言葉を遮った。

 遮り方さえ、もう静かだった。


「それでも、自分のほうを選んだ」


 その声には、もう熱も怒りもなかった。

 あるのは、冷え切った事実だけだった。


「君を裏切ってでも」

「ノワールを壊してでも」

「ブランを傷つけてでも」

「共同体をぐちゃぐちゃにしてでも」

「自分の願いのほうを」


 圭介が、息を呑む。

 怒鳴りそうになって、でも怒鳴れない顔だった。


 ノワールは、悠真の少し後ろで、じっと盤上パンタを見ていた。

 赤金の目は不安定に明滅している。

 壊れた武装も、まだ解けきっていない。

 それでもその視線は、さっきまでみたいに命令へ繋がれてはいなかった。


 悠真の拳が、もう一度胸へ当たる。

 今度はもっと弱かった。

 殴るというより、崩れ落ちる寸前の身体を、盤上パンタの服に預けてしまったみたいだった。


「……最低だ」

 悠真が言う。

「うん」

「最悪だ」

「うん」

「ほんとに」

 そこで、声がひっくり返る。

「ほんとに、最低だよ」


 盤上パンタは、否定しなかった。

 もう、何も否定できなかった。


 父がまだ壁際で怯えている。

 砕けた変身機の破片は、床の上で鈍く焦げている。

 部屋は壊れていて、誰もまともな形では立っていられなくて、何ひとつ取り返せたわけじゃない。


 なのに、悠真の次の言葉だけが、妙にまっすぐ落ちた。


「……勝手に」


 盤上パンタが、ゆっくり顔を上げる。


「勝手に、俺たちのこと奇跡って呼ぶな」


 その一言に、盤上パンタの目がわずかに見開かれた。


 悠真は、泣いた顔のまま、でも逸らさなかった。


「ノワールも」

「ブランも」

「共同体も」

「父さんのことも」

 息を吸う。

 喉の奥が痛そうだった。

「そんな軽いもんじゃない」


 圭介が、そこで小さく目を閉じた。

 それはたぶん、堪えるみたいな閉じ方だった。


「痛くて、重くて、めちゃくちゃで」

 悠真は言う。

「都合よくきれいな名前つけていいもんじゃない」

 服を握っていた手が、少しだけ震える。

「俺たちが、ここまで来て、こうなって、それでも積み上げたものだ」


 奇跡じゃない。


 その否定は、価値がないと言うことじゃなかった。

 むしろ逆だった。

 痛くて、重くて、面倒で、逃げたくなるくらいしんどくて、それでも誰かの都合のいい夢として消費させたくない現実だと、そう言われていた。


 盤上パンタは、そこでようやく理解する。


 自分は最後の最後まで、あの共同体を、自分の飢えの名前で呼んでいたのだと。

 見ていたつもりで、見切れていなかった。

 わかってほしいと願いながら、自分の見たい形でしか相手を見ていなかった。


 喉が、ひどく乾いた。


「……ごめん」


 出たのは、それだけだった。

 あまりにも足りない。

 足りなすぎて、自分で言ってすぐわかる。


 悠真の目が、少しだけ揺れる。

 許す揺れではない。

 それでも、その一言が空っぽではなかったと知ってしまう揺れだった。


「いらねえよ」

 悠真は言った。

 声はまだ掠れていた。

「そんな一言で済むわけないだろ」


 その通りだった。


 盤上パンタは、口を開いたまま、次の言葉を探した。

 父のこと。

 ノワールのこと。

 ブランの腕のこと。

 悠真のこと。

 自分が見たものと、壊したものと、欲しかったもの。

 言わなければいけないことは山ほどあるのに、どれも言葉の形にならない。


 言葉にしようとすると、全部が遅すぎた。


 ノワールが、ほんの少しだけ前へ出る。

 まだ足取りは危うい。

 それでも自分で立ち、自分で一歩を選んだ歩き方だった。


「……兄さん」


 呼ばれて、悠真が振り向く。


 ノワールは、そのまま何かを続けようとして、うまく続けられなかった。

 まだ壊れている。

 喉も、命令の痕も、痛みも残っている。

 でも、その呼びかけだけで十分だった。


 圭介が、ようやく息を吐く。

「帰ろうぜ」


 その言葉は、裁きじゃなかった。

 生活の側から、かろうじて出てきた声だった。


 帰る場所は、壊れている。

 共同体は元には戻らない。

 ブランの腕は失われたままだ。

 父も、盤上パンタも、何一つ解決していない。


 それでも、帰るという言葉だけが、この場に残った。


 盤上パンタは、その言葉に返事をしなかった。

 できなかった。


 帰れないのは自分のほうだと、もうわかってしまったからだ。


 悠真は、最後に盤上パンタの服から手を離した。

 その手はまだ震えていた。

 勝ったから離した手じゃない。

 もう掴んでいてもどうにもならないと知ったから、離すしかなかった手だった。


 盤上パンタは、そこに立ったまま、ほんとうに何も言えなくなった。


 欲しかった。

 わかってほしかった。

 そのままで肯定されたかった。

 全部、本物だった。

 でも、それでも自分のほうを選んだ。


 その事実だけが、深く、深く、自分の足元へ沈んでいく。


 もう奇跡とは呼べなかった。

 呼ぶ資格が、自分にはないのだとわかった。


 部屋の中には、壊れたものと、壊れたまま立っている者たちだけが残っていた。

 それでもノワールは、悠真の服の裾をもう一度だけ小さく掴む。

 圭介は壁へ寄りかかりながら、どうにか立っている。

 父の荒い息は、まだ部屋の隅で続いている。


 何ひとつ終わっていない。


 だからこそ、盤上パンタだけが、そこで完全に言葉を失った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ありのままの己を肯定して欲しかったから”誰かを傷付けてしまう理由になる”かもしれないけど、 ”誰かを傷付けても良い理由にはならない”んだ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ